7 / 86
Year 9 / Summer Term 「狙い打ち」
初め、あれほど口を利かなかったのが嘘のように、テディとルカのふたりは暇さえあれば言葉を交わすようになっていた。ほとんどは音楽の話だった――朝起きて着替えながら、授業の合間、昼食の時間、部屋に戻ってから眠るまでと、どれだけ語りあっても話題は尽きなかった。
好きなバンド、好きなアルバム、好きな曲、隠れた名曲だと思う曲――大好きな六〇年代、七〇年代のロックについての知識の交換がこの上なく楽しすぎて、授業中まで好きなギタリストのベスト5なんてことで頭をいっぱいにしていたくらいだった。
そんなふうにして常に一緒に行動していたおかげか、食堂で注がれる無遠慮な視線や校庭を歩いているときに指をさして聞こえよがしに云われる陰口も、あまり気にならなくなった。それでも偶に私生児 などという言葉が耳に届いて不愉快になることはあったが、当の本人がほとんど気にすることもなく「一九六八年は凄い年だ、名盤だらけだ」「一九六九年もいい勝負だよな」などと話して楽しそうにしていると、ルカも平静を保っていられた。
水曜日の午後はゲームという、体育の授業としてスポーツをやる時間がある。種目は季節ごとに違い、組織力、団結力を高めるために寮 対抗でやるのが通例で、他の学校へ行って試合をしたりすることもあった。
この日も予定ではクリケットをやるはずだったのだがあいにくの雨続きで中止となり、しょうがないので体育館でバスケットボールをやることになった。
PEキットの入った袋からショートパンツとハウスカラーのプラクティスシャツを取りだして着替え、ウォームアップジャケットを羽織ってぞろぞろと体育館に向かうと、その途中でエッジワースとオニールのふたりが後ろからルカの肩をぽんと叩いた。
「やったぜバスケだ。バスケならオークスの連中に一泡吹かせてやれるぞ。――よおヴァレンタイン、おまえスポーツはどうなんだ? なにかやってたか?」
ルカと話しているときほど饒舌ではなかったが、テディはエッジワースたちに対しても訊かれたことに答える程度には喋るようになっていた。
「ううん、なにも……スポーツはあんまり得意じゃない」
「あー、まあ、なんかそんな感じだよな。でもあんまり足ひっぱるんじゃないぞ」
「トビー、威勢がいいのはいいが、ガリ勉 共に怪我させるなよ。面倒臭いから」
各寮ごとに集まり、ストレッチや一通りの基礎練習を済ませると、十チームに分かれて練習試合をすることになった。
コートが三面あるので同時に三試合ずつ、つまり四チームはそのあいだ見学ということになる。ルカとエッジワース、オニールは同じチームになったが、テディは運悪くもうひとつのほうのチームに入れられてしまった。最初の組み合わせのなかにルカたちのチームはなく、テディのいるチームがプレイするので応援しようと、邪魔にならない場所に陣取って坐りこむ。
「あいつ大丈夫か? なんか早速孤立してるけど」
「うーん、大丈夫だろ。……あれ、なんか出ろって云われてるみたいだな」
体育教師のゴードンが、コートを指さしながらテディになにか云っていた。編入してから初めての体育なので能力が見たいとか、そんなところだろう。テディはちらりとルカのほうを見て苦笑しながら肩を竦めた。できればやりたくなかった、と思っているのが丸わかりだ。
「……なんかだめそうだな。ウィロウズチームは俺らだけでがんばるしかなさそうだ」
ゴードンは待機組のチームから何人か審判役を指名し、オニールもいちばん向こう側のコートの試合の審判を命じられた。セルリアンブルーのシャツを着たルカとエッジワースは眼の前のコートにバーガンディのTシャツが集まり始めたのを見て、相手がオークス寮のチームなのだと気づいた。
「頑張れよー、ツイットどもになんか負けるなよー」
「やめとけトビー、睨まれてるぞ」
オークスチームは作戦でも立てているのか、五人集まってなにやら話していた。そのなかで一際体格がよく、背も高い生徒がちらりとテディを見たのにルカは気づいた。ふと厭な視線と雰囲気を感じ取り、眉をひそめてコートの向こう側を見やると、オークスチームの控えたちがにやにやと嫌な笑みを浮かべていた。
