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Year 9 / Summer Term 「ミッドナイト・ランブラー」

 ルーカス・ブランデンブルクとセオドア・ヴァレンタインはつきあっている――そんな噂が、(ハウス)はおろか校内中で囁かれるようになったのは、夏季休暇(サマーホリデイ)をどう過ごすかという話題で皆が浮き足立っている、六月も半ばを過ぎた頃のことだった。  実際はただ友人として仲直りしただけだというのに、テディがどこに行くにもなにをするにも片時もルカから離れずぴったりと寄り添うようにして、ときには腕まで絡めてきて歩くので、それを目にしたクラスメイトたちが『できてる』と指をさし、口笛を吹いて囃したて始めたのだ。そして、それがすっかりということになって、アッパースクール全体に知られているような状態になっていた。  最初のうちルカはもちろんそれを否定したが、誰も本当に彼らふたりがまだ恋人関係にないなどとは信じなかった。そのうちルカは諦めた――自分たちの姿が窓硝子に映ったのを見て、そう云われるのもしょうがないと気づいたからだ。  隣に立っているテディは以前のように俯いてもいず、無表情でもなくなっていた。ふと目をやれば自分に向けてくる微笑みはさながら少女のように可憐で、どうかした? と小首を傾げるその仕種は手練手管に長けた娼婦のように蠱惑的だった。  ルカはそんなテディの魅力にますます参ってしまうばかりで、いろいろ噂されるから離れろなどとは、まったく云う気になれないのだった。 「――空き、ですか?」  ある日のこと。夕食後のミーティングが終わると、ハーグリーヴスがルカとテディを呼びとめた。扉の外で他の生徒たちが部屋に戻っていくのを横目に話を聞くと、なんでもサフォーク州にあるマナーハウスを利用して開かれている人気のサマーキャンプに、急なキャンセルによる二名の空きが出たという。  ロンドンから七十四マイルほど北東の、海岸線に面した広大な敷地にあるその場所では乗馬やアーチェリー、クライミングとアブセイリング、フェンシング、ライフルシューティングの他、近くを流れるデベン川でカヌーなども楽しめるらしい。 「以前云ってたスクールのほうはもう残念ながら定員で締め切りになったし、こんなラッキーは滅多にないぞ。もうここに決めないか」  聞いているだけで少しわくわくして、ルカはテディの顔を見た。テディもまんざらではないようで、ルカと目を合わせて小さく頷いた。それならもう、断る理由はない。 「わかりました。それに申し込みます……よろしくおねがいします」  自室に戻ってからルカは早くもサマーキャンプのことで頭をいっぱいして、少し浮かれ気味に云った。 「アーチェリーとかライフルとか、結構楽しみかも。俺、ずっと前にサマーキャンプには行ったことがあるんだけど、そのときはもっとアウトドアな感じっていうか……山歩きとか虫捕りとか、厭な想い出しかなくて敬遠してたんだ。でも、今度のは全然違うみたいだな」 「うん、俺も乗馬はしたことがないから楽しみだよ。クライミングとかはちょっと……できるか不安だけど」 「あ、俺ピアノやるんで指は困りますって見学するわ」 「狡いな」  テディが笑う。ルカも自然と笑みを溢し、そのまま顔が戻らないのをごまかすためにデスクに向かった。テディが自分に笑顔を向け、楽しそうに話してくれるだけで幸せでたまらない気持ちになるのだ。  ふたりでサマーキャンプに参加――それも、キャンセルしたのが親子参加だったらしく、二人部屋を使えるという。それも、マナーハウスの。 「あ……スイムパンツとか要るのかな。持ってないけど……」 「海辺だし川もあるし、要るかもな。カヌーとかっても云ってたろ? 出発までに買いに行こうか」  いつものように小さく音楽をかけながら、それぞれのデスクで宿題を片付ける。