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ハハハ!ついに見つけたぞ 2
「ナオへ
この手紙を読んでいるということは俺はもうこの世にいないんだろう。
君が第九を歌うと聞いて、どうしてもこのレコードを聴かせたくなった。君にはこのレコードから何らかのインスピレーションを得て演奏会に臨んで欲しい。そして俺はそれを聴きに行けるんじゃないかな……矛盾するようだが、そんな確信がある。
あまりにも有名な盤だから、どういうレコードかは特に説明しない。合唱団員の誰かにでも聞いてくれ。ただ、これだけは書き残しておく。レナード・バーンスタインは病身をおしてこの演奏会に臨んだ翌年、この世を去ったーーまるで削った命を共演者達に分け与え、未来の世界で輝かせようとするかのように。
俺には世紀のマエストロの真似なんかできないしどちらかというと死後も嘆き悲しまれるよりは忘れられていたい。が、それでも短い人生の中で俺なりにあがいて、多少は学べたことがあったと思うから、これからも生きていくナオのヒントとなればと思ってこの手紙を書いているーー君は繊細で優しく、不器用で賢い人だから。
クラシックの世界は広く深い。ヨーロッパで始まった宮廷音楽がアメリカやアジアに伝わり、伝わった先の伝統音楽や民族音楽を吸収してはまた違う国や地域に広まっていく……俺は生涯を通じてクラシックだけではなくずいぶんいろんなジャンルの音楽を聴いてきた。
プロの評論家には適わないかもしれないが、少なくとも音楽を職業としていない人達の中では聴いている方だろうという自負はある。そんな俺でも、人生で触れることのできた音楽といえば氷山の一角にも満たないわずかなものだろう。一番好きな「クラシック」というジャンルに限ったとしても、だ。
それほど世界は人々の歴史から生まれた音楽と日々新しく生まれ出てくる音楽とで満たされている。俺が人生に思い残すことと言えばまだまだ知らない音楽があること、それを君と分け合うための時間と努力が足りなかったことくらいだ。
ナオ。
世の中には「奏でられるべき演奏」「聞かれるべき音楽」というのが存在するーーこの第九のように。奏者と観客の魂が呼応して時にその場にいた人の人生をも左右するような、そんな演奏は実はめったに生まれない奇跡だ。
だが同時にそれはこれから未来にかけてどの瞬間にも生まれ得るものである。それはプロもアマも、会場の大小も、観客層の如何も地方も都会も関係ない。
ナオ。生きている限り良い音楽を聴け。そして歌え。
ナオが今五十代だとして、残りの人生を全て捧げて挑んでもなお余りある大いなる山ーーそれがベートーベンの交響曲第九番だ。
エベレストならぬオリンポス山登頂を目指すつもりで、いつかそんな演奏会をやり遂げてほしい 水口 唯人」
僕は手紙を読み終える前にこらえきれず号泣した。チギラさんはそんな僕の肩を抱き、先生が彼の代わりにレコードに針を落としたーー第一楽章冒頭の「歓喜の歌」よりさらにシンプルな、張りつめた二音のみの主題がレクイエムのように響いた。壮大な音楽が地平線の夜明けさながらに展開していく。
FINE
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