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Year 9 / Summer Term 「多感な頃」

 寮制学校(ボーディングスクール)では、生徒たちの小遣いまでしっかり管理されている。事前に保護者が預けたり入金したなかから週に一回、だいたい十ポンドから十五ポンド程度を寮母から渡してもらうのだ。  それ以外にも、例えば眼鏡が折れたので新調しなければいけないなど、ちょっと高額なものを買う必要ができた場合は、必要と認められればそのぶんを渡してもらうことができる。  だが学校内で要るものは大抵購買店(タックショップ)に売っているし、そこの商品なら学生証を提示してサインだけすれば、保護者が学費といっしょに後から支払うということもできるので、普段はすぐ近くにある学校指定の小さな商店でお菓子や飲み物を買う以外ほとんどお金を遣うことはなく、生徒たちは皆、偶の外出日を楽しみに小遣いを貯めておく。  アッパースクールの生徒がロンドンの街に出るときは、必ず保護者か上級生(シックスフォーマー)に付き添ってもらわなければならないと決まっている。それ以外にも繁華街にはなるべく近寄らないこと、裏道や路地には入らないこと、買い物目的の場合は済ませたら早めに戻ること――など、いろいろと注意はされるが、実際は補導されるようなことをしない限り、街へ出てしまえば自由だった。  生徒たちは大英博物館やグリニッジ天文台に行ったり、マーケットに買い物に出かけたり、街を散策しながら本や雑誌を買うなどして、日頃の閉鎖的な空間で溜まったストレスを解消するのだ。  ルカとテディ、エッジワース、オニールの四人はそんな貴重な外出日の前夜、(ハウス)のコモンルームでお茶を飲みながら明日どうするかという相談をしていた。部屋のなかはルカたちと同じようなグループがいくつか固まって話していて、もう空いている椅子がないほどだった。  ざわざわと賑わうその空間を見まわし、ルカはあらためてなるほどな、と思った。確かにこのウィロウズの寮生たちは皆、平均以上の整った容姿をしていた。もっとも――テディ以上に欠点のない顔なんてないけどな、とルカは隣にあるその横顔をちらりと見て、顔にでないよう心を蕩かす。 「――やっぱり好きなもんは観たいよな。なあ、ルカ」 「は、えっ!?」  窓際に凭れて立っているエッジワースのその声に、ルカは動揺して持っていたカップを揺らし、ミルクティーを溢してしまった。 「あーあ、なにやってんだよルカ。話聞いてなかったのか?」 「え、いや……うん。ちょっと考え事してて聞いてなかったかも」 「ハンカチ、持ってるかい? なんなら貸そうか」  オニールがそう云ってポケットからハンカチを出しかけたが、ルカはズボンの少し色の変わった部分を手で擦って、「いや、少しだし……もう染みこんじゃったからいいよ」と答えた。 「で、なんの話だっけ」 「映画だよ。明日、映画観に行きたいなあって。俺、〈ボーン・アイデンティティ〉観たいんだよな。ああいうの好きなんだ」  なんだ、映画の話だったのかとルカはほっとし――テディがじっと自分を見ているのを感じて、目を合わさないようにエッジワースの顔を見て云った。 「映画かあ。俺は別にいいよ。映画観たってそのあと買い物する時間くらいはあるだろうし」 「ヴァレンタインは? おまえもちゃんとどこに行きたいか云えよ?」 「あ、うん……」  そう云われてテディは俯いて少し考え、なにか思いついたのか顔をあげた。  そのとき、年代物の長椅子に坐っているテディとルカのあいだに手をついて、ミルズが「明日の相談か?」と声をかけてきた。テディは云いかけた言葉を引っこめて振り返り、ルカは「ああ、ちょうどよかった」とミルズの顔を見た。 「明日、この四人で出かけたいので引率をおねがいできますか、ミルズ先輩」 「よろしい。引き受けよう……っていうかな、ルカ。こっちもちょっと頼みがあって……」 「ん?」  ミルズは一瞬周りを気にしてルカの肩に手を置くと、不思議そうな顔をしているルカに顔を近づけ耳打ちした。暫しそれを黙って聞いていたルカが、だんだんと眉間に皺を寄せ呆れたように口を開き、ミルズが離れると同時に「はぁ!?」と声をあげる。 「しっ、声がでかい……なあ、なんとか頼めないか。おまえらだってそのほうがいいだろ?」 「いや、それはまあ……。