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Year 10 / Spring Term 「呪われた夜」

 一月二十七日の夜。  ルカとテディはいつものように音楽を聴きながらGCSEに向けての勉強をし、シャワーを済ませ、消灯時間にきちんとベッドに入った。いつもなら見廻りの足音が聞こえてくるまで取り留めのない話をしていたりするのに、この日の夜はふたりとも押し黙ったまま、ベッドのなかで身じろぎもしなかった。  眠ってはいけないとルカは自分に言い聞かせていたが、そうでなくても眠れるわけがなかった。消灯見廻りが終わり、次の巡回までのおよそ一時間半、ルカはブランケットのなかに潜り、煩いほど鳴り響く自分の鼓動を聞いていた。待ちに待ったこのとき――テディが誕生日を迎え、十五歳になるその日。既に将来の話までした自分たちが、いっそう深く結びつこうと約束をした日である。  ルカは何度も何度も頭のなかでテディに贈る言葉を唱え、そのあとかまで思い描いていた。自分の鼓動と時計の音が、このまま永遠に響き続けるのではないかと思うほど、長い時間だった。ひょっとしたらテディは眠ってしまったのではないかと思いもしたが、もしそうであってもルカはそっと起こして、プレゼントを渡すつもりでいた。テディが自分の誕生日を知ったときに云ってくれたように、いちばんに祝いたかったのだ。そのあとのことは――ムード次第である。  何分経っただろうか、そろそろだろうか――ルカが落ち着こうとしてふぅ、と息をついたとき、ようやく微かにどこかでドアが閉まる音が聞こえた。足音がだんだんと近づいてきて、かちゃりとドアの音と、空気の動いた気配がした。そしてまたドアを閉める音と、遠ざかっていく足音が聞こえると――ルカはそっと寝返りを打って半身を起こし、部屋のなかにはもう人影がないのを確かめた。  時計を見ると零時十分だった。つまり、もう今日は二十八日、テディの誕生日だ。ルカは逸る気持ちを抑えゆっくりとベッドから出て、抽斗にしまってあったプレゼントの箱を取りだした。それを手にテディのベッドに近づくと――その気配を察してか、テディが起きあがってこっちを見た。 「起きてたのか」 「……当たり前じゃない。眠れるわけがないよ」  ベッドサイドのランプを点け、少し気恥ずかしそうにそう云って俯いたテディに、一際大きく心臓が跳ねる。深く息を吸って吐くのを、呼吸を荒くしていると思われたくなくて咳払いをしてごまかすと、ルカは後ろ手に持っていたプレゼントを持ち替え、「テディ……十五歳の誕生日、おめでとう」という言葉とともに差しだした。 「え……これ、俺に?」 「うん。開けてみて」  テディがそれを受けとり、リボンを解くのをルカはベッドの端に腰掛けて見つめた。  箱の中にはビロード織のケースが入っていた。それを開けるとテディは驚いたように目を瞠り、顔を綻ばせてルカを見た。 「なにがいいか、すごく悩んだんだけど……とりあえずなにか身につけていられるものがいいなって思ってさ。でも指輪だと見られたら騒がれそうだし、没収されると困るだろ。で、これなら目立たずにつけていられるかなって……」  ケースから取りだしたそれが揺れ、ランプの灯りを受けてきらきらと輝くのを、テディはじっと見つめた。それはシルバーの十字架(クロス)と、Tと筆記体で刻印された小さな丸いプレートのチャームがついたペンダントだった。 「すごい……。こんなの俺、初めてだ」 「そんなに大層なもんじゃないよ。普段つけていられるようにシンプルなのがいいって思って。それに、クロスにしたのは万が一教師(ビーク)にみつかって注意されても、没収まではされないようにって考えてさ」  本当は指輪を贈りたかったのだが、サイズがわからないという問題もあったし、テディにいま云ったようにみつかると面倒臭いと思い、断念せざるを得なかった。そして、じゃあなにがいいかと何日も悩んだ末、服で隠れるペンダントならどうだろうと思いついた。英国国教会に属しているこの学校ならアクセサリーの類いは禁止されているとはいえ、十字架のついた物であれば外しなさいと注意はされても、没収まではしないのではないかと考えたのだ。  あとはこれを気に入ってもらえるかどうかだが――テディはしげしげとペンダントを見つめ、嬉しそうに微笑んでいる。その表情に、ルカはほっとして笑みを浮かべた。 「ありがとう、ルカ。すごく嬉しい……とても気に入ったよ、大事にするよ」 「あー、ひとつ云い忘れてたけど」 「うん?」  ルカは自分のパジャマの襟から、細い銀の鎖を引きだして見せた。 「お揃いなんだ」  ルカの喉許で光っているのは、まったく同じデザインのペンダントだった。ただひとつ、刻印されている文字だけが違っていた。テディに渡したものはT、ルカのはLだ。それを見て、テディが自分の手のなかのペンダントに視線を移す。  その様子に、ルカは眉をひそめた――お揃いなんて、なんだか子供っぽくていやだっただろうか? 少し不安になって「えっと……人には見せないし、いいかと思ったんだけど……」と言い訳めいたことをぼそぼそと呟いていると、テディが云った。 「ねえルカ。これ……交換、しちゃだめかな」 「ん? 交換?」  ルカが小首を傾げて聞き返すと、テディは頷いた。 「俺がそっちの……ルカの、Lの文字が入ったほうを持っていたいんだ……。だめかな……」  それを聞いてルカははっとし――かぁっと真っ赤に頬を染め、しまった、という表情になった。 「え、あ……! い、いいよ、もちろん。