顔を寄せて話しながら指しているのが、どうやらテディらしいということもわかった。――なにかするつもりなのだ。
「あー、ジャンプボールは不利だよな。マコーミックよりでかい奴なんかいないっての」
マコーミックはテディが初めて食堂に行ったとき、席を移動してちょっかいをかけていた生徒のひとりだ。ルカはますます心配になり、じっとテディを見ていた。
初めのうちは、試合は何事もなく普通に進められていた。ほぼ交互に点が入り、テディもボールを追いかけて走ってはディフェンスをしたりしていた。
その空気が変わったのは、テディにパスがまわってきたときだった。ドリブルしながら敵の脇を抜こうとしたそのとき――偶々引っ掛かったとかわざと脚をかけたというレベルではなく、思いきり掬いあげたという感じに右足を蹴られてテディが転倒した。嫌な予感がしていたとはいえ、想像を超えるあまりにも酷いラフプレイにルカは思わず目を瞠り、立ちあがって抗議した。
「おい審判! 注意しろ!!」
「なにしやがるコネリー! 今の絶対わざとだろ!!」
コネリーもあのときマコーミックと一緒に席を移動した生徒だった。エッジワースも立ちあがって怒鳴ったが、審判を務めているシカモアズチームの生徒は普通にファウルコールをしただけで、注意まではしない。ゴードンはいつの間にか別のコートに行ってしまっていて、目が届いていなかった。
痛そうに顔を歪ませてテディが立ちあがり、コネリーを睨むとつかつかと歩み寄っていく。
「おう、やっちまえヴァレンタイン! 一発喰らわしてやれー!」
「だめだろ、なに云ってんだ。止めないと――」
テディの意外な反応に驚きながらもルカが立ちあがると、同時にコネリーの前にマコーミックが立ちはだかった。自分より頭ひとつ分大きい、がっしりとしたマコーミックを見上げ、テディがぐっと唇を引き結ぶ。
「プレイ再開だ」
マコーミックの一声で、そのままスローインからゲームが再開される。
ルカはその場に坐りこみながら、まだなにか起こるんじゃないかという気がして、はらはらしながらじっとテディを目で追いかけていた。
そして、すぐにその予感は的中した。
パスが来るとそれを妨害しようとする態で体当りされ、ディフェンスをしていると振り向きざまに肘打ちして倒される。あからさまなラフプレイの連続にウィロウズチームの面々はその都度抗議したが、審判は普通に笛を吹くだけで、注意はしなかった。
「そうか、あのシカモアの審判やってる奴、奨学生なんだ。奨学金の管理やってる財団にオークスの連中の親がいるから、頭上がんないんだ」
「なんだよそれ、そんなことバスケに関係ないじゃないか」
ルカはテディと同じチームのコーエンに、もう交代させろよと云った。しかし。
「ちゃんと見ろよ、交代はさせようとしてるんだよ……ひとり入れるとコネリーが自分の傍の奴をコートから放りだしてしまって、ヴァレンタインはマコーミックにコートから出るのをずっと邪魔されてるんだよ」
「無茶苦茶だ、なんとかならないのかよ」
それでもいちおうお互いに点は入っていて、ずっとテディを見ていなければ異常にも気づかれない程度に試合も進んでいた。
27対23、あと八分で第二クオーターが終わるというとき、勝っているオークスチームがリバウンドから速攻で強いパスをだし、それをウィロウズチームがカットした。群がられて動けなくなり、だしたボールがテディのところに飛んでくる。ボールを持ったテディがどうしようかと考えるように慎重にドリブルをすると、眼の前にマコーミックが立ちふさがり、嫌な笑いを浮かべた。
「かかってこい、親なしのチンチョン野郎」
ルカにはマコーミックがなにを云ったのかまでは聞こえなかったが、テディの顔色がさっと変わったのはわかった。
からかうように大きく手を広げて行く手を阻むマコーミックの脇を、テディはドリブルをしながら抜こうと――したように見えた。思いきり強くドリブルしたボールは股を抜くのかと思いきや、見事にマコーミックの股間にヒットした。
声にならない叫びをあげて、両手で股間を押さえ脚を折り背中を丸め、蹲るようにしてマコーミックが倒れこむ。その肩口を勢いよく蹴飛ばし、ぐあっと呻いて仰向けに転がった自分より大きな躰に馬乗りになると、テディは髪を引っ掴んで頭を床にがんがんと叩きつけた。