しかし、ねえ……」  ミルズとルカの様子を見ていた他の三人は、首を傾げそれぞれ顔を見合わせた。  ルカたちは、二十分遅れで無事に来たダブルデッカーバスに乗ってピカデリーサーカスまで行き、しばらく歩いてから二手に分かれた。紫がかったブルーのシャツにサンドベージュのチノーズでおとなっぽく決めたミルズはじゃあなと軽い調子で手をあげて、一緒に来たビーチズ寮の生徒と一緒に姿を消した。  それを見送りながら、ルカは思いきり呆れていた――ふたりでデートに行きたいのだが、違う寮の生徒を引率というのも、ふたりきりというのも怪しすぎてできないので紛れさせてほしい。そのかわり自分が引率したことにして、おまえたちは自由に街歩きしてくればいい――そう云われたときはてっきり、このあいだ夜中に一緒にいたオークス寮の生徒だと思っていたのだが、現れたのはタイプこそ似ていたが、違う相手だった。  同性同士でキスしようがデートしようが好きにすればいいとは思うが、それが毎回違う相手というのは……と、ルカのミルズに対する評価は急降下中だった。 「いや、しかし……驚いたな。ミルズがゲイだったなんてなー」  ルカとオニール、エッジワースとテディがそれぞれ並んで歩きながらエッジワースがそう云うと、うーんと小首を傾げてオニールがそれに答えた。 「ゲイかどうかはわからないよ。男同士でデートしたから即ちゲイってことにはならない……と、僕は思うんだよね。これがデートじゃなくってキスとかセックスでも同じで、セクシュアリティなんてものは結局、本人が自覚して申告しなけりゃ絶対にわかるものじゃないと思うんだ」 「おいデックス、おまえ、こんな往来でセ……とか云うなよ」  少し驚いてそう云ったルカにオニールは笑って続けた。 「ごめんごめん。……僕たちのいるような男子ばかりの学校は昔から同性愛の温床だなんて云われて、実際そういうカップルも結構いるだろ? でも、それは学校にいるあいだだけのことで、卒業したら普通に女性と結婚したりするもんなんだと思うんだよ。だからミルズも、単に今楽しめる範囲で楽しんでいるだけで、ゲイとは限らないんじゃないかって……そう云いたかったんだ」  後ろを歩いていたエッジワースが、ふむふむと少し考えるような仕種をして、一歩前に出た。 「つまりあれだ、ほんとはラムは好きじゃなくてビーフ派なんだけど、今手に入らないからしょうがなくラムを食ってるっていう――」 「「違う」」  同時に振り返ったオニールとルカの声が重なり、違うのかよ、とエッジワースは口先を尖らせた。  そのあとも、ムードメーカーのエッジワースがいつものように無駄話をしては賑やかしていたが、テディはどこか浮かない、昏い顔だった。それが自分の所為であることはルカにはちゃんとわかっていた――ルカはあの夢をみた日から、テディの顔をまともに見て喋ることができず、避けているのだ。  きっとテディは、自分がなにか気に障ることでもしたのだろうかと思い悩んでいるに違いない。しかしそれがわかっていても、今のルカには肩を並べて歩き、笑顔で話すことなどとてもできそうになかった。紅潮させた顔でぎくしゃくと不自然な言動をし、自分の気持ちに気づかれてしまうのではないかと、ルカは(おそ)れた。  テディが好きだ――それはもうしっかりと自覚していた。だからずっと友達として一緒にいたいと思ったし、自分でも認められないこんな劣情を抱いているなどとは決して知られてはいけないと、そう思っていたのである。だから同性愛の話など、今いちばん避けたい話題だった。  テディのことが好き、テディは同性、即ち自分は同性愛者? 偏見などなくても理解してくれる友人がいようとも、自分がそうであるかもしれないという現実に直面するのはまた話が別だ。 「どうしたんだいブランデンブルク。今日はなんだか元気がないようだけど」  もっとはっきりと元気のないテディをエッジワースがやたらとかまい、オニールがテディの代わりのようにルカの隣を歩いているのはそんな理由(わけ)があったからだった。ルカはそう訊かれて「うん、別に、そんなことはないよ」と答えたが、オニールはなかなかに鋭かった。 「ヴァレンタインとなにかあったんじゃないのか? 彼もなんだか様子が変だし」 「なにもないよ」 「でも……なんだか避けてるように見えるよ? いつもこんなふうじゃなかったじゃないか」 「気のせいだって。ところで今からどうするんだ、先になにか食べるのか」  コヴェントリーストリートを東に向かって歩き、ルカがそう云うとすかさずエッジワースが肩に手を置き、話に混じってきた。 