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第9話(騎士団長視点)
騎士団長視点です
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ヴィクトル・シードロフ騎士団長の辞書には、恋や愛といった甘ったるい言葉は一切ない——と部下たちが固く信じているほどに、ヴィクトルは恋愛とは無縁に生きてきた男だ。
そう——。
オメガ令息のユリア・ニキーチェと出会うまでは——。
ヴィクトルは親孝行な息子で、だから母親からの結婚の催促を無碍にはできず、だからといって放っておくと次々に見合い相手がやってくるので、ほとほと困り果てていた。
そんなヴィクトルに、「契約結婚をなさってはいかがでしょうか?」と申し出たのは腹心の部下のニコライ副団長だ。
ニコライは黒髪に片眼鏡をかけたハンサムな男で、実はヴィクトル以上に恋愛に疎い⋯⋯。
ヴィクトルは最初は乗り気ではなかった。だれかをお飾りの妻にするなど、相手に対して失礼だと思ったからだ。
だけどニコライ副団長が、「ちょうどいい相手がいらっしゃいます。ユリア・ニキーチェというお方です。由緒ある家柄のオメガ令息なのですが、訳あって辛い境遇に置かれていらっしゃるようです。この方ならば、ある意味、人助けになるのではありませんか? ウィン・ウィン(お互いに利益があるの意味)ですよ、騎士団長——」と説得してきたので、ヴィクトルもその気になったのだった。
そして、きのう、ヴィクトルはその『不憫なオメガ令息』が通う魔法学園に行ってみたのだ。
最初はただどんな相手か見定めるだけのつもりだった。
けれども、黒髪に青い目の華奢な令息を一目見た瞬間に、信じられないことがヴィクトルに起こった。
——なんということだ、永遠が見えたぞ⋯⋯。
ヴィクトルの脳裏に、自分とユリアが楽しそうに語らっている姿、可愛らしい愛し子たちをふたりであやしている姿、嵐の夜に静かに寄り添っている姿、そして、ともに白髪になったふたりが仲睦まじく暖炉の前で手を握り合っている姿——が、次々に浮かんでは消えていったのだ。
それはまさに、『永遠』が見えた瞬間だった。
——結婚の誓いは永遠の愛を誓うことだという。俺は今、このオメガ令息とともに過ごす時間がすべて見えた。もしやこのオメガの令息は、俺の運命の番なのか?
ヴィクトルは今まで、誰かと永遠を分かち合うことなど一度も考えたことがなかった。
戦場で生きることだけが自分の任務だと思っていたからだ。
けれどもこの瞬間に、
——俺はこの人と永遠に生きる。
と強く感じた。
だから思わず、魔法学校の廊下で、
「結婚してくれないか?」
と声をかけてしまったのだった。
——俺はなんということをいきなり言ってしまったのだ!
口に出してすぐにヴィクトルは滅多にないほど慌てた。
戦場で敵に四方を囲まれて絶体絶命になったときですら落ち着き払っていた男が、激しく動揺した。
慌てて自分が結婚しなければ困る状況にいることをユリアに説明し、改めて、「契約結婚をしてほしい」と頼んだのだった。
そして今、深く悩んでいる。
——契約結婚はしたものの、いったいどうすれば、ほんとうの結婚をすることができるのだ?
恋愛とは無縁で戦いだけに生きてきた二十八年間だった。恋や愛の戦術はまったくわからない。
「うーむ、難しすぎる⋯⋯」
ヴィクトル騎士団長は腕組みをして呟いた。
ふと顔を上げると、円形の机のまわりの男たちが、じーっとこっちを見ているではないか。
——そういえば戦略会議中だったな⋯⋯。
心の中では少しばかり焦る。だけどそれを微塵も感じさせない落ち着いた態度で、ゴージャスな金髪をかきあげながら、「それで?」と、滅多にないほど美しい瞳で部下たちを冷たく見た。
若い部下たちは真っ赤になった。
隣に座っている副団長のニコライだけは、片眼鏡をクイっと指で上げながら聞いてきた。
「それで——ではありませんよ、騎士団長。難しいとはどういう意味か、説明していください」
「つまり⋯⋯、あれだ。王弟殿下がお帰りになると、いろいろと難しくなるということだ」
「たしかにそうでございますね、王の弟君のマイク王子が海外視察旅行からお帰りになったら、またなにか起こるかもしれません」
ニコライ副団長がそう言うと、他の部下たちも大きくうなずく。
ルシア・ツァーリ帝国の現在の国王はカルラ・エストランダだ。
銀色に輝く長髪のハンサムな王で頭も切れる。だがかなりの病弱だった。
一方、母親の違う弟のマイク・エストランダは野心家で、兄が病弱であることを利用してあからさまに王位を狙っていた。
国の安寧を守る騎士団の最高司令官のヴィクトルとしては、王と王弟の不仲は頭の痛い問題なのだ。
マイク王弟は視察旅行で海外に行っているので今は平和を保っているが、王弟が戻ってくれば問題が起こるのは間違いないだろう。
「マイク王弟殿下がお帰りになるのはいつだ?」
「再来月になるということです」
「ではまだ時間はあるな——」
ならば今は、もっと大事なことに集中しよう⋯⋯。
ヴィクトルはそう思ってまたつらつらと可憐な新妻のことを考え始めた。
ユリアは契約結婚の相手ではあるが、ヴィクトルの中ではすでに本物の妻なのだ。
——とにかく、少しずつ親しくなっていこう。だがどうすれば親しくなれる?
美しい顔にシリアスな影を浮かべて考える。
——プレゼントを買って帰るのはどうだろうか? そうだ、それがいい、そうしよう! 花束か? いや、花は屋敷にあふれている⋯⋯。ケーキはどうだろうか? たしか、街にケーキ屋があったはず⋯⋯。
「だれか、美味なケーキ屋を知らないか?」
「ケーキ屋でございますか?」
部下たちが驚いて目を丸くした。
隣のニコラス副団長は驚きすぎて声も出せないようだった。
会議の場がザワザワと騒がしくなっていくなか、ヴィクトルは忙しく考え続ける。
——苺ケーキがいいだろうか? いや、苺は昼食に食べたではないか⋯⋯。プティングか、それともシードケーキか?
「うーむ、難しい⋯⋯」
難しいと呟きながらも、この上もなく嬉しそうな笑みを浮かべている。
「騎士団長はなにをお悩みなのだろうか?」
部下たちの顔は青くなったが、ヴィクトルは生まれて初めての恋の季節に、幸せでいっぱいなのだった。
続く
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