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Year 10 / Autumn Term 「Sweets for My Sweet」
「――後ろの荷物は全部下ろしたの? 忘れ物はない?」
「ああ、全部下ろしたよ。大丈夫」
クラシカルな革製のラゲッジと、サマーキャンプにも持っていっていた大きめのトラベルバッグを白のメルセデスから降ろして、ルカは頷いた。
「やった、これいらないんだ……帰ったら食べようっと」
「ひとりで食べる気? 肥るわよ。私も一緒に食べてあげるわ、貸しなさいレクシィ」
「あっおい、ジェルボーよこせ。いらないわけでも忘れてたわけでもないぞ、最後に受けとろうと思ってただけだ――ロティ、強引に取るな! レクシィも離せ」
揃いの淡いローズ色のリボンで束ねた長い髪を振り乱しながら後部座席の少女たちが暴れ始めると、運転席から一喝する声が飛んだ。
「ロティ、レクシィ! おとなしくしないと、ロンドンでお買い物するのをとりやめるわよ」
「私、なにもしてないわイヴリン。ルカが忘れるからいけないのよ」
「私も悪いことはしてないわ。レクシィが独り占めするから、取り返してルカに渡そうと思っただけよ」
「あー、もういいからよこせって! まったくおまえらはいつもいつも……」
妹たちの手から紙袋を取りあげると、ルカはやれやれと溜息をついた。
「レクシィもロティも、そんな調子でイヴリンを困らせるんじゃないぞ」
「平気よルカ。云うこと聞かなかったら洋服を買ってあげないですむし。――ね、そうよね?」
イヴリンと呼ばれた、短くした赤毛が個性的な女性が運転席から後ろを振り返ってそう云うと、双子たちは途端に静かになった。
くすっと笑ってイヴリンがルカに向く。
「じゃあね、ルカ。ちゃんと仲直りするのよ」
「うん。ジェルボーありがとう」
構内の舗道には他にも車が何台も停まっていて、新入生らしき大きめのブレザーを着た少年と保護者が車から荷物を降ろしていた。メルセデスはその脇をゆっくりと前に進み、一周して去っていった。
それを見送るとルカは、荷物を抱えラゲッジを押して寮 の前で立ち止まり、久しぶりに見る赤茶色の煉瓦造りの壁と柳の木を見上げた。
ここへ早く戻りたいなどと思ったのは、初めてのことだった。
寮のなかへ入ると見慣れない顔がたくさんうろついていて、新しい監督生 たちがなにやら指示をしたり、私物のチェックをしていた。そのなかにはキングス・カレッジ・ロンドンへ進学したルーカスに変わって寮長 に選ばれたミルズもいた。目が合い、お互いに軽く片手をあげるだけで挨拶を済ませて擦れ違う。
階段を上がると、廊下には仮置きされているらしい本や衣服の詰まった箱が積まれていて、大勢が行ったり来たりと慌ただしく引っ越し作業の最中だった。多くの寮制学校 と同じく、ここセント・ローレンス・ウィンスタンリー・カレッジでも年齢の低い生徒は初め六人で大部屋を使い、学年が上がると四人部屋、二人部屋、シックスフォーム課程まで上がれば一人部屋を使えることになっていた。
新年度の始まるこの日、生徒たちが荷物を抱えて部屋を大移動するのは風物詩のようなものだ。ルカとテディのように割高な寮費を払って、最初から二人部屋を使っている生徒は移動の必要はないが、それでも長い夏休みのあいだ、学校がサマースクールを開いて短期留学生を受け入れるのに使用するため部屋は空にしておかなかればいけないので、かかる手間は同じである。ただ一部の物は名前を書いた箱に詰めて、物置として使われている端の部屋に預けられるので、すべてを持って帰らなくて済むのがありがたい。ルカとテディもそうしていた。
「よおブランデンブルク。おかえり」
「そっちもおかえり。ごくろうさんだね」
荷物を持ってばたばたと移動する寮生と足許に置かれた物の合間を縫って、ようやく自室の前に立つとルカは一度、ふぅ、と深呼吸をした。こんこんとノックをし、そっとドアを開け部屋のなかを覗く。返事はなかったがどうやら人の気配はあるようで、とりあえず、とルカは荷物をすべて運び入れ、ドアを閉めた。
「テディ?」
テディはベッドの上に横たわって眠っていた。戻ってきてすぐ疲れて寝てしまったのか、ラゲッジやダッフルバッグが傍らに置かれたままだった。
まったくしょうがないなと苦笑しながら紙袋をテーブルの上に置き、声をかけながらそっと揺り起こす。
「テディ、テディ起きて。片付けてしまわないと、あとで見廻りが来るよ。おい、テディ――」
少し身じろぎ、薄目を開けて一瞬びくっと驚いたように見えたが、テディは「ルカ……?」と呟くと手を伸ばしてきた。袖を掴んで引き寄せ、途惑うルカの頸に腕を掛けるとそのまま抱きついてくる。
「え、おい、テディ――」
「ルカ……よかった、やっと……」
そこへがちゃっとドアの開く音がして、同時に「すみません、先輩! ベッドの裏にピンナップが貼ったまま――」と声がした。ベッドの上で抱きあっているかたちのふたりがはっとして声の主のほうを見るのと、黒縁の眼鏡をかけた新入生らしいその生徒がぽかんと口を開けて固まるのは同時だった。
「――す、すみません!! 部屋を間違えました! 失礼しましたっ」
顔を真っ赤にして回れ右し、部屋を飛びだしていくその様子を見て、ルカとテディは顔を見合わせ吹きだした。
「……変なとこ見られちゃったな」
「ま、どうせ噂になってたし、いいけどね」
ベッドから離れたルカを見つめ、テディはベッドの端に腰掛けた。
「……おかえり」
「ああ、テディもおかえり。――それと、謝ろうと思ってたんだ、サマーキャンプでのこと。……俺がガキだった。悪かった」
テディはなんだか不思議そうに瞬きをして、そして微笑んだ。
「俺はなんにも……怒ったりとかしてないよ。怒ってたのはルカのほうじゃないか。……変なことして、驚かせちゃってごめん」
「いや、うん……確かに驚いたけど、テディも謝ることなんかないんだよな。……よし、もうこの話はおしまい! そうだ、ジェルボー持ってきたんだ。ハンガリーのお菓子、知ってるだろ?」
「ジェルボー?」
テディが小首を傾げるのを見て、ルカは紙袋のなかから透明なフィルムの掛けられた箱をふたつ取りだした。元々はひとつの箱であったらしいそれの一方にはいろいろな形のビスケット、もう一方にはチョコレートでコーティングされた小さなケーキがぎっしりと入っていた。それを傾けて見せて、ルカは云った。
「これ。食べたことないか? アプリコットジャムとクルミのケーキだよ。イヴリン……うちの叔母が料理好きでお菓子作りも得意なんで、頼んだんだ。あとで一緒に食べよう」
「手作りなの? すごいや、こんなの作れるもんなんだ……。ごめん、俺のほうはお土産もなにもないけど……」
「いいんだよそんなの。俺は、その……ずっと謝りたかったし、なにかテディの喜びそうなことがなにかないかなって考えてただけなんだ。で、甘いもの好きそうだったから、これならどうかと思って」
テディはその大きな灰色の瞳でじっとルカを見つめ、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ありがとうルカ。俺、ルカと同じ部屋で本当によかった……」
その表情を見て、思わず頬が緩むのをごまかそうとするかのようにルカは片手で顔を覆って頬を掻くと、さて、と置いたままになっている荷物を見やった。
「さ、とっとと片付けちまおう。また監獄生活の始まりだ」
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