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裏アカ

『……誰か、いるのかな……?』  誰かいるのなら少し気まずい。まだクラスに慣れた訳じゃないし、いきなり忘れ物だなんて。  そうためらいながらもそっと後方の扉から中を窺うと、教室の前方に数人の生徒の姿があり、その中に見知ったばかりの姿を見つけて、僕は思わず声を上げそうになった。 『——柚弥君……!』  前方の机に座っていたのは、放課後に別れたはずの柚哉だった。その傍らの席には昼間会った梗介もいる。  二人の前には背を向けて二人の生徒が立っており、一見談笑しているように見えた。  二人に向かって柚弥が寛いだ様子で笑みを見せている。 『柚弥君、帰ったんじゃなかったんだ……? どうしよう、入ってもいいのかな……』  事情があったし、断って入室すれば、という選択肢はすぐに浮かんでいた。だがどうしてかその手段を取っても、へ踏み込むことに身体が竦んでいた。  どうしたものかと逡巡しているところに、ドアが少し開いているのか、彼等の会話が漏れ聞こえて来た。 「——やっぱ、正直に前から可愛い、あきらかに違うとは思ってたんすよねえ。で、そういうことちらっと三年の先輩に話したら、教えてくれたんですよ。結構渋ってたんですけどね。……裏アカ」 「はあ、観たの。恥ずかしいなあ。もう段々、裏じゃなくなってきてるよね。あんまり広まっても困るからさあ。そろそろあれ、消そうかなあ」 「ええっ、消さないでよ! で、こないだ、ストーリー上げたじゃん? あれ、やばいって。あれ見たら、もう忘れられなくなって……。うっかり保存し忘れてさ、すっげえ後悔! てかユッキー、すぐ消したでしょ!……つうかあれ、……はめ撮り、だよね……?」 「あれねえ。結構夜中だったのに、何か軽くバズってさあ。皆ちゃんと寝てよお。何のために俺の裏アカ夜観てんの」 「そりゃ観るって! ……それで、もう我慢できなくなってさあ。で、聞いたから……。どうしても我慢出来なくなったら、その裏にDMして、夏条先輩に頼めってさ…………」  舌を舐めずるように囁いた生徒は、ちらりと窺うように梗介を見遣った。  よく見ると梗介は指に煙草を挟み、一()いの末、気怠げな紫煙が薄くたなびいた。 「別に俺はどうだっていい。ユキ、どうする」 「えー、まあいいけどさあ。でももう、俺も疲れたんだよねえー。今日朝から始業式だよ? 疲れないの皆。昼に横山先生の相手もしたしさあ」 「ええっ、横山って数学の? 担任じゃん! まじで!?」 「あ、言っちゃった。今の内緒ね」  あっけらかんと柚弥は告げ、唇に人差し指を立てた。 「でも、全然最後までしなかったけど。横山先生、真面目だからさ」  つ、と二人の生徒に移した瞳は、無邪気さからふっと淫靡にほそめられる。 「……だから、変にお預け喰らった……、感じはなくはないけど?」  付け加えた唇が、言葉ひとつひとつに、蠱惑的な(かたど)りで歪む。 『何……? 何の話…………?』  いくつもの断片的な情報が流れ込んでくるが、話の真相の合点に、頭が追いついてこない。  裏アカ。DM。頼むって、何を。  そういえば昼休み、柚弥は何をしていた? 『後で職員室に来い』 『ああ……、横山先生ねえ……。今職員室いないよ。もう少ししたら、戻ってくるんじゃないかな』 『ちょっといけないバイト……。——秘密ね』  心臓がく、と縮まり、身内からこわいように早鐘を鳴らしていた。

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