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第1話

異世界BL短編です。 サクサク更新していきたいと思っています。 よろしくお願いします。 *************************** 「結婚してくれないか?」  突然そんな声が聞こえたのは魔術学園の廊下だった。  暖かい春の午後——。  日差しが大きな窓から差し込んでいて、よく磨かれた石床がキラキラと眩しく光っている。 「え?」  黒髪に青い目、地味な服装の小柄な十八歳のオメガ青年——ユリア・ニキーチェは、聞き間違いかと思いながら振り返った。  ——あ! ヴィクトル・シードロフ騎士団長だ!  ものすごくびっくりした。  見上げるほど背が高くてがっしりとした体格の美丈夫がすぐそばに立っているではないか!  艶のある黒いベルベットのフロックコート(長上着)姿。鍛え上げた胸はとても分厚くて、服の上からでもしなやかで力強い筋肉がはっきりとわかるほどだ。  その胸が、手を伸ばせば届きそうなほど近くにある。  広い肩には本物のゴールドのように輝くブロンドが美しく波打っている。窓から入ってくる優しい春の風が、黄金の絹糸のようなしなやかな髪をふわりと揺れ動かしている。  そして黄金の髪に縁取られた顔は⋯⋯。  ——なんて完璧な目鼻立ちなんだろう、眉も鼻筋もまるで最高級の芸術作品みたいだ⋯⋯。  まっすぐな鼻筋に引き締まった口元。切れ長の目に、繊細だが男らしく力強いラインの顎。だれもがうっとりと見とれずにはいられない、すさまじい美貌だ。  噂によると騎士団長の瞳は明るいライラック色らしい。だけど信じられないほど長くて密集したまつ毛のせいで、深い湖の底のような、そしていくつもの伝説を持つ王家秘蔵の宝石のような、昏くて美しい紫色に見えている。  この美貌の彼こそが、弱冠二十八歳にしてルシア・ツァーリ帝国の巨大な騎士団を率いる最高司令官、ヴィクトル・シードロフだ。  貧乏貴族のユリアに「結婚して欲しい」などと絶対に申し出てくるはずがない人なのだ。  だからユリアは、  ——なんて恥ずかしい聞き間違いをしてしまったんだろう。  と思って真っ赤になった。  ヴィクトルの美しい顔がじっと自分を見下ろしているせいで胸が激しくドキドキする。  いつの間にか手のひらが汗でびっしょりだ。  なんとか頑張って声を出し、おずおずと聞いてみた。 「あの⋯⋯、なにかご用でしょうか?」  するとヴィクトル・シードロフ騎士団長は、静かに、そしてはっきりと言った。 「俺のお飾りの妻になってほしい——」 *****  数時間前——。 「今日は虐められないといいな⋯⋯」  ユリア・ニキーチェは暗い気持ちで石造りの階段をのぼっていた。  気持ちが暗いのはクラスメイトからの虐めのせいだ。  ユリアはルシア・ツァーリ帝国の国立魔術学園の六年生。  十八歳になったばかりの黒髪の小柄なオメガ青年で、瞳は澄み切った春の青空のようなブルー。ほっそりとした顎に小さな桃色の唇。愛らしい顔立ちをしている。  だけど着ているのはとても地味な灰色のフロックコート(長上着)だ。しかも白いシャツと首に巻いているオメガ襟は、なんども洗って艶がなくなりガサガサの木綿なので、まるで迷子になって何日もさまよっている子犬のようにみすぼらしい雰囲気を漂わせている⋯⋯。 「教授がいらっしゃる直前に教室に入ろうかな⋯⋯」  疲れ切った子犬のように階段の隅に立ち止まったとき、頭の上からパタパタと羽ばたく音がした。 「あ、鳥だ」  天井を見上げると茶色で小さな鳥がいた。仲間とはぐれて迷い込んでしまったのだろうか? 焦ったようすでぐるぐると天井近くを回っている。 「君もひとりぼっちなんだね」  まるで自分を見ているようではないか⋯⋯。気にしてくれる仲間はだれひとりいないし、世の中にひとりぼっちで、居場所を見つけられないまま生きている⋯⋯。 「外に出してあげるから待ってて」  鳥を逃がすために窓を開けようと思った。  だけど生徒の集団が階段をあがってきて、「鳥だ! 捕まえろ!」と騒ぎだしてしまった。  驚いた小鳥は、あっちへ、こっちへと飛び回る。  ルシア・ツァーリ国立魔術学園は王侯貴族の子弟だけが通える教育機関だ。ユリア以外の生徒はみんな裕福な家の子弟たち。だから生徒たちが着ている服はとても華やかで、美しい刺繍が入ったフロックコートやフリルたっぷりの絹のブラウスだ。  そんな明るく華やかな服装の生徒たちが、両手を伸ばし奇声を上げて楽しそうに小鳥を追いかけはじめた。 「捕まえろ!」 「小鳥狩りだぞ!」  鳥は激しく羽を動かして逃げつづける。壁にドスッ、ドスッと小さな体をぶつけた。このままでは弱って死んでしまうだろう⋯⋯。  