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Year 10 / Autumn Term 「罪と罰」
癖になるといけないと云い、ミルズは睡眠薬を一日置きにしか渡さなかった。しかしそれでも連日不眠気味だったときと違い、まったく起きられないということはなくなったらしく、テディは今日も無事に廊下へ出て点呼を受けていた。
見たところ顔色や体調が悪いということもないようで、ルカたちと一緒にきちんと朝食を摂るのを遠巻きに眺め、ミルズはふっと笑みを浮かべた。無茶な薬の使い方をしたり、ルカはまったくぴんときていなかった色事の話が通じたり――時折おとなびた、というかどことなく翳 のある表情を見せるテディは、ミルズにとって妙に気になる存在になりつつあった。
朝食は八時からで、二十分を過ぎる頃になると食事を済ませたグループがあちらこちらでがたがたと席を立ち始める。そのうちテディとルカ、オニールとエッジワースの四人もトレイを返却し、そのまま連立って食堂を出ていくのが見えた。
ミルズも少し遅れて食べ終え、外に出て真っ直ぐ正面にある入り口からシックスフォームの校舎に入り、階段を上がっていった。すると、足許にひらりと一枚の紙切れが落ちてきた。なんだろうと拾い上げ、ミルズはそれが今日提出しなければならない生物のレポートであることに気づくと、しまったと顔を顰めた。
「ああ悪い、ミルズ。俺のだ。落とした」
「ちゃんと綴じておけよ……だが礼を云うよ。これを見るまですっかり忘れてた。机の上に置きっぱなしだ」
落とし主に渡して踵を返し、ミルズは上がってきたばかりの階段を下りていった。
時間はまだ充分余裕があり、窓からはぞろぞろと大勢の生徒が中庭を横切っているのが見えた。偶に喧しいと思うことはあるが、食堂や校舎に近くてウィロウズはやはりいちばんいい場所に建ってるなと思いながら、ミルズは急ぐことなく寮 へと引き返した。
ウィロウズ寮の一角には、寮監のホーンズビー夫妻が住んでいる。寮監は寮の管理人であり、同時に保護者から離れて過ごす寮生たちの親代わりのような存在でもある。
もう六十歳を過ぎているダグラスは建物とその周囲や、電気系統とボイラーなどの管理、妻のモーリンは寮母として通いのスタッフをまとめ、寮内の清掃や洗濯を任されている。モーリンはその他にも、休日にはコモンルームに隣接したキッチンでスコーンやクランペット、トライフルなどを作ったり、寮生たちに小遣いを手渡す役目も担っていて、寮生たちからは母親のように慕われていた。
ミルズが戻ったとき、ダグラスは寮の周りの枯れ葉を掃き集めていた。モーリンと違って普段、あまり笑わず無口なダグラスだが、ミルズが「おはようございます、ごくろうさまです」と声をかけて脇を通ると、「あんたも忘れ物かね」と返された。
誰か他にも忘れ物を取りに戻った奴がいたのだなと思いながら、ミルズは人気 のない寮に入り自室へ向かった。
こつこつと静かに階段を上がっていくと、ファーストフロアを過ぎたところでたんたんたんと階段を下りてくる、テンポの速い足音が聞こえた。ふと顔をあげ――目が合った人物が驚いたように目を瞠って足を止めるのを見て、自分もなんとなく立ち止まる。
「ヴァレンタイン? なんだ、忘れ物をしたのはおまえだったのか」
「え――ええ、ちょっと……」
なんとなく歯切れを悪い返事をして、テディはミルズの横を通り過ぎようとした。
そして、ふとそれに気づいたミルズが、擦れ違いざまにテディの腕を捕らえた。びくっと飛びあがるように躰を強張らせたのが、掴んだ手から伝わってくる。
「……どこへ行ってた? 忘れ物じゃないだろう、おまえの部屋の階 は行き過ぎてるようだが」
ミルズがそう云うと、テディは腕を掴んでいる手を振り解いて逃げようとした。「おい!」と声を荒らげながら摺り抜けかけた袖を掴むと、走りだそうとした足が勢いを失い、がくりと階段の途中でよろめいた。手摺りに寄りかかるようにして転ぶのを免れた躰をしっかりと捕まえ、抗うのを押さえこもうとすると、微かにかさかさと聞き憶えのある音がした。
逃げられないように後ろから抱き竦め、ミルズは手首を握った反対の手でポケットを探った。かさりという音がして手に触れたのは、白いタブレットの並んだ包装シートだった。
「おまえ……俺の部屋から――」
箱は見当たらず、いくつかの種類の鎮痛剤の包装シートはどれも剥きだしだった。数日前、睡眠薬だけ取りだしたときにしまってある場所を知り、ぱっと見ただけではわからないように箱から中身だけ出してきたに違いなかった。
気に入らなかった。人の部屋に勝手に入ったり没収したものを取り戻しに来るのはともかく、こんなふうに小細工をする知恵を働かせるのはまったく可愛げがないと、ミルズは思った。