今日は海からの連想だったのか〈The Beach Boys Today(ザ ビーチ ボーイズ トゥデイ)! 〉をかけていた。  夜九時頃まではいつもそうして、音楽を聴いたり喋ったりしながら勉強をする。規則では、十時までにはシャワーや着替えを済ませベッドに入っていなければならないのだが、そんな早い時間に眠る生徒などよほど疲れている日でもない限り、ほとんどいなかった。  十時半頃になると消灯見廻りがあるので、足音を聞いて慌てて明かりを消しベッドに入ったりするが、まだ起きているのがすぐにばれ、見廻りに来た舎監教師(ハウスマスター)とおやすみの挨拶を交わすこともある。次に見廻りに来るのは零時過ぎで、朝の七時半頃にはまた朝の点呼があるので六時半から七時のあいだには起きて身支度を整えなくてはならない。  この日ルカは、まだしばらく先のことなのに頭からサマーキャンプのことが離れなくて、まったく眠れそうにない夜を過ごしていた。やがてことりと微かな音がしてドアが開き、廊下のオレンジ色の灯りが暗い部屋のなかに滲んだ。それを薄目で見るとルカは、ああもうそんな時間なのかと思いながら面倒臭いので眠ったふりをした。  ハーグリーヴスが出ていくのを待ち、ぱたんとドアが閉まる音がするとルカはやれやれと寝返りを打った。同時にぎしっとベッドの軋む音がして、大きく息を吐く気配がした。なんだか気になって、ルカは「テディ? 起きてるのか?」と、寝転んだまま声をかけた。 「うん……ルカも起きてたの? ……そっちへ行っていい?」 「え」  そっちへ行くとはどういうことだろう、と思っているうちに、もうテディはルカのベッドまで来てブランケットを捲っていた。ええっ!? と思って半身を起こしかけるとテディがもうベッドに上がってきていて、ルカの隣に躰を滑りこませてくる。 「ちょ、テディ……どうしたんだよ。なんで――」 「おねがいルカ。ちょっとだけ……こうしていさせて」  テディはルカのパジャマの裾を握りしめて横になると、ほっとしたように小さく息をついた。 「ごめん、俺……その、なんていうか……苦手なんだ。寝てるところに人が入ってくるのが……」  頬を染めて狼狽していたルカも、テディのその云い方があまりにも切実そうだった所為か、すっと熱が冷めたように落ち着いた。  端へ寄って横になり、肘で頭を支えてテディの顔をじっと見つめると、少し怯えたような色を浮かべているのに気づく。 「まあ、こんな寮でもない限り、普通は寝室に人が入ってくるなんてことはないもんな。……あ、そういえばなんかそういう映画があったかな。家に何者かが入ってくる気配がして、子供がベッドの下に隠れて……みたいな」 「……あったかもね。ホラー?」 「ホラーだね。テディって怖がり?」 「……本当にそんなことがあったとして、怖がらない奴なんているのかな」  ルカは少し考えて「ふたりでいれば怖くないよ」と答えた。  テディは一瞬ルカを見つめ、それからくすくすと笑いだし、安心したように目を閉じた。  そんなテディの顔を間近に見ながらルカは、なぜか穏やかな気持ちでいる自分を不思議に感じていた。今日はこんな状況でありながら、下半身のほうもおとなしくしているようだ。  寝息をたて始めたテディに手を伸ばし、触れるか触れないかというくらいの微かなタッチでそっと、柔らかな髪を撫でる。反応がないのでもう眠っているんだなと思い――その途端、むくむくとある衝動が湧きあがってきてルカは困惑した。  キスしたい。  その(まなじり)に、頬に――唇に?  まさか、寝てるあいだにそんなことできるわけがないとルカは、すぐに頭に浮かんだその想像をかき消した。  噂を否定したときも、何度も云ったことだった。自分たちは恋人同士ではない、ただのルームメイトで、友達だと。でも……こうやって傍らで眠っているテディが愛しくて愛しくて、もう可愛くてたまらない。この感情をいったい、どうすればいいのか。  