「なにやってる、やめろ!!」
周りが騒然となり、コネリーや他の生徒もテディをマコーミックから引き剥がそうとする。ルカとエッジワースもすぐに駆け寄りテディを止めに入った。何人かはマコーミックを起こして心配そうに顔を覗きこみ、テディに向かって怒鳴っていた。そことは別にオークスチームとウィロウズチームの乱闘が始まって大騒動に発展し、体育館の反対側からゴードンが走ってくる。
「やめろやめろ! なにをやってるんだ、全員その場に坐れ! いったい何事なんだ!」
「そいつがボールを急所に当てたんです!」
「倒れたマコーミックの頭を床に叩きつけたんです! なんて野蛮なんだ、信じられない!」
それを聞いて我慢できなくなったのか、エッジワースが「どっちがだ!」と声を荒らげた。
「おまえらのほうが先に蹴ったりぶつかったりしてたくせになに云ってやがる! 俺らはここでずっと見てたんだぞこのクソ野郎どもが!!」
「エッジワース、言葉を慎みなさい! 今度その汚い言葉を使ったら反省文だ!」
「はぁ!? なんで俺だけ――」
ルカはテディを後ろから抱えるようにして押さえながら、小さい声で「なにか云われたんだろう? ちゃんと云えよ」と肩を揺さぶった。しかしテディはなにも云わず、躰を震わせ唇を噛みしめながら、マコーミックをじっと睨みつけている。
「誰か、マコーミックを医務室へ。ヴァレンタインは教職員室横の談話室まで来るように。いいな」
それを聞いて、ルカはテディを支えたままゴードンに云った。
「僕が付き添います。かまいませんか」
「付き添う? なんでだブランデンブルク。そんな必要があるか?」
「はい、あります。ひとつは、ヴァレンタインは怪我こそしていませんがまだ興奮状態にあるからです。それともうひとつ、人見知りが激しく無口なヴァレンタインに代わって、一部始終を見ていた自分がいろいろ説明できると思います」
ゴードンは暫しルカとテディのふたりをじっと見ていたが、やがて「わかった。じゃあ後でふたりで談話室に来るように」と云った。
ようやく我に返ったらしいテディが振り返り、申し訳なさそうな顔でルカを見つめる。
「怪我……してる」
「え?」
そう云ってテディは右足を前にだし、ソックスを下げた。
足首の内側が赤く腫れあがっている。
「なんだこれ、蹴られたときのか!? どうしてもっと早く云わないんだ」
「蹴られた……?」
そそくさとその場から離れていくマコーミックとコネリーを見やり、ゴードンは察して溜息をついた。
「……うん、結構腫れてるな……立って歩けるか? じゃあブランデンブルク、談話室へ行く前に医務室だ」
「はい」
ルカがテディに肩を貸して立ちあがらせ、大勢の視線が突き刺さるなか体育館の端を歩いていくと「なんだあいつら、できてたのか」と、背後から半笑いの声が聞こえた。呆れて云い返す気にもならず、ルカは無視してそのまま歩き続けた。が――
「チンキーのオカマ野郎は吹かすのがうまいらしいぜ」
聞こえてきたとんでもない言葉に、さすがに我慢できずルカは怒気も顕に振り返った。声の聞こえてきた辺りにはバーガンディのシャツを着た生徒が固まっていて、全員がなにも云っていないし聞いてもいないといった態度でルカから目を逸らした。さっき試合をしていなかったほうのオークスチームらしい。
ルカは立ち止まったままきっと睨みつけていたが、テディが足早に歩きだしたのに引っ張られ、その場を後にした。
一歩後ろを歩きながら、まあこれだけさっさと歩けるならたいしたことはないんだなと、ルカは足許のほうに気を取られていて――テディが顔を強張らせ、なにかを堪らえるようにぐっと唇を噛み締めているのには気づかなかった。
医務室に入ると、先に来ていたコネリーとマコーミックが同時にこっちを見た。
マコーミックは丸椅子に坐って、校医のパターソンに後頭部を診てもらっているところだった。がらんと広い消毒液の匂いのする部屋のなかにはもうひとり、ふくよかな年配の看護師がいて、ドアのところで立ち止まっているルカとテディに「はい、君はどうしたのかな?」と空いている椅子を勧めた。ルカは椅子のほうへテディを促し、「足首が腫れてるんで診てやってください」と云った。