これがなんでもないただの後輩なら、たっぷりと説教してやって舎監教師 に報告して終わりだが、今、自分が腕のなかに捕らえているのはいちばんお気に入りの後輩であり友人でもある、ルカの恋人だ。あの変にひねたところのない、苦労知らずだが生真面目で正義感の強いルカが、あれほど想っている相手がこんなふうに小賢しい手段をとるなど、どうしようもなく腹立たしく、許せない気がした。
ちっ、と舌打ちをして薬を全部取りあげ、自分のブレザーのポケットに捩じこむと、ミルズは「ちょっと来い!」とテディを引き摺るようにして、自分の部屋まで連れていった。
――テディは観念したのか、もう逃げようとすることもなくミルズに促されるままソファに坐った。無表情に項垂れる様子を見て、ミルズはテーブルに上に取りあげた錠剤のシートの束を叩きつけ、デスクの抽斗を開けた。
思ったとおり、奥に入れてある薬の箱には変わったところはないように見えるが、いちばん上のゾピクロンの箱を手に取って開けてみると、中には包装シートはひとつしか入っていなかった。しかも引っ張り出してみるとそのひとつもL字――というよりΓ ――形に残して切り取られていて、ミルズは呆れた。
その下にあったニューロフェンプラスやソルパデインプラスなどのコデイン入り鎮痛剤の箱は、没収したときのまま開いてないように見えたが、開け口に爪を入れてみると妙に柔くなっていて、破らずにいったん開けたあとで糊付けしたことがわかる。中に入っているのは案の定、使用上の注意が記された紙切れ一枚だけだった。
「……まったく……、これでずっとばれないと思ってたのか? さすがにここまでやられると……ちょっと指導しないわけにはいかないな。薬がどうのじゃなく、この狡賢い立ちまわり方が気に入らん」
そう云って腕を組み前に立つと、テディはちら、と上目遣いにミルズの顔を見て云った。
「……別に、あなたに気に入られなくて結構です」
その言い種と不遜な態度にミルズは眉を上げ、怒気を散らそうとするようにテディから目を逸らし、ぐるりと視線を彷徨わせた。
そして、その視線の先にそれをみつけた――ミルズはつかつかと窓際のシェルフに近づくと、その横に立てかけてあった細い棒のようなものを手に取った。くるりと振り向き、テディの目をじっと見ながら、ミルズはそれを振ってみた――ひゅっという、空気を切り裂く鋭い音がした。
「ヴァレンタイン。監督生 として、今からおまえに罰を与える……後ろを向いて尻を出せ」
ミルズが手にしているのは、細い籐の鞭 だった。ミルズのものというわけではなく、この部屋に元々ずっとあったものだった。その古びた、人に痛みを与えるためだけに存在する用具を顔を引き攣らせながらまじまじと見つめ、テディはゆるゆると首を横に振った。
「まさか……そんなの、今はもう禁止されて……」
「そうだな。かつては伝統のようなものだったらしいが、今はもう寮弟 制度と同じに体罰は禁止されてる。じゃあ、今の正しいやり方で罰してほしいか? 即ち、舎監教師に報告し、そこから校長、保護者へも伝わって停学……いや、下手すると退学になるが」
テディがさっと蒼褪めた。が、それだけはやめてくれと泣きついてくるかと思ったがそれはなく、テディは俯いてなにか考えこんでいる様子だった。この程度の脅しじゃ足りないのかと、ミルズはもう一言付け足した。
「噂の編入生が今度は薬で退学か。可哀想に、こんな問題児と同室だったあげく好い仲になってたなんて、ルカもただじゃ済まないだろうな」
「! ルカは関係ない――」
「さて、俺は周りがどう思うかって話をしてるだけさ」
険しい顔で睨みつけてくるテディに、ミルズはもう一度尋ねた。
「さあ、どっちにするんだ? 報告か、鞭打ちか」
「……卑怯だ」
「俺は充分庇ってやってるつもりだ。おまえはそれだけのことをした」
ぐっと唇を噛みしめ、テディはソファから立った。微かに躰を震わせながらどうすればいいのか迷うように周りを見まわすのを見て、ミルズはソファのアームレストを指し「ズボンを下げて、そこに手をつけ」と指示をした。テディは途惑い「ズボン……穿いたままでいいでしょう……」と首を振ったが、ミルズは無下に「脱げ」とたった一言で却下した。
羞恥と怖れに震える手でテディはベルトを外し、トラウザーズを膝まで下げた。ブレザーとシャツの裾から、白い腿が覗く。
「下着もだ」
ミルズがそう云いながら鞭で指すと、テディは俯いたまま下着に指をかけた。続けてミルズが無言でアームレストを示すと、テディはそこに手をつき、泣きだしそうな表情で頭を下げた。まだかろうじて臀部を覆い隠しているシャツの裾を、ミルズは非情に捲りあげ「もっと身を低くしろ。躰を折って尻を突きだすんだ」と、背中を押さえた。
恐怖のためか屈辱か、テディがぶるっと肩を震わせながらミルズに従う。
「……よし。そのまま動くなよ……六回だ。ただし、声をあげたらやり直しだ」
鞭をぱしぱしと掌で鳴らしながら、ミルズはテディの背後にまわった。
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