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Year 10 / Spring Term 「Are You Experienced?」

「もうひとり連れてくるんじゃなかったのか?」 「起こしても起きなかったんだってさ」  ジェレミーに連れられ初めて入ったオークス(ハウス)の一室は、上流階級(アッパークラス)の子息が住むに相応しい豪華なインテリアなのかと思いきや、ゆったりとしたソファのセットがある以外はテーブルもベッドもデスクもほとんどテディたちの部屋と変わらない設えのようだった。ただ、部屋の雰囲気はまるで違った――控えめな音量で流れるアシッドハウス系の音楽、ソファの上には派手なペイズリー柄のキルト、壁にはダーツの的とたくさんのピンナップ、床には雑誌。ジェレミーの部屋はまるで映画のなかで見たアングラな裏通りのバーのようで、ここがオークス寮のなかだということはおろか、学校の敷地内であることすら忘れそうだった。  そこに坐れよ、と促され、テディはペイズリー柄のキルトの上に腰掛けた。足許にはヘンプ模様と、笑っているような髑髏のイラストが描かれたクッションが転がっている。テーブルの真ん中に置かれた鋳物の灰皿には吸い殻が溢れ、7UPやペプシコーラの空き缶と、ビールの空き瓶が並んでいた。  反対側の端にはブラウンブレッド、そして何故かアルミホイルとアイロンが置かれていて、テディは不思議そうに首を傾げた。  シックスフォーマーになると部屋がこんな状態でも許されるのかと、少し呆気にとられつつ部屋のなかを見まわす。窓際には小ぶりの丸テーブルと布張りのチェアがあり、その脇のフロアランプには薄手のストールのような布が掛けられ、タイダイ染めの赤や紫が漏れる光を妖しく演出していた。 「なに飲む? ビール?」  隣に坐ったジェレミーにそう尋ねられ、テディはぶんぶんと首を横に振った。 「あ……俺は、アルコールは――」 「飲めないって云ってたな。じゃあコーラでいいか?」  ロブがそう云って立ちあがり、冷蔵庫