「うーん、なにか食いたい気はするけど、やっぱ先に映画の時間とか、席が空いてるかどうか確かめないとなー」 「うん、上映時間によっては先に食べに行けばいいね」  結局、今日は映画を観ようということになっていた。オデオンシネマを目指してレスタースクエアを抜けようとしていたとき、不意にオニールがきょろきょろと後ろを見渡して、エッジワースに云った。 「ヴァレンタインは?」 「え?」  立ち止まって振り向き、ルカも辺りを見渡した。噴水の周りを往き交う人々のなかにもベンチにも、どこにもテディの姿はなかった。エッジワースも来た道を走って少し戻り、あちこち見まわしていたがそれらしき人影はみつけられなかったようで、すぐにまた戻ってくる。 「あいつどこ行ったんだ。はぐれちまったのか?」 「君が並んで歩いてたんじゃないか、どの辺まで一緒だったかわかるかい?」 「えー、どこまでだったかなあ……」  ルカはテディと初めて会った日のことを思いだしていた。あの日も構内を案内していたとき、テディはこんなふうに不意に姿をくらました。  あのときはピアノの音に惹かれてか、階段を上がって音楽室に行っていたのだった。なにか気を引かれるものがあると、ついそっちへ足を向けてしまう癖があるのもしれない……そう考え、ルカは通ってきた景色を思い浮かべた。  バスを降りてからしばらくは一緒に歩いていたはずだ。ピカデリーサーカスからコヴェントリーストリートをずっと来て―― 「……ウォーダーストリートだ」 「なに?」  ルカは来た道を駆けだした。 「ルカ、待てよ! あいつがどこに行ったかわかるのか!?」 「ウォーダーストリートだよ! きっとチャイナタウンへ行ったんだ」 「チャイナタウン?」  エッジワースとオニールは顔を見合わせて、慌ててルカの後を追いかけていった。  レスタースクエアを後にしてコヴェントリーストリートを一ブロック戻ると、大勢の人が往き交う賑やかな交差点の右手に、中華街(チャイナタウン)のシンボルである橙色の屋根の門が見えた。  テディはきっとあれを目にして、幼い頃の記憶を甦らせつい向かってしまったに違いないと、ルカは思った。門のところまで走り、ウォーダーストリートを真っ直ぐか、ライルストリートに折れたかと迷って立ち止まる。少し遅れて追いついたエッジワースとオニールが「どうだ、いたか?」と声をかけ、観光客で賑わう雑踏をきょろきょろと見まわした。 「二手に分かれよう。トビーとデックスはそっちのほうを見てきてくれ。俺は真っ直ぐ行ってみて、チャイナタウンを一周りしてくる」 「わかった。はぐれるといけないから、みつけてもみつけられなくてもそのあとはレスタースクエアに集合しよう。ヴァレンタインも最終的には向かっていた場所に行くだろうし」  そうしてふたりがライルストリートのほうへ駆けていくと、ルカはウォーダーストリートを左右を見まわしながら足早に歩いていった。  頭上に赤いランタンがずらりと飾られた赤や緑の派手な店が並ぶ通りを進んでいくと、また右に折れる道があり、そこに今度は黒っぽい屋根が見えた。どちらへ進もうかまた迷っていると――街灯の赤いポールの下に、黒いリュックを背負って立っている見慣れたダークブロンドの髪をみつけた。  ほっとして近づいていき、ルカは後ろからぽんとテディの肩に手を置いた。  心配して捜すことに必死で、このときは自分の挙動の心配は忘れていたらしい。テディが驚いたように振り向き、ルカの顔を――今にも零れそうなほど涙をいっぱいに溜めた目で見た。 「もう……捜したぞ。ひとりで勝手に――」  その顔を見て言葉を切り、ルカはしまったと思った。  捜すべきじゃなかったのだ。否、捜しはしても、みつけたからといってこんなふうにすぐに声をかけるべきじゃなかった。  テディは母親を喪ってからずっと、馴染みのない場所で他人に囲まれ過ごすことを強いられてきたのだ。  今だって人は大勢歩いてはいるが、そんなものはただの背景だ。この想い出の地で、ようやくひとりになってテディはやっとちゃんと悲しむことができたのだ。  それを、うっかり邪魔してしまった。ルカはそう思った。  しかし、テディは涙を拭ってごまかしたりはしなかった。 「――ルカ」  涙声でそう名前を呼ぶと、テディはルカの袖を掴み、肩に顔を埋めた。恥ずかしいから顔を隠させて。