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おお友よ、この歌ではない!

O Freunde, nicht diese Töne! 唯人(ゆいと)さん。  今日は……観に来てくれているんだろうか。いるんだろうね、この会場のどこかに。  僕は……悪いが、もう家に帰ってしまいたい。  賽は投げられた。  日本国民年末の風物詩、「歓喜の歌」ことベートーヴェン作曲交響曲第九番。  冒頭の空虚五度は嵐の予兆であり、ひたひたと寄せては返す波のように怒涛のクライマックスへと向かう音楽は、彼が生きたヨーロッパの激動の時代を表しているーーいやこれは、あなたからの受け売りだったかな。  オーケストラはマエストロとの呼吸もピッタリに今、全身全霊で第一楽章を演奏し終えた。  僕は合唱団のメンバーとしてステージ奥、オーケストラ後方のひな壇の上に雁首そろえて座っている。 「合唱つき」と副題がつけられる事もあるベートーヴェン晩年の大傑作、通称「第九」は全部で四楽章の音楽で、その第三楽章まではオーケストラだけの演奏だ。僕ら合唱が入るのはマラソン並に長い長い音楽の第四楽章、しかも後半部分だけ。 「恐怖のファンファーレ」と称される第一楽章の主題が戻って来たのを合図に、やはり前方に四人揃って煌びやかに座っているソリストのうち一番バッターのバリトンと共に、僕ら二百名の合唱団はスックと立ち上がる(カメラワークなら見せどころ!カッコよく!) ーーおお友よ、こんな音楽ではない!  もっと喜びに満ちた歌を!  バリトンのソロ(ドイツ語)に続き、僕らが掛け合いで「フロイデ(喜びよ)!」と歌い出すーー歌舞伎なら「待ってました!」と大向こうが掛かり、大相撲なら座布団が舞う、そんな見せ場の場面だーー予定はね。コケたらどうしよう。  指揮者の六道先生は笑みを湛えてオケを見渡すと一つ頷き、緊迫した面持ちで第二楽章を降り始めた。リズミカルでありながら重量感のある音楽は、ヨーロッパじゅうの絶対王制国家を打ち負かして回ったナポレオンの蹄の音を表している、とも言われている。  僕はギロチンに架けられているわけではないが、まな板の上の鯉、ひな壇の上の合唱団ーー僕はどうしてこんなに緊張しているんだろう。  リハーサル無しのぶっつけ本番だから?高校のコンクールの時以来三十ン年ぶりの舞台だから?そりゃあの時だって緊張してたけどここまでじゃなかった。それに自信がないなら口パクしてたっていいんだし……なのに僕はどうしてこんなに緊張しているんだ? 「こんなに緊張するなら申し込まなきゃよかった」「どうしてこんな難しい曲、本番でやり通せるなんて思っちゃったんだろう」「申し込みさえしなかったら今頃おこたでぬくぬく……いや、大掃除があるか」などとぐるぐるエンドレスで考え続けてるし、幸い二千人超のお客が入っているはずの客席は暗転していて見えないが、恐怖にも似た緊張感はそんな事お構いなしに襲ってくる。  唯人さんがあれだけ心待ちにしてくれた本番の真っ最中に僕は、時代の荒波でもベートーヴェン作品の解釈でもなく、今すぐひな壇を降りて家に帰ってしまいたいたい衝動と闘っている。

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