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Year 10 / Autumn Term 「胸騒ぎ」

 授業のあいだじゅう、ルカは隣の空席を見つめてあれこれ考えこんでいた。食堂を出てからすぐ忘れ物をしたと云って自分たちと別れ、(ハウス)に戻っていったテディがそれきり、授業が始まっても姿を現さないままなのだ。  忘れたと云っていたものがみつからなかったのか、それとも単に気が乗らずすっぽかしたくなったのか。以前トイレで囲まれていた一件が脳裏を過ぎり、まさかまたなにかあったのじゃないだろうなと思ったが、今は授業中、それもまだ一時限めだ。あれからコネリーが休学――小さい頃からの持病が再発したとのことだった――していなくなっていた所為か、マコーミックたちも妙なちょっかいをかけてこなくなっていたし、今更授業をサボってまでなにかしようとする奴がいるとは思えなかった。  そしてルカは、次に鎮痛剤の件を思いだした。あれからもう五ヶ月ほどが経っている。またどこかで手に入れてきた薬を隠し持っていて、無茶な使い方をしているんじゃないだろうなと考え――否、それはないなとすぐに打ち消す。もしそうであれば、ミルズに頼んで睡眠薬を一錠ずつもらうなんてことをしなくていいはずだからだ。  うん、違う。大丈夫だ。ルカは思った。きっと探し物が思っていたよりも時間がかかってしまって、遅刻するくらいならとサボることにしたとか、そんなくだらないことに違いない。  そう思いきろうとするのに何故か、ベッドの上に散らばった白い錠剤とテディの姿が瞼の裏にちらついて離れなかった。大丈夫だ、まさか、それはないと自分に言い聞かせ、なんとかそれを打ち消そうとするのだが厭な想像は膨らみ続け、妙な胸騒ぎは授業に集中することも許さなかった。  どうせ頭のなかになにも入ってこないなら、このままこうして教室にいる意味はない。そう自分で自分の背中を押すと、ルカはがたんと席を立ち「すみません、気分が悪いのでちょっと失礼します!」と、教師の返事も待たずに教室を出て、三、四歩ほど歩いたあと矢も盾も堪らず駆けだした。        * * *  ソファのアームレストに肘をついて躰を預け、テディは声をあげないように袖を噛んでいた。  (ケイン)についていた埃を水で洗い流したために、湿り気を帯びた細い籐は更によく撓った。剥きだしにされた白く形の良い尻めがけてミルズが鞭を振るうと、撓ったそれがひゅっと鳴ってぴしっ! と、赤い線を残した。  初めは音と衝撃だけを感じ、一呼吸遅れて焼けつくような痛みと熱さがやってくる。テディは必死に歯を食いしばって、それに耐えた。あと四回、あと三回――そうして必死に耐えるテディに、ミルズは自分でも気づかないうちに加虐心を煽られ、興奮を覚えていた。  腕を大きく後ろへ引き、思いきり打つ。ぴしぃっ! と響く音の陰で小さく息を呑むのが聞こえたが、まだテディは声を漏らさず堪えていた。本当に可愛げのない奴だと思いながら続けて鞭を振るうと、今度はテディが声にならない呻きを漏らし膝から崩れた。  そろそろ限界かとミルズは薄く笑い、体勢を戻させようとテディの腹の下に手を差し入れた。そうして持ちあげようとして――なにか冷たい感触がしたのに気がついた。 「なんだ、おっ勃たせて、こんなに先走りでべとべとにして。こういう趣味があったのか」  半笑いでそう云ってやると、テディはこっちを向いて涙目で睨みつけてきた。目許を真っ赤にして唇を噛みしめているその様子は、やっと年相応にいじらしく見えた。  鞭で打たれて勃起するのがつまりマゾヒストの資質があるからなのか、それともただの生理的な反応に過ぎないのか、ミルズにはわからなかった。が、どうやら自分にはサディスティックな傾向があったらしいと初めて知った――陰茎を勃たせているのは、テディだけではなかったのだ。 「……あと一発でしょ……。もう、さっさと終わらせてください」  気丈にもそう云うと、テディは自らもとの体勢をとろうと立ちあがった。  このまままったく声をあげさせられずに終わるのかと、ミルズはなんだか負けたような心地になった。それにテディの態度は打たれるのに耐えているだけで、反省したり後悔したりしているようでもない。これでは鞭打ちも意味がない。