今顔は見られたくないけど、離れないでこうしていて。そう云われたような気がした。  だがルカは、かぁっと顔を赤くして咄嗟に手で押し退け、泣いているテディを突き放した。 「あ……」  同時に、ルカは自分がとんでもないことをしてしまったのだと悟った。  涙に濡れた長い睫毛が縁取る瞳を大きく見開いて、テディがルカを見つめる。その表情が瞬く間にすうっと色を失っていくのを見てルカは、早く謝らなくては、なにか云わなくては……と焦った。しかし、うまく言葉が出てこない。  呆然と立ち尽くし、俯いてしまったテディに「……俺、その――」とやっと言葉を押しだすと、同時に「あ、いたいたー!」とエッジワースとオニールがルカの来たほうとは反対から近づいてきた。 「よかった、ヴァレンタインと会えたんだね」 「まったく、どこに消えちまったのかと思ったぜ!」  テディは俯いたままだった。ルカは一瞬なんて間が悪いんだと恨みたくなったが、すぐに考え直した。  ふたりきりでいるより、四人で賑やかに歩いているほうがいいかもしれない。ルカはテディに云いかけた言葉を呑みこんだまま、ふたりに云った。 「どうしたんだおまえら。レスタースクエアで落ち合うんじゃなかったのか?」 「それがね、エッジワースがヴァレンタインを捜して走りまわっているうちに、食事を先にしようと云い始めてね……」 「だってよー、ここらってあちこちからいい匂いがしてきて、もうたまんねえんだもん。看板とか見ると値段も安くて、腹一杯になりそうだしさ」 「で、ぐるっと周ればヴァレンタインはともかく、ブランデンブルクには会えるだろうと思ってね。全員揃ってよかったよ」  四人はそのままチャイナタウンを散策し、『飲茶(ヤムチャ)』と書かれた看板の出ている広東料理の店に入って、早めの昼食にした。  テディはずっと俯き加減で元気のないままだったが、エッジワースやオニールが話しかければ返事をし、気を遣わせないよう普通に振る舞おうとしているようだった。  ルカはずっと、テディにいつ、どう云って謝ろうと悩んでいた。それでもエッジワースが場を盛りあげてくれたおかげで、叉焼包(チャーシューバオ)蝦餃(ハーガウ)鮮竹巻(シンチョッグン)などの点心料理を楽しく味わうことができた。  腹を満たし白茶もすっかり飲み干すと、映画はもう取りやめにしてショッピングに行こうという話になった。いちばん映画を観たがっていたエッジワースがそう云うのならと、誰も反対はしなかった。理由は「今、映画館なんかに入ったら俺、確実に寝る! チケット代を無駄にしたくねえ」からだそうだ。  映画を観ないとなるとかなり時間が余ることになる。四人はオックスフォードストリートからリージェントストリートをぐるりとまわり、イギリスではケミストと呼ばれるドラッグストアでキャンディやビスケットなど、学校近くの商店には売っていないお菓子をたっぷりと買いこんだ。  途中本屋やCDショップをみつけると、誰からともなく入ってそれぞれ好きなジャンルの棚へと散り、そこでも買い物をした。エッジワースは〈ワールドサッカー〉という雑誌、オニールは購買店(タックショップ)で扱っているものは気に入らなかったのだと云って、ラテン語の辞書を買った。  CDショップへ入るとテディも少し元気を取り戻したように見え、ルカもほっとしてなにか一枚買おうかどうしようかと物色していた。エッジワースとオニールは新譜の並んでいる棚のところにいたが、テディとルカは趣味がほぼ同じなので、クラシックロックの棚の間で互いに背を向けあって立っていた。  Aから順番にB、Cとこれといったものがないかと探しながら移動して、Hのところまで来たときだった。ルカはをみつけた瞬間、つい「あっ」と声をあげた。  思わず振り返ったテディに、ルカは棚から抜き出したそのCDを嬉しそうに見せる。 「ハニードリッパーズだよ、知ってる? ロバート・プラントとジミー・ペイジとジェフ・ベックがオールディーズのカバーをしてるアルバムなんだ。やったー、やっとみつけちゃったよ。買うしかないよな」  興奮気味にそう云うルカを暫し無表情に見つめ、テディはなにも云わずそこから離れていった。  テディの反応にルカは愕然として額に手を当て、またやってしまったと後悔と自己嫌悪の渦にずぶずぶと沈んだ。  ずっと欲しかったアルバムをみつけたからといって、どうして舞いあがって喋ってしまったのだろう――先にさっきのことを謝らなければいけなかったのに。