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第1話
一年中温暖な気候である王都ラダヴィアに数十年ぶりに雪が降った。子ど もたちは家を飛び出して雪合戦をして いるのを尻目に五歳になったばかりの ルイス・カーティは肩を落とした。
雲はどんよりと灰色で雪も埃のよう で美しくない。妖精が飛びながら雪の 結晶を降らせていた絵本とは違い、現 実はただの綿埃にしか見えず、しかも 水分を含んだ土はぬかみ歩きづらい。
おまけに寒い。
上着の下には肌着、 シャツ、ニットとしっかり着込み手袋 までしているが、剝き出しの鼻や耳が 冷たくなってきんと痛む。
両親に助けを求めようと顔を上げた が、二人の顔はいままで見たことがな いほど強張っていたのでやめた。
泥のついた靴を払いながら連れて来 られたのは街の中央にある城だ。
(ここはおうさまがいるところ)
自分が住んでいる粗末な木屋とは違 い、研磨され肌触りのよさそうな石垣 が灰色の雲に届きそうだ。 一目で住む世界が違うとわかる。
ルイスの背丈ほどありそうな大きな 剣を腰に携えた門番はジロリとこちら に視線を向け、あまりの恐ろしさに母 親の背中に隠れた。
「トック・カーティとアイリス・カ ーティです。こちらで使用人として働 かせていただいてます」
父親がそう言ってお辞儀をすると門 番は小さく頷き、門を押した。
両親は気後れする様子もなく門を潜 り、すれ違う使用人たちに会釈を交わ しながらどんどん奥へ進む。
突き当りの扉の前で止まり、父親は ルイスの視線に高さに合わせるように 屈んだ。
「いまから会う方に失礼のないよう にするんだよ」
「はい」
「でも仲良くもなって欲しい」
随分難しいことを言うなと思ったが、 五歳にとって両親は世界で唯一の安らぎを与えてくれる存在だ。その見返り として期待に応えなけれいけない。
父はうんと小さく頷き、扉をノック するとなかから男の子の声が返事をした 。
ゆっくりと扉が開きなかを覗く。部屋は見たことのない調度品で溢れていた。
テーブルや椅子、ソファやベッドだけでなく飾られている絵画や花瓶が 一生働いても手に入らない高級品がこれでもかと詰め込まれている。
部屋の中央にルイスと同い年くらいの男の子が立っていた。
銀色に輝く髪は光を吸い込んで白く 発光しているように艶を帯びている。
あまりの美しさに目を奪われた。
「ジン様」 名前を呼ばれて振り返った男の子の顔を見てさらに驚いた。
こぼれ落ちそ うな大きな両目はルビーのように赤い。この国では珍しい色の瞳。
余計に男の子への興味が湧いた。
「これが倅のルイスです。ジン様と同い年です」
母親に背中を押され、前に一歩踏み 出すとジン様と呼ばれた子の頬が濡れ ているのに気づいた。長い睫毛についた雫が妖精が降らせた雪の結晶のよう にキラキラと瞬いている。
ルイスのイメージ通りの雪だ。
手を伸ばして雫に触れるとルイスの 指に小さく乗った粒は輝きを失わずにいる。
「どこか痛いの?」
泣いていると思ったら身体が勝手に 動いた。 少しだけ小さいジンを抱き締めて、 頭を撫でる。
お気に入りのうさぎのぬ いぐるみよりも手触りがいい。
「大丈夫よ。あなたが世界で一番大 好き」
悲しいことがあるたびにいつも両親 がしてくれるまじないだ。大丈夫。大好き。この二つがあれば茎が折れて枯れた花でも再び咲き始めるような不思 議な力があった。
抱き締めた身体はずっと肩肘を張ってきたように固く、解すように何度も 撫でた。
両親が声にならない悲鳴をあげているのに気づいていたが、どうして泣いている子どもを放っておくのか理解できなかった。
いつもルイスが泣いた ときのように両親もジンを抱き締めて あげればいいのに。
「きみ、名前は?」
「ルイス。ルイス・カーティ」
「僕はジン・ベルンハルト」
「王様と同じ名前だね」
無邪気に答えるとジンは困ったよう に眉尻を下げた。なにか変なことを言ってしまっただろうか。
落ち着いた声音は大人になるざる負えなかった悲しさを含んでいるように聞こえた。
顔をあげるとジンの涙は乾いていて、 長い睫毛に縁取られた双眸が細められる。
「 ルイスの瞳は夏空を閉じ込めたみたいに青いんだね」
確かにルイスの瞳は青く、髪は金髪でこの国で一番多い色をしている。だから珍しいわけでもない。
まるでルイスの瞳が特別だと言っているような言葉に目を丸くした。
「ルイスを僕にちょうだい」
意味がわからない。まるでおもちゃをせびるような軽い口調のせいで言葉を咀嚼するのに時間がかかる。 返事に詰まっているルイスをよそに 両親の顔は花が咲いたようにぱっと明 るくなった。
「元々そのつもりで参りました。いずれはジン様の御側付きになるよう教育していきます」
「よかった。じゃあ今日からずっと 一緒だね」
その笑顔に細胞がぽこぽこと音をたてて活性化し、ジンの笑顔が身体に刻まれた。
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