なんとか悲鳴をあげさせなければ――泣いて赦しを乞わせて、もう二度とこんなことはしませんと云わせなければならないのだ。  ミルズはアームレストに顔を埋めたテディの腕を掴んだ。 「来い。残りの一発はあっちでくれてやる」  ミルズが僅かな顔の動きで示したのは、部屋の奥にあるベッドだった。  大きく目を見開いてテディが息を呑む。まるでバネでも踏んだかのように立ちあがり、後退りながら腕を振り解くとテディはドアのほうへ駆けだそうとした。が、下げていたトラウザーズの裾を踏んでしまい、つんのめるように転倒する。  咄嗟につかまろうとしたテーブルがぐらりと揺れ、シュガーポットがすーっと滑り落ちていき、床の上で派手な音をたてて砕け散った。 「いや――」  ミルズは床に這うように手をついたテディの襟首を掴み、ぐいと引っ張ってブレザーを脱がせた。両腕が後ろに引かれ坐ったかたちになると、テディは「()っ……!」と短く声をあげてまた前のめりになり、両手をついた。蚯蚓腫れになった尻が痛くて坐れないのだ。「やめて――やめてください……、いやだ……!」と、絞りだすように云いながら抗うテディを押さえつけて四つん這いの姿勢を取らせ、ミルズは赤く腫れている尻臀を片手でぐっと掴んだ。痛みに身を竦ませ、テディがいやいやをするように首を振る。 「いや……やめて……、……ゆるし……っ」  涙声でやめてと訴えるテディを片手で組み伏せたまま、ミルズはもう一方の手で尻を撫で、双丘のあいだに指を這わせた。テディがびくっと躰を跳ねさせ「や……っ、たすけて……、ルカ、ルカ……っ」と、譫言のように繰り返す。  ミルズはそれを聞き、テディに覆い被さるようにして耳許に顔を近づけた。 「もう授業が始まってる。寮のなかには誰もいないさ、もちろんルカもな……おまえのおかげで俺もサボり、生物のレポートも未提出だ。まったく、なんで薬なんか――」 「ゆるして……っ、おねが……、口で、口でするから……っ」 「なに? ……口で、だって?」  ――そのときだった。ばたんとドアの開く音がして弾かれたようにそっちを見ると、ルカが驚愕の表情でそこにいた。  テディも涙に濡れた目でルカを見た。ルカは一瞬混乱したように固まっていたがすぐにどういう状況なのかを把握したらしく、驚きを貼りつけた顔を怒りの色で塗りつぶし、拳を固めてミルズに向かっていった。 「ハーヴィー、てめえぇーーーーっ!!」  テディの背後で鈍い音がして、ミルズが吹っ飛んだ。その上に馬乗りになり、なおも殴りかかろうとするルカの拳を、ミルズが掴んで止める。 「ルカ――ルカ、落ち着け……! 謝る、ちょっとやりすぎた、謝るから――」 「謝って済むことと済まないことがあるだろ!? なにやってんだ、なにやってんだよあんた、俺の気持ち知っててなんで――」  声を上擦らせて叫ぶように喚きながら、ルカは滅茶苦茶に腕を振ってミルズを殴った。 「悪かった! ルカ、待て……話を――」 「ゆるさない! 絶対にゆるさないからな――ちくしょう、ちくしょう……!!」  半狂乱になって狙いも定めずとにかく拳を振りまわすルカに、ミルズは今更ながら胸が痛むのを感じた。目許を庇うように腕で防御しながら、友人がこんなに想っている相手を襲おうとしてしまったなど、まったくどうかしていたと思った。  しかし同時に、こんなに想うほどの相手じゃないぞと云ってやりたくもなる。時代錯誤な鞭打ちなどを始めたのも、鞭打ちをエスカレートさせて犯しそうになったのも、そもそもテディが薬を盗みだし妙な小細工までしたあげく、ふてぶてしい態度をとった所為なのだ。生真面目で正義漢なルカが、こんなに純な想いを捧げるような相手じゃない。 「ルカ――」  ミルズが話そうとすると、不意に拳の飛んでくるのが途絶えた。顔面をカバーしていた腕の陰からそっと覗き見ると、テディがルカの背後から近づき、袖を握っていた。ルカは振り向いてテディを抱き留め、「テディ――」と、さっきまでの怒り狂っていたときとはまったく違う優しい声で、愛おしげに名前を呼んだ。 「大丈夫か? なにされたんだ、怪我はしてないか?」 「大丈夫だよ」  あちこち撫で摩るようにして無事を確かめようとするルカの目を真っ直ぐに見て、テディは微笑んだ。「ルカが……来てくれたから」 「ほんとに? なにもされてないか……?」 「うん。大丈夫」  テディが頷くのを見てようやくほっとしたように息をつくと、ルカは再度ミルズに向き直って険しい顔をした。  