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つらぬく視線

 それを言い切る時は、視線を逸らしたくなかった。どんなに受け止めることで踵からたじろぎそうになったとしても。  内面の竦みは滲まないように、口調はあくまでも平静に。  だが、きっと瞳の挑むような気概を隠せなかったと思う。  そして何より、それを言って彼の眼から少しでも何かしらの揺れが生じるのなら、捉えたかった。 「……」  揺れは、捉えられなかった。  きっと、こういった接触を受けるのは初めてではないと思う。  それなのに、嘲り、蔑み、訝しさ。 何もない。ただ、『見て』いるだけだ。  目の前にいるのに、ずっと遠く、僕の瞳を飛び越えてこころの深淵を透かして捉えているような深さがある。奥地に潜む獣が、地上の動静を高崖からそっと見定めているような。  未開の地にいる高潔な獣は、眼の前に予期せぬ何かが現れても、無闇に動じたりはしない。  それが己にとって、取るに足るものかどうか。  ただ、それだけ。それを淡々と判断しているだけに過ぎない。その表情の奥のこころなんて、当然読み取れる訳がないのだ。  その試しを、今受けているような気がして抗いがたい困惑と緊張を隠しきれない。  この眼だ……。昨日も、初めて会ったばかりで視線を受け止めているだけなのに、この眼に瞬時に身体を絡めとられたような気がして、怖かった。  きっと、特に気をそそがない、取るに足らない存在だったと思う。  だけど、一眼でこころの揺れまで見透かすようなその眼差しは、静かにこの身を確実に貫いていた。  そしてその眼の鋭さにまぎれてしまいそうだが、漆黒の髪に映える切れ長のまなじりは流麗で、その下の唇にいたるまで寸分なく研ぎ澄まされた色気が滲み、彼の相貌もまた間違いなく美しいと言え、怜悧と喩えるのにこれほど相応しいものはなかった。  こんな眼をしてひとを見る(ひと)なんて、今まで見たことがない。  重苦しい沈黙の眼光に耐えかね、視線を首許に移した。  見覚えがある。ひと目見ただけで記憶に残る、燻した銀の独創的なネックレス。骨太な鎖骨にくねりながら、今日も纏わせていた。  彼自身は、その身一つで充分に異彩を放つ存在だ。  耳許に小さなフープ型のピアスをこちらもシルバーの単体で着けているが、余計な装飾は本来好まない性質(タイプ)に思えた。  一見不釣り合いにも取れる個性的な首許のそれは、不思議と彼の持つ孤高さと絶妙に合わさり、よく映えていた。双方の高潔と硬質が余すことなく惹きたつ。  何気なく思えた。彼の性質や魅力を正確に知っている存在からの、——贈られたものじゃないかと。  戸口で向かい合っていたのは、きっと僅かな時間だった。  首許に逸らしていた瞳を戻すと、僕に差していた冷えた視線が音もないようにすっと外された。  そのまま、梗介は僕を脇に避けて脚を踏み出した。  すれ違いざまに、胸を捕らえるような香りが掠めた。洗練された大人の爽やかさのすぐ後に、重厚な色気を感じさせる甘さが芳醇と迫る。そこへ、苦い煙の渋みも(くゆ)るように追って絡みついてきた。  大人の女性でも射抜かれるような、痺れるような危うさを感じさせる香りだった。 「来いよ……」  残り香に掬い取られるような心地でいたら、そのなかに低い声が吹き込まれていた。  はっとしてそれに気付き視線を追うと、高い位置にある梗介の背中が、廊下の雑踏のなかに溶け込もうとしていた。

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