っていうか、ひょっとしてこういうのってそうやって持つものだったのか……? 俺疎くって、もしそっちがふつうだったらごめん……!」  テディはくすくすと笑った。 「ううん、たぶんそんなの決まってなくて、どっちでもいいんだと思うけど……、俺がそうしたいんだ。ルカは、Tのほうをつけるのはいや……?」 「いやなわけないだろ、俺もそうしたいよ……! そうしよう、ちょっと待って」  そう云ってルカは慌てたように自分の頸の後ろに手をまわし、ペンダントを外した。繋ぎ直さないままそれをテディに渡して、交換したTのプレートがついたほうをつける。実はルカは既に何度も鏡の前でつけたり外したりを繰り返していたので、小さな留具(スプリングクラスプ)に爪をかけて留めるのも、もう慣れたものだった。  だがテディは、ペンダントなどつけるのも触るのも初めてだった――ルカから渡されたそれを、まずどうやってつけるのか、表裏はあるのかと注視した。暫し眺め、留具の仕組みを理解すると、それを利き手である左側にしなければやりにくいと気づいた。が、そうするとLの文字が刻印されている面が裏になってしまう――しょうがなく、利き手ではない右手で留具を摘まみ頸の後ろで手探りするが、どうしてもうまくいかない。 「つけてやるよ。貸して」  しばらく見守っていたルカがそう云ってベッドに乗りあげ、テディの背中側を覗きこむようにして留めてやると――テディは嬉しそうに、そして少し照れくさそうにそっとペンダントを指先で押さえ、微笑んだ。 「ありがとう……ルカ」 「うん……すごく似合ってる。なんだかおとなっぽく見えるよ……」  テディの肩に置いた手を伸ばし、ルカはじっと見つめながらそう云ったあと、ゆっくりと顔を近づけた。  テディが瞼を伏せるのを間近に見ながらキスをして、感触を確かめるように離れてはまた角度を変え、繰り返し唇を押しつける。そうして何度も唇を喰みながら、ルカはだんだんと口吻けを深いものにしていった。テディもそれに応え、肩を引き寄せるルカの腕をぎゅっと掴む。 「……テディ……、愛してる。前にした約束を憶えてる……?」 「うん。憶えてるよ……」 「いい……? テディを、俺のものにするよ……?」  こくりと頷いたテディの頬を手で包み、ルカは更に深く貪るように激しく口吻けた。従順に腕のなかでされるがままになっているテディの躰をそっと支えながらベッドに横たえ、ルカはその紅を差したように色づいた頬やこめかみにキスを浴びせた。そうしながら自分もベッドのなかに滑りこみテディに覆い被さると、ルカは身を隠すようにブランケットを引っ張りあげた。  おずおずとパジャマの(ボタン)に指をかけ、ひとつ外す。テーブルランプの仄かな光をペンダントが弾く。その銀の鎖を撫でるように指を頸筋に這わせ、ルカはそこに所有の印を刻みこんだ。――テディが微かに漏らした息が、ルカの耳許を擽った。  そこからはもう無我夢中だった――自分のなかで沸き立つ血に酔うように、ルカは本能のままテディの熱い肌に触れた。すべてを喰らい尽くそうとするかのように唇で辿り、愛しくて堪らないとかき抱く。器用な指がいつの間にか釦を全部外し、シャツを(はだ)けると自分も上だけ脱ぎ棄て、雄の貌でテディを見下ろした。胸許に吸いつき、脇腹から腰のあたりを這わせていた手が下に穿いているものにかかる。 「テディ……、好きだ。好きだよ――」  もう何度めかわからないキスをして、ルカは躰を密着させたままそっとテディのズボンのなかへと手を忍ばせた。腕のなかの躰がびくっと小さく跳ね、そのまま縮こまったように感じた。耳を掠めるテディの息遣いがなんだか妙に気に懸かり、ルカは眉をひそめながら腕を突っ張って身を起こし、顔を覗きこんだ。 「テディ?」  テディは怖いものでも見たかのように顔を引き攣らせ、呼吸を荒くし躰を強張らせていた。  尋常でないその様子にルカは慌てた――まだ早かったのだ。自分ばかりが気分を盛りあげていたが、テディは嫌だったのだ。嫌なのに、約束だからと自分に応えてくれようとしていたのだと、そう思った。  一瞬で熱が冷め、ルカはブランケットを撥ね除けて起きあがりテディの上から退くと、シャツの前を丁寧に合わせてやった。 「ご……ごめん、テディ! 無理にはしないよ、もうなにもしないから落ち着いて……! ああもう、また俺テディに、こんな――」 「ち……違……っ、ルカは、悪くない……ごめん、俺……、俺……!」  テディは胸を押さえるように両手を組み、ルカに顔を向けるとそう云ってぼろぼろと泣きだした。それを見てルカは更に動揺し、おろおろとテディの手を摩ったり頭を撫でたりしながら「ほんとに悪かった! いいんだ、こんなの、慌てる必要もなにもない。自然に時期がきてそうなるにまかせればいいんだよ」と、懸命に宥めた。 「お、俺は……! ルカ……の、こと好きなのに……っ、こんな、俺、ルカ……いやじゃな……っ――」 「いいんだ、もういいんだよテディ。大切なことだから、ゆっくり進んでいこう。な? だから落ち着いて、泣かないで」  譫言のように繰り返し訴えるテディの涙を指で拭うと、ルカはそっとブランケットをかけてやり、小さな子供をあやすように優しい声をかけ続けた。ベッドの傍らにしゃがみこんで手を握り、テディが泣きやみ呼吸を落ち着かせて眠るまで、ルカはずっとそこから離れなかった。  くしゅん、とくしゃみをひとつして、ルカが自分のベッドに戻ったのは、二時を少し過ぎた頃だった。

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