ユリアは急いで踊り場の窓を開けた。 「さあ、逃げて!」  まるでユリアの声がわかったかのように、小鳥がスーッと窓に飛んでくる。そしてそのまま真っ青な空に逃げていった。 「よかった⋯⋯」  ほっとしたけど生徒たちの顔には怒りが浮かんでいる。 「チェッ! 余計なことしやがって!」 「どけよ!」  次々にわざとユリアにぶつかって舌打ちをしながら階段をのぼっていった。  ユリアは壁にピタリと背中をつけ体を小さくした。乱暴な生徒たちが行ってしまうと大きく息を吐く。 「⋯⋯紐がほどけそうだ」  ふと首元を見ると木綿のオメガ襟が乱れているではないか。押された時に紐がゆるんでしまったのだろう。 「オメガ襟が取れたら大変だ」  慌てて細い指先でオメガ襟をなおした。  オメガ襟——。  とは、オメガの首から出るフェロモンを抑えるためにつける襟のこと。  この世界には『男と女』とは別にもう一つの性別がある。  『アルファ、オメガ、ベータ』という三種類の性別だ。  最も人口が多いベータには際立った特徴はない。国民のほとんどがこのベータで、彼らは自分たちがベータであることを意識することなく暮らしている。  アルファ性は類まれな能力を生まれつき持っている。人口の一割ほどを占める。体力知力ともに優れているので、国家の中枢はこのアルファ性の者たちで占められるようになっていた。  ルシア・ツァーリ帝国の王侯貴族たちも、ほとんどがこのアルファだ。  そしてオメガはもっとも少ない性——。  体つきは男女ともに華奢で小柄。アルファのたくましい体とは正反対の姿をしている。  一番の特徴は思春期になると首筋からフェロモンが出るということだ。  このフェロモンがアルファ性の性欲を激しく刺激し、あまりの激しさにアルファたちが自分を制御できなくなるほどなので、成人したオメガはフェロモンを抑える『オメガ襟』をつけなければいけないと法律で決まっている。  いろいろとめんどくさいことが多い性がオメガなのだ。  オメガの中にはわざと『オメガ襟』を緩く巻いてアルファを誘惑しようとする者もいたが、ユリアはそんなオメガではなかった。  どのオメガよりも生真面目に『オメガ襟』を巻いていた。 「もうそろそろ教授がいらっしゃるかな?」  ユリアはオメガ襟をきっちりと巻き終わると教室へ向かった。  だけど途中で足が止まる。  ——なんだかちょっと、胃がキューっと痛いな⋯⋯。  お腹を押さえて顔をしかめた。  魔術の勉強は楽しい。だけどクラスメートたちからの虐めは日に日に激しくなっていて、教室に行こうと思っただけで体調が悪くなるのだ。  ——のんびりと歩いたら気持ちいいだろうなあ⋯⋯。  窓の外には美しい森と緑色に輝く湖が見えた。  外を見ながらぼんやりしていると、始業のベルが響きわたる。  ——ああ、授業が始まる⋯⋯。  ため息をつきかけたけど、すぐに可愛い唇をキュッと引き結んだ。 「よし、行こう! 虐めなんか無視すればいいんだ、頑張れ!」  自分を励まして階段を上がった。   ********  だけど、教室の扉を開けてすぐにユリアはガッカリした。  ——教授はまだ来ていない。もっとゆっくり来ればよかったな⋯⋯。 「お⋯⋯、おはよう⋯⋯」  囁くような声で挨拶をしながら教室に入る。  裕福な貴族の子弟が通っている学園だ。教室の雰囲気は庶民の学校とはかなり違う。  天井まで届く縦長の窓にゴブラン織りの美しい濃紺のカーテン。深く上品な色味のマホガニーの飾り棚には高価な本がずらりと並んでいる。  教授用のふかふかの大きな安楽椅子がひとつあり、その椅子のまわりに生徒用の優雅なソファがいくつも並んでいる。  ここはオメガ性の生徒が集められているクラスだ。生徒たちはみなオメガ襟をつけている。  宝石やフリルで飾られた美しい襟ばかりだ。  ユリアのような粗末な木綿のオメガ襟はだれもいない。  教室の一番後ろの自分の椅子に向かっていると、クラスメイトたちの刺すような視線がサッと飛んできてドキッとした。  ——はやく教授が来てくれないかな。  自分の席へ急ぐ。  すると、 「おい、ユリア!」  ひときわ派手な花模様の刺繍が入ったオメガ襟をつけた生徒が声をかけてきた。  足を組み、膝の上には高価な魔法書を広げ、羽ペンをもてあそぶようにクルクル回している。  ユリアの従兄弟のリドル・カレットだ。燃えるような赤毛で派手な容姿をしている。 「おまえのせいで、教室が臭くなったぞ」  リドルがニヤリと笑った。 続く ※このお話しは、Amazonで出版して頂いた長編異世界BL小説『お飾り妻と溺愛騎士団長』の元になった短編です。

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