ルカは思った――テディがあそこまでのことをしていなければ、そこに立ってるコネリーに蹴られたので、とまで云ってやったのに。
「うん、軽くたんこぶができてるけどなんともなってないぞ。冷やして、しばらくそこで寝てれば大丈夫」
パターソンがそう云うのを聞き、コネリーはマコーミックとちらりと目を合わせ、不服そうに云った。
「ほんとですか、頭ですよ? レントゲンとか撮りに行ったほうがよくないですか? その野蛮人にこうやって、床に――」
「あら、君がやったの? ずいぶん体格に差があるのに強いのね」
看護師がそういうのを聞いてルカはぷっと吹きだした。マコーミックは顔を真っ赤にし、コネリーは指をさして抗議する。
「そっ、そいつはだってボールを……! あんな卑怯な手で……!!」
「うん、元気そうだな。顔色もいいしまったく心配なさそうだ。じゃあ今アイスパックとタオルだすから奥で寝ててな」
笑ってはいけないと思い必死で堪らえていたが、妙に涼しい顔でそれを眺めている看護師と目が合い、たまらなくなってルカはくっくっと笑いだした。それに頭にきたのかマコーミックは立ちあがりルカに近づこうとしたが、看護師に制された。
「頭が痛いのに急に立ったりしないほうがいいわよ。さ、あっちのベッドを使ってね……あ、付き添いの子、もう戻っていいわよ。先生に云っといてあげてね」
忌々しげにルカとテディを睨みつけながらコネリーが横を通り過ぎ、マコーミックも歯噛みしながら奥のベッドのほうへ行こうとした。と、そのとき。
「……次は晴れるといいな」
テディが俯いたままぼそりと、しかしマコーミックにもはっきり聞こえる声で独り言のように云った。コネリーもマコーミックも振り返ってテディを見――顔に恐怖の色を滲ませて固まった。
テディがゆっくりと顔をあげてその様子をちらりと見ると、マコーミックは顔を強張らせたまま奥へと進み、しゃっとカーテンを閉めてしまった。コネリーもゆるゆると頭を横に振り、なにも云い返さず医務室を出ていった。
その様子を眺めながらルカは、晴れたらなんだというのだろうと暫し考えていたが、漸くその意味を悟ると目を丸くしてテディを見た。
――クリケットのボールでもし同じことをやったら……男としては想像もしたくない。
次は君の番、と診察台に上がらされたテディがソックスを脱いで足首を診てもらっているあいだ、ルカは滅多に来ない医務室の中を見まわしていた。
キッチンのようなシンクの周りにはなにに使うのかよくわからないいろいろな器具が置かれ、ガラスキャビネットの中にはたくさんの薬の瓶や小箱が入っていた。壁には健康に関する様々な啓発ポスターが貼られていて、記憶にある病院の診察室とほとんど変わりがなかった。
テディの足首も見た目ほどたいしたことはなく、湿布を貼ってきつめに包帯を巻くだけで処置は終わった。ただ帰り際、医務室を利用したときに記入するシートに名前を書いているとき、テディが頭痛がすると云いだした。
パターソンは、じゃあ鎮痛剤をあげようと看護師に指示をした。キャビネットの鍵を開け、取りだした箱から白い錠剤の包装シートをぱきっと割りちぎり、それを更に鋏で半分に切る。
「はい、グラス一杯くらいのお水といっしょに飲んでね。紅茶やコーヒーはだめですよ」
テディは渡された錠剤を手にしたまま、じっとガラスキャビネットのほうを見ていたが、やがて云った。
「すみません……これ、以前飲んで合わなかった憶えがあるんで……、赤い箱のほうか、ニューロフェンプラスないですか」
テディが錠剤を返そうと差しだした手を見て、看護師が途惑う。
「あら、今だしたのよりそっちのほうが強いわよ……かまいませんかね、先生」
「できれば三錠ほどもらっておきたいんですけど」
「それはだめだ。偏頭痛持ちなのか? それなら薬に頼るより、もっと根本から対策をしたほうがいいぞ」
結局パラセタモールを一錠もらって、テディとルカは医務室を出た。
それを見送ったパターソンが、くるりと椅子を回して看護師に向く。
「今の子、名前は?」
パターソンが尋ねると、看護師はクリップボードに挟まれたシートを見て答えた。
「セオドア・L・L・ヴァレンタイン君ですね。注意リストですか」
「うん。とりあえず寮の先生にだけ伝えておこうか。コデイン乱用の疑いありとね」
ともだちにシェアしよう!