21 / 86

Year 10 / Autumn Half Term Holidays 「視線」

 ラングフォード邸に着き部屋に入ると、ベッドの上に紙袋(ペイパーバッグ)がふたつ置いてあった。  中を見るとメランジグレーのスウェット素材のパーカーとパンツ、ハイネックのプルオーバー、厚手のソックスや肌着類が入っていた。寒くなってきたからとクレアが用意してくれたのだと思い、テディは階段を駆け下りてリビングを覗き、そこに誰もいないことがわかるとキッチンへと向かった。  クレアはなにかの下拵えなのか、じゃがいもの皮を剥いているところだった。あの、と声をかけるとクレアは「あら、着替えなかったの?」とテディを見た。 「あの……またスウェットとか靴下とか……ありがとうございます。着る前にお礼が云いたくて……」 「あ、あれね、このあいだデニスが買ってきたのよ。だからちょっとばかりセンスが悪くても勘弁してやってね……私が用意したものは部屋着や普段着に向かないってあの人散々云ってたから、それを補ってるつもりなんでしょ」  デニスが――そう聞いてテディは少し顔を強張らせたが、すぐに「そんなことないです……ほんとにありがとう」と笑みを浮かべた。じゃあ早速着替えてきますとまた部屋に戻り、制服を脱いで黒のハイネックを被りスウェットパンツを穿くとゆったりとして暖かく、ほっと躰ごとリラックスする気がした。  ワードローブの前に立ち、脱いだ制服をハンガーに掛けながらテディは、シャツの(ボタン)のことと触れられた感触を思いだしていた。  あれは現実の出来事だったのか、それとも過去の記憶と夢が綯い交ぜになっていただけなのだろうか。シャツの釦は確かに(はだ)けすぎだったが、ひょっとしたら先に二番めの釦が外れてしまっていただけなのかもしれない。ひとつ釦を外して襟元が楽になるよう開けたとき、二番めが外れてしまっただけなのかもしれない。  ダニエルに向ける優しい父親の貌や、クレアと笑いあう良き夫の貌、自分に対する気さくな態度や心配りなど、デニスのことを思い起こせば思い起こすほど、彼が自分に良からぬ行為をしようとしたとはどうしても思えなかった。  底がパイル地になった厚手のソックスを穿き、メランジグレーのパーカーに袖を通すとテディはまた階下(した)へ下り、クレアになにか手伝うことはないかと尋ねた。じゃあ庭の枯れ葉を掃いてちょうだいと云われ、やるべきことがあってほっと気が楽になる。  リビングのテラスから庭に出て、小径のように敷き詰められた煉瓦の上に積もる枯れ葉を(ほうき)で集めると、あっという間に小さな山ができた。これはどうしたらいいのかと庭から直接キッチンの窓を覗いて尋ね、土になるから(ぶな)の木の下辺りに集めておいてと云われそのとおりにする。集め終わってからまた風で散ったら困ると思いさくさくと踏み固めると、スウェットパンツの裾に砕けて小さくなった枯れ葉がついた。テディは片足ずつ上げてぱんぱんと手で叩いて落とした。  キッチンからいい匂いが漂い始め、庭に落ちる影が長く伸びる頃。ダニエルと一緒に帰宅したデニスはテディの恰好を見て「お、早速着てくれてるのか。着心地はどうだ、色は少し地味だったか?」と、いつもの明るく気さくな口調で話しかけてきた。  テディはきちんと礼を云い、「僕のは青で、色違いなんだよ!」と嬉しそうに云うダニエルにそうなんだ、と微笑んだ。  こうして顔を見て話すと、デニスが故意に釦を外して自分に触れたなど、やはりとんでもない勘違いとしか思えなかった。  ちょっと神経過敏になりすぎだなと、テディは心のなかで苦笑いをした――家族思いで優しいデニスと、普段から酒浸りで言動も粗野だったを同列にして考えるなんて、まったくどうかしている。 「ん、今日のシェパーズパイも最高だな。おかわりを入れるか? ダニー」 「うん、おかわり! テディも美味しい? ママのシェパーズパイ」  ミートを口の周りに付けたダニエルの顔を見て、テディは指で合図してやりながら頷いた。 「うん、とっても美味しいね。この豆のスープも、サラダも」  こっち? こっち? と指をさして舌を伸ばしているダニエルの口許を、デニスが手を伸ばしてティシューで拭った。その様子を見て「もう、ちゃんと行儀よく食べなきゃだめでしょ」とクレアが云い、「行儀はいいよ、ちょっとついちゃっただけだよな」とデニスが笑う。テディもなんとなくつられて笑みを浮かべながら、お世辞でなく美味しいシェパーズパイを平らげる。  眩しいくらい理想的な、幸せな家族像がそこにはあった。  ダニエルのほうが寝る時間が早いからと、テディは自分が後からバスルームを使い、軽く掃除をして出るよう心懸けていた。ダニエルは自分がシャワーを済ませるとテディの部屋までやってきて、お風呂空いたよ! と声をかけ、おやすみなさいと挨拶をするのが習慣になったようだった。  この日の夜もダニエルと入れ替わるようにバスルームに入り、テディは温かいシャワーに打たれほーっと息をついた。アルガンオイル・オブ・モロッコと書かれたシャンプーと青リンゴを擬人化したキャラクターが描かれたシャンプーを見比べて、こっち使っていいのかなとアルガンオイルのほうを手に取り泡立てる。  髪を洗い、頭からシャワーを浴びて泡を流していると――かたんと音がして、テディは弾かれたように開かれたドアを見た。 「……!」 「驚かせてすまないね、テディ。ボディソープがもうなくなりかけてたのを思いだしたんでね、持ってきたんだ」  磨りガラスのドアを開け、デニスがポンプのついたボトルを片手に顔を出していた。テディは驚き身を固くしたが、隠すべきところを隠そうとするより先にはい、とボトルを差しだされ、手を伸ばして受けとるために隠すどころか素っ裸のまま、デニスの傍に近づかなければならなかった。  思考は停止し動きはぎごちなかったが、常識や身についた習慣の所為か「ありがとうございます……」という言葉が勝手に口をついた。  テディの頭のなかは真っ白で、ボディソープを受けとったあともなにをどうすればいいかわからないように立ち尽くしていたが、顔を逸らせないおかげでしっかりとデニスの視線がどう動いているかを見てしまった。ゆっくりと肩先から胸許、下腹部へ――ねっとりと嘗めるようなその視線に、テディはぞくりと全身が総毛立つのを感じた。バスタブへ飛びこんで身を屈めたいのに動けない、声もでない。  そうしているうちに、口許に笑みを浮かべたデニスがようやくをやめ、じゃあ湯冷めしないようにね、と云ってドアを閉めた。  ――見ていた。自分を――自分の躰を、裸を。  やはりあの釦も、触れた手も、思い過ごしなどではなかったのだ。  テディはがくがくと躰を震わせながらその場にへたりこみ、這いあがってくる怖気(おぞけ)を抑えようとするかのように、両手で膝を掴んだ。

ともだちにシェアしよう!