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喜びよ!1
Freude! Freude!
唯人さん。最近しきりに思い出すことがある。
僕らが暮らしていた北関東某所の3LDKのアパートで、東京に住む僕の姉の子どもーー奏 を預かっていた事があったよね。姉がどうしても仕事を休めなくて学童保育もお休みの、夏休みとか、冬休みのたびに数日ずつ……だが、血縁の僕すら持て余す超弩級のやんちゃ坊主の奏を、まさかよりによって大晦日の夜に預かることになるなんて思わなかった。
「学童も休みで、実家にも頼めないの。大掃除手伝うって言ってるし。お願い」なんて、姉よ。いくら何でも無茶振りが過ぎないか……
奏は何だかんだ僕と、僕以上に唯人さんの事が大好きだったから大張り切りでやって来た。
年の離れた元・ギャングエイジと現役三人の、まるでスプラッターコントのような普段の数十倍慌ただしい大晦日はあっという間に過ぎて夜が来る。
濃い幸せってもしかしたら、一瞬の気を抜いた隙のとんでもハプニングとか破壊の危機とか、そんな物とセットでしかやって来ないのかもね。
「お正月まで起きてるんだ」と張り切る奏が昼間の疲れで無念のダウンをしてしまうと、夜は嘘のように静かになったーー普段は気づかないお寺の鐘や電車の音が遠くから聞こえてきた。
こたつで寝入ってしまった奏の寝顔を見ながら、大きくなったなあと改めて思った。怪獣の襲撃と台風が一度に来たようなかつての騒ぎはなくなったし、お手伝いもちゃんとできたもんね。
数年前、実家と大喧嘩した姉に泣き落とされて、せっかく唯人さんと暮らし始めたばかりの家にもっと小さかった頃の奏ーー小学校に入る前か、入ってすぐくらいのーーを渋々連れて来たのが最初だった。
「身内の事だし、唯人さんには面倒をかけないから」なんて言っていた僕だけど、一人っ子の孫命のジジババが匙を投げただけの事はあって、奇襲型ドローンのように動き回る野生児の奏を、一人ではとても面倒を見切れなかったろう。
唯人さんは根っからの子ども好きで、やんちゃな奏の引き起こすハプニングやトラブルさえも笑って楽しんでしまえる大物だった。自分にも覚えがあると言って笑っていたが、あの時は本当に助かった。
夜じゅう僕らは何時間もとりとめのない話をしていたーー付き合い始めの頃によくそうしていたように。
「第九の合唱をやってみないか」
唯人さんが唐突に言った。
あの夜の暖かさと厳かさがない交ぜになったような空気感、奏の寝息、お揃いのマグカップに唯人さんが淹れてくれたコーヒーの湯気と香りーーついさっきのことのようにその一場面だけを鮮明に、そして懐かしく思い浮かべることができる。
「大工の合掌(造)?」
「違う違う」
唯人さんは彫りの深い面長な顔に、ふんわりとした笑いを浮かべた。
「年末の定番BGM、ベートーベンの第九交響曲、合唱つき」
唯人さんは綺麗なハミング混じりで僕のボケに答えた。
「ああ。年末にあちこちで演奏会をやってるよね?」
僕はクラシック音楽は全く門外漢だが、唯人さんの勤め先は昔懐かし名曲喫茶系のカフェなのでマスター譲りの一家言があるようだ。
「この街にも第九を歌う専門の市民合唱団があって、毎年末に市民ホールでオーケストラと一緒に演奏会をやっているんだ」
「そうなんだ。長く住んでいるのに知らなかった」
「常連さんに合唱団の団員さんがいてね。前から入団しないかと誘われてるんだ。週に一回、火曜の夜。前は仕事のシフトで無理だったんだけど、来年は定休日になるからさ」
「ああ、いいんじゃない」
「ナオも一緒にやろうよ?」
唯人さんがさらににっこりと笑いかけた。
「え、僕も?」
僕の名前は直と書いて「すなお」と読む。親からはそのまま、男友達や同僚からは名字で「藤崎」と呼ばれている。「ナオ」と呼ぶのは奏と唯人さんだけだ。
ちなみに「直」という何のひねりもない名前は「真っ直ぐな人間に育つように」と親父がつけてくれた。社会のルールを逸脱しない、という意味では確かに名前通りに育ったかもしれない。「真っ直ぐ」という言葉から連想される「何事にも負けない意志の強さ」とか「一本筋を通す正義感」を親父は期待していたのだろうが、そちらは見事に期待はずれだった。
人の意見に素直に流され、あれやこれやを真っ直ぐに受け止めて素直に傷つく僕を、唯人さんだけが「優しくて人の痛みがわかる人」と言ってくれた。
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