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Year 10 / Autumn Term 「インソムニア」
「テディ、起きろ。もう七時過ぎてるぞ、おい――」
何度起こそうとしても起きないテディに溜息をついて、ルカは自分の身支度を進めた。歯磨きを済ませてからもう一度起こし、着替えながら声をかけ、タイを締め終わると「もう、いいかげん起きろよ……」とぼやくように云いながらまた揺り起こす。
少し身じろぎはしたものの、まだ目を覚まさないテディにすっかり呆れ果て、ルカは「もう、知らないからな」とひとり廊下に出た。
ちょうど点呼が始まっていて、他の部屋の寮生たちもずらりと自室の前に立ち、舎監教師 と監督生 が見廻りに来るのを待っていた。朝の挨拶をしながらハーグリーヴスは向かい側の部屋、ミルズがこちら側の部屋を、さっとドアを開けてはチェックして進んでいた。
そしてルカの眼の前まで来たとき、ミルズはドアのノブに手をかけながら「おはようブランデンブルク。ヴァレンタインはどうした?」と訊いた。
「まだ寝てます」
少々投げやりな態度でルカがそう答えると、ミルズはいつもの砕けた口調になって「起こしてやれよ、薄情だな」と云った。
「起こしたよ、もう何度も何度も。でも起きないんだよ……最近ずっとこうなんだけどさ、今日は特にひどいよ。もう水でもぶっかけてやろうかと思うくらいだ」
「最近ずっと?」
うんざりしたように肩を竦めたルカに、ミルズは眉をひそめ、ドアを開けて部屋に入った。ルカもその後に続きながら「うん、このあいだの休みのあと、戻ってきてからかな……。夜更かし癖つけてきたのがまだ戻ってないんだよきっと」と話す。
テディはまだブランケットに包まり、壁を向いて眠っていた。「ヴァレンタイン、起きろ。躰の調子でも悪いのか」と声をかけながらミルズが額に手を当てると、ようやくテディが薄目を開けて寝返りを打った。ブランケットを握りしめ、ミルズとルカの顔を交互に見ながら寝惚けているような、途惑ったような顔をするテディにミルズは「目が覚めたか? 荊棘姫 。もう七時半を過ぎてるぞ」と笑いかけた。
「……すみません、いま起きます」
そう云ってベッドから出ようとしたテディが、その動きを止め片手で目許を覆うのを見て、ミルズは眉間に皺を寄せた。
「……まさか、また薬なんかやってないだろうな?」
その言葉に、まさかという顔でルカが振り返りミルズを見た。が、テディはおもむろにミルズの顔を見上げ、ゆるゆると首を横に振った。
「やってません……。ただ、なかなか眠れないだけで……」
「眠れない? 寝ついたのが遅くて起きられないのか」
「はい。……薬、返してもらえないですか」
眠れないだけだと聞いてほっとしていたルカが、それを聞いて「テディ!」と声をあげた。
「なに云いだすんだ、だめだよ! もう絶対あんな――」
「しっ」
ミルズがルカを制すると同時に、ドアが開いてハーグリーヴスが顔を見せた。
ハーグリーヴスは、慌てて口を噤んだルカとミルズの顔を見やったあと、まだベッドにいるテディを見て「どうした。ヴァレンタインは――なんだ、具合でも悪いのか?」と尋ねた。
「……大丈夫です。今、支度します……すみません」
ベッドから出ながらテディがそう答えると、ハーグリーヴスは「そうか、じゃあ急ぎなさい」とだけ云って、すぐに顔を引っこめた。「準備ができたら部屋もさっとチェックして、洗濯袋も出し忘れのないようにな――」というお決まりの文句が、足音といっしょにだんだんと遠ざかっていく。
「……テディ、いったいどうしたんだ。眠れないのか? どうしてまた薬なんて――」
バスルームへ向かうテディを追いながら話しかけるルカの肩を、ミルズが掴んだ。
「ルカ、落ち着け。とりあえず今は時間がない。この話はまたあとだ」
「でも……」
「大丈夫だ。おまえがちゃんと見てるんだろ」
ミルズに真面目な顔でそう云われ、ルカはゆっくりとその言葉を呑みこむように、こくりと頷いた。
と、そのふたりのあいだを洗顔など朝の身支度を素早く終えたテディが通り抜けた。「すみません。着替えるんで……」と云いながら、振り返ってミルズを見る。
「うん? ああ、出ていけって?」
「ええ。だってあなたは……」
テディはそこで言葉を切ったが、云いたいことはちゃんとわかった。ミルズは暫しテディの顔をじっと見つめ、しょうがないなというように肩を竦めて「じゃあ、またあとでな」と片手をあげて部屋を出ていった。
ふぅ、と息をついて制服のシャツを手にするテディに、ルカが心配そうな目を向ける。
「なあ……おねがいだから、無茶なことだけはしないでくれよな」
ルカの言葉に、テディは叱られた子供のような表情になって目を伏せた。
後ろからぽんと肩に手を置き、部屋でお茶を飲もうとテディに耳打ちしてミルズは先に食堂を出た。テディは云われたとおり、昼食が済むとオニールたちと別れ、すぐルカと一緒にミルズの部屋へと向かった。