これではテディが呆れて離れていっても当たり前だ。  猛省しつつ、それでも〈The Honeydrippers(ザ ハニードリッパーズ): Volume One(ヴォリューム ワン)〉はしっかりと買い、入り口付近にいた三人に合流する。  ヘイマーケットからポールモールイーストへ出ると、ちょっと休憩しようとオニールが云った。ちょうどサンドウィッチとアイスクリームを売っている店があったので、それぞれ好きなフレーバーのアイスクリームを買ってトラファルガー広場へ向かった。  噴水の縁に並んで腰掛け、涼し気な水の音を聞きながら風に当たり、足を休める。テディは一番端に、その隣にエッジワース、オニール、ルカの順に坐っていた。 「――俺、夏休みはチャーチアーミーのサマーキャンプに行くことにした。四週間コースで」  いちばん先にアイスクリームを食べ終わったエッジワースがそう云うと、オニールが顔をあげた。 「家には? 君、確か妹が生まれたばかりなんだと云ってただろう」 「だからさ。赤ん坊のぎゃあぎゃあ泣いてるところになんてなるべくいたかねえや。おやじに訊いたら勝手にすればいいって云ったしさ。キャンプが終わったらいちおう帰るけど、帰ったらバイト探そうって思ってるんだ。――おまえは家に帰るんだったなデックス。帰って愛しのエミリーを撫でまわすんだったよな」 「エルシーだよ」  そうだっけ、と肩を竦めてエッジワースは「甘ったるいもん食ったら飲み物が欲しくなったな。ちょっとあそこの店でなんか買ってくるわ」と、ひとりでダンキャノンストリートに出ている露店に向かって歩いていった。 「なんだあいつ。赤ん坊が生まれたんならゆっくり家にいて、親の手伝いでもしてやりゃいいのに」  ルカがそう云うと、オニールがうーん、と少し唸って「僕から聞いたって云わないでくれよ?」と云った。いったいなにを云いだすのかと、ルカは少し途惑いながらもオニールに向かって頷く。 「……エッジワースの今のおかあさんは本当の母親じゃないんだよ。後妻さんなんだ」  ルカがオニールの顔を見ると、同じようにこっちを向いたテディと目が合った。 「彼は、最初は普通に家から通える公立の学校に行くつもりだったのが、おとうさんの再婚が決まって寮のある学校に希望を変えたそうだよ。新婚時代を作ってやったんだとエッジワースは云ってたけど、本当のところはいきなり他人の女性が家に入ってくることに抵抗があったんだと思う。普段あんな感じだけど、エッジワースもあれでなかなか人に云えない悩みを抱えてるんだよ」 「……知らなかった」 「で、君は夏休みはどうするんだい。ブランデンブルク」  そう訊かれて、ルカはオニールの向こう側のテディをちらりと盗み見た。テディは俯いて、じっと手に残ったアイスクリームのスプーンを眺めているように見えた。 「夏休み……はともかくさ。デックス、おまえ、いいかげんファミリーネームで呼ぶのやめたら? みんな愛称で呼び合ってるのに、なんでおまえは自分が呼ばれるのはいいのに、呼ぶのはいやなんだよ」 「いいじゃないか。僕はこのほうがいいんだよ」 「頑固な奴」  夏休み――自分もいいかげん、決めなければならない。  ルカは考えていた。まずはテディに謝って赦してもらい、また友達としてやっていけるなら、自分もすぐに家になんか帰らずサマーキャンプでもサマースクールでもなんでもいいから、一緒に夏を過ごしたい。  海の傍のキャンプなんていうのもいいだろうなあと漠然と思い浮かべる。普段閉じこめられている煤けた赤茶色の煉瓦と鬱蒼とした緑とはまったく違う、澄んだ碧と白い砂。波のさざめく音を聞きながら、水平線に落ちてゆく夕陽を一緒に見て、焚き火の傍で砂浜に寝転がって星空を見上げたい。  そして伝えたい、自分がどんなにテディのことを想っているのかを―― 「違う」 「ん? なにか云った?」 「いや……なんでもない……」  何故か途中から頭のなかで〝Sea of Love(シー オヴ ラヴ)〟が鳴っていた。  なにを考えてるんだ俺は、とまたもや自己嫌悪に陥りながら、告白してどうするんだ、というか絶対できない、と悶々とした。  機会的だろうがなんだろうが、男同士でそれが叶う確率なんて、とルカは思い、そして――不意に、ミルズの顔が頭に浮かび顔をあげた。

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