そう悩みながらルカは、テディの顔がだんだん近づいているのを感じていた。否、自分が顔を寄せているのだ。だめだ、テディは自分を頼って、信頼してベッドに入ってきているのに、こんなこと許されるはずはない。自分に言い聞かせるようにそう頭のなかで唱えるが、しかしもう止まらなかった。  自分の唇がそのマシュマロのような柔らかさの頬に触れたとき、ルカは震えるように息を吐き、髪を撫でた手をテディの肩口について――思い切るように仰向けになって寝転んだ。  仲直りできて、告白してもこうして友達でいられて――ちょっと過剰に懐きすぎな感は否めないが――なんだかテディは自分を頼ってくれている。それはとてもよかったと思う。  しかし、やはりこんな関係のままでいることは、自分には無理があるのだとルカは思った。まったく警戒をせずに自分のベッドに入ってくるテディの純真さに比べ、自分はなんて汚れているんだとさえ思った。本当はテディにキスしたいのに――キスだけじゃない。抱きしめて、力いっぱい抱きしめて、それから―― 「……やばい」  せっかく今日はおとなしいと思っていたものが、うっかり莫迦な想像をした所為でむくむくと元気になってしまった。これじゃまた眠れない……もうシャワーも使えない時間だし、隣にテディが眠っているのではどうしようもない。ルカはまた悶々としながら、これからどんなふうにテディとつきあっていけばいいのか考えた。  もしも自分がテディにつきあいをしたいんだと云ったら、テディは応えてくれるのだろうか――信じられないものでも見るような目で見られ、後退って背を向けるテディの姿が頭のなかに浮かんだ。  ルカは袋小路に迷いこんだような気分できゅっと目を閉じ、腕で顔を覆った。        * * *  逃げるテディを追って、ルカは暗闇のなかを走っていく。何度も振り返りながら走るテディを追いかけていると、いつの間にかどこか知らない部屋にいた。ソファとテーブル以外はなにもない、がらんとした部屋だった。  ナッツや惣菜のパックが散乱し、空になった酒の瓶やグラスが置きっぱなしになっているテーブルを見て、その見苦しさに顔を顰める。何故か、足許からぞわぞわとなにかが這いあがってくるような、厭な感じがした。  顔をあげると、奥のほうにドアがあるのが見えた。そこから漏れていた細い光がふっと消えるのを見て、テディは彼処かと近づく。しかしドアを開けたそこには、おかしなことに誰の影も見当たらなかった。  暗い部屋に入っていくと、なにか雑誌のようなものを踏んだ感触がした。ふと床に視線を落とす――暗がりに目が慣れたのか、他にも本や服などが雑多に散らばっていることに気づいた。椅子に服が何枚も掛けられているのは、この部屋にワードローブやチェストの類いがない所為なのだろうが、それにしてもだらしがないとしか言い様のない部屋だった。  家具が異様に少なく乱雑な、妙に歪な印象を受ける部屋のなかを見まわしながらベッドに近づく。そしてルカは、ブランケットをばっと捲った。そこにはやはりテディはいない――が、まだ微かに温もりが残っていた。  なるほど、そこにいるのか。  不意にテディの居場所がわかって、ベッドの下を覗きこむ。  視線の先に、恐怖に顔を歪めるテディをみつけたその瞬間――頭の後ろで目覚まし時計の音が鳴り響き、ルカははっと目を覚ました。 「――俺がその役かよ……」  なんだか眠ったような気がしない。やけに口のなかが渇いているのを感じ、額に手を当て溜息をつきながら、ルカは半身を起こして部屋を見まわした。テディは既に起きだして歯磨きでもしているようで、バスルームのほうで水音がしていた。  ――違う。自分はテディと一緒に、ベッドの下で怪物をやり過ごす役でなければいけないのに。  なんだか最悪な気分で、ルカは寝不足な頭を振りながらベッドを出て窓を開けた。

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