しんと静まりかえった寮 のなかは薄暗く、セントラルヒーティングのボイラーが切られているのか、外よりも空気が冷んやりとしていた。ミルズの部屋も同様だったが、ソファの傍にハロゲンヒーターが置かれていたのでまだ多少はましだった。ルカは暖かなオレンジ色の光の前に脚を差しだすようにして坐り、テディはお茶を淹れていたミルズを手伝ってカップを運んでから、ルカの隣に腰掛けた。
「ところでヴァレンタイン、話をする前に訊いておくが……そのまったくどっちが先輩だか後輩だかわからない態度のでかい坊ちゃんは、この席にいてもいいのか?」
そんな質問をしたミルズに、ルカは「どういう意味だよ?」と眉根を寄せた。
「単純なことさ。今から俺は、眠れないのはなにか悩み事でもあるせいかとヴァレンタインに訊くつもりだが、その悩みがおまえについてじゃないとも限らないだろ? 聞くところによると、おまえたちふたりはどこへ行くにも連立っている、今この学校でいちばんホットなカップルだそうだが、実は相手に云えない不満や悩みがあるかもしれないじゃないか」
「俺に? ……って、ないない。そんな、違う……よな?」
いったん自信満々に否定してからそんなふうにルカが訊くと、テディは笑って首を横に振った。
「ルカにどうとかないし、それに別に、悩みもなにもないです。ただ眠れないだけで……だから、眠剤だけでも返してもらえればそれでいいんですけど」
「俺は医者じゃないしな。本当に必要なら校医にでも相談してちゃんと処方してもらえ」
「たぶんだめですよ。俺、もう目をつけられてるもん」
「目を?」
ミルクティーのカップを手にしたままミルズが訝しげな目を向けると、テディは云った。
「前に頭痛がするから鎮痛剤をくれって云ったら、その日のうちに寮で市販薬の乱用の話があったから……校医の先生がなんか云ったってことでしょ」
「ああ……なんかあったな。あれおまえに向けた談話だったのか。でも鎮痛剤をもらおうとしただけでそんなふうに目をつけられたりしないだろ、いったいなにを云ったんだ」
「……確か、最初にもらったのが普通のパラセタモールだったから、これ合わないから赤い箱のほうかニューロフェンプラスないかって……」
ミルズはそれを聞いて呆れたように天井を仰いだ。
「そりゃ目をつけられても不思議はないな。コデインをくれって云ってるようなもんじゃないか」
誤って服用されるのを防ぐためか、コデインの配合された強力な鎮痛剤は、どの製薬会社のものも赤が多用されたパッケージであることが多い。ばつが悪そうに、テディはそっと隣に坐っているルカの表情を窺った。ルカはそれに気づいてテディに顔を向け、すぐに逸らされたその横顔をじっと見つめた。
そんな様子を眺め、ミルズはふむ、と顎に手を当てる。
「……ルカ、おまえ、自分だけ悦い思いしてさっさと寝てたりしてないよな?」
「は?」
なにを云われているのかわからずルカはきょとんとミルズの顔を見つめ、テディはそんなルカをちらりと見てから小さく首を横に振った。
「……そういうの、ないですから」
「なんだ、そうなのか。せっかく同室なのにもったいない」
ルカはまだなんのことやらわかっていないらしく、眉をひそめ首を傾げている。それが可笑しいのか、ミルズはにやにやと笑いながら「ハウツー的な話ならいつでもしてやるぞ、ルカ。なんならジェルの買い置きも分けてやる」と、からかうように云った。ルカはむっとした顔をしたが、やはりなんのことかはわからないらしく「なんなんだよ」とぶつぶつ呟いただけで、ふんと外方を向いてミルクティーを飲んだ。
「もう……、ふざけないでください」
そう云って俯いたテディを、ミルズはじっと見つめた。
「おまえはわかるんだ。ふうん――」
意味有りげに云うミルズを、テディはきっと睨みつけ「そろそろ昼休みも終わるんで、もう戻ります」と云った。カップに残っていたミルクティーを飲み干し、ルカと一緒にソファから立つと「あと、薬の話ですけど……眠れないのはほんとなんで、ゾピクロンだけでいいから返してもらえないですか」と振り返る。
「だめだ。なんかおまえ、危なっかしいんだよな」
「じゃあ、消灯時間前に一錠だけもらうとかならどうですか。ちゃんと先輩の前で飲みますから」
ゾピクロンというのはムスカリの花のような青色が特徴的な、タブレットの睡眠薬だ。食い下がるテディに押され、ミルズはルカの顔を見た。
「どうする、ルカ」
「俺に訊くのかよ。……まあ、眠れないのはきついだろうし、そうやって一錠ずつ飲むのなら問題ないんじゃ?」
「しょうがないな」
ミルズはロッキングチェアから立ち、デスクの抽斗を開けるとその奥から紫色のラインが入った白い箱を取りだした。中のシートからタブレットをひとつだけ切り離し、それをルカに手渡す。
「おまえが夜まで持ってろ。飲むときも見ててやれよ、絶対に酒といっしょに飲んだりしないようにな」
「わかった」
お茶をごちそうさまでした、と帰り際だけ後輩らしい態度で云い、ふたりはミルズの部屋を後にした。
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