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花ちゃん先生と牛乳〔前編〕
俺は私立昏迷高校の数学教師をしている弓削樹 だ。大学卒業後から勤続8年目の31になる。
あまり目立つのは好きではないのだが、ムダに身長が185cmもあるから、それ以上は目立たないようにと行動には気を遣っている。
例えば髪はオールバックにして、両目1.5の目にわざわざ銀縁のメガネを掛け、ブラックグレーのスーツに無難なネクタイを合わせて、なるべくクールに見えるよう言葉少なに会話を済ませるなどして。
そんな俺の職員室の隣に座ってくれるのは、学校のアイドル的存在•乙花 リト先生、通称花ちゃん先生だ。
彼は基本的には化学の先生なのだが、産休に入った家庭科の先生の代わりがどうしても見つからず、異例ながら家庭科の担当も兼任している。
互いに多忙な身の上だから、昼休みの弁当は貴重な癒しタイムだ。
午前の授業を終え、先に職員室で弁当を広げていると少し遅れて花ちゃん先生がやってきた。
「はぁー……」
コキコキと肩を鳴らして、目の下を赤く腫らしている。ふわぁーとあくびをして下瞼に涙が浮かんだ。
大きなお目目を手の甲でぬぐうと、柔らかそうな淡色の前髪が一緒に掻き乱された。
化学の授業の後なのだろう、グレーのシャツの上に大き過ぎる白衣を着ている。動くたびにわずかに、硝煙か何かの香りもする。
童顔のほっぺたはふっくらとしていて、いつもながら美味しそうだ。いっそパクリと食べてしまいたい。
「あっ弓削先生、お疲れ様です……」
今俺に気づいたかのように控え目に会釈をする。俺はろくに目を合わせず興味のない風を装い、いつものように、
「……どうも」
短く答える。
普段は手の込んだ弁当を作る花ちゃん先生は、珍しく買い物袋を机に置いた。中から出てきたのはあんパン一個と200mlの牛乳パック。ふた昔前の刑事のようだ。
花ちゃん先生はこの春に新卒で働き始めた妹さんの愚痴聞きで、昨夜は午前二時近くまで電話に付き合わされていたのだ。
そりゃ眠たいだろう、ほんとに良いお兄さんだよ。
……なぜ俺がそんなことを知っているかというと、俺と花ちゃん先生は同じアパートのお隣さん同士なのだが、大変ありがたいことにアパートの壁が超薄い。
ゆえに夜な夜な壁に聴診器を当てれば、あちらの物音は丸聞こえだ。
だが残念ながら、未だに花ちゃん先生のあられもない声を聞いたことがない。やはりその天使な見た目通り清楚な生活を送っているのか、或いはよほど声を殺してシてらっしゃるのか
。できれば後者であって欲しいところだ。
「……」
「……」
飯を食う音だけが響く。気まずい空気はわりと好きだ。この空気に耐えられなくなった花ちゃん先生が、話題をかき集めて懸命に話かけてくるちょっとかわいそうな姿を見られる楽しみがあるゆえに。
「え……と、……いやぁ、今日は眠くて参りましたよ。昨日、妹の愚痴に夜中まで付き合わされちゃって」
てへへ、とはにかみあんパンを頬張る顔をチラリと見る。大きすぎる白衣の袖がはからずも萌え袖になっていて、その袖でパンを持っている。
控え目に言って宇宙一可愛い!!!
あああ可愛い、可愛い過ぎて死ぬる!
そんな可愛らしくあんパン食う人間この世にいるんか!?
「……そうですか」
そーですかじゃねぇよ俺、もう少し気の利くこと言えよバカ、
「あっ……!」
ぴゅっとわずかな水音がして思わず振り返る。と、なんと牛乳パックから溢れた飛沫が、花ちゃん先生の頬やら口元を濡らしていた。
「……!!」
いい仕事をしてくれた牛乳パックー!!
その袖では上手く掴めなかったのだろうー、イェス不器用バンザイ!!
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