ぐったりと坐りこんだまま、ミルズはじっとルカとテディの様子を眺めていた。いつの間にかきちんとトラウザーズを穿き、乱れたシャツも直していたテディは、なんだか目を輝かせてルカのことを見つめているように、ミルズには見えた。偶々タイミング良くルカが救けに来たからだろうか――まるでヒーローを見る目だと感じ、ミルズは少しそれに違和感を覚えた。  救けてくれたルカを、そんなふうになんの屈託もなく見つめられるものなのだろうか。そもそも自分が薬など盗みに入った所為でこうなったのだから、普通はその罪悪感や、そのこと自体を責められるのではという懸念があるものではないか?  今のテディの表情にはそんな様子は欠片も見当たらない――ルカに知られるのが怖いとか、どう思われるか気になるとか、そういう当たり前にあるであろう畏れが、テディにはないのだ。ミルズは思った。それはきっと―― 「ハーヴィー」  テディを護るように一歩前に立ち、ルカは云った。 「俺、あんたのことずっと友達だと思ってた。変に先輩風吹かせないところも、頼りになるわりにはなんかいいかげんなところも好きだったよ。でも、それももうこれきりだ。俺は絶対あんたのことをゆるさない。あんたがどんなふうにして謝ったってあんたがテディにしようとしたことは、俺が部屋に入ったときに見た光景は一生消えない。軽蔑するよ」  ルカは精一杯感情を抑えているようだった。ミルズはぐっと唇を噛みしめ、黙ってルカの言葉を聞いていた。  ルカがどんなにテディのことを大切に思っているのかは、その目や名前を呼ぶ声や、態度からも充分によくわかった。自分に投げてきた言葉もルカらしく、ああそれだけのことを自分はしてしまったのだなと思えるほど真っ当だった。  ――が。やはりテディの言動や態度だけがしっくりこない。もし自分が、テディのやったことをルカに告げてやったらどう変わるだろう。否、云ってやればいいのだ。ミルズは思った。テディはルカには似合わない。こいつは、ルカがこんなふうにして庇って護ってやらなければならないような、そんな玉じゃないと教えてやればいいのだ。  そう思い、ミルズは洗いざらいぶちまけてやろうとルカを見た。 「ルカ」  ルカはまたテディと向き合って、なにか話していた。先に行けと云ったのか、テディは床に落ちていたブレザーを手に部屋を出ていき、その姿が見えなくなるまでルカはじっと見送っていた。  不意に、顔を真っ赤にして相談に来たときにことが思いだされた。初めての想い、初めての告白、初めての――  ミルズはじっとルカを見つめ、そして目を伏せた。 「ルカ……本当に悪かった。ヴァレンタインにも謝っておいてくれ……こんなことをするつもりじゃなかった。誰もいない寮で偶々会って、いつもの悪い癖がでてしまったんだ。ゆるしてくれ」  ルカは大層呆れたような顔で頭を振った。 「……ゆるさないよ、そう云ったろ」 「……そうだな」  ルカならそうだろう。ああ、やはり似合わない――しかし、云えなかった。云ったところでルカが苦しむだけだとわかっているからだ。テディはなにを告げられても恐らく傷つくことはない。  何故なら、彼は――テディは、からだ。  ミルズは苦い笑みを浮かべ、云った。 「……もう行けよ。次の授業はサボるなよ……。ヴァレンタインにもちゃんとついててやれ」  ルカはなにも云わず、部屋を出ていった。  ミルズが大事な友人をひとり、失った瞬間だった。  その場に坐りこんだまま、暫し放心したように動かなかったミルズは、ふと粉々に割れてしまったシュガーポットと零れた角砂糖を見つめ、眉をひそめた。その辺りを見まわすが、テーブルに叩きつけるように置いたはずの没収した薬は、どこにも見当たらなかった。  そして、ルカが部屋に飛びこんでくる前に聞いたテディの言葉も思いだした。  口でするから、と、彼は確かにそう云った。 「ルカ……そいつは可哀想なみなしごなんかじゃない。とんでもない小悪魔だ、早く目を覚ませ……」  このままテディと一緒にいると、ルカはなにか大きな問題を抱えこむことになるのではないか――ミルズはふとそんなことを思い、しかし自分はもう、それをどうすることもできないのだと、天井を仰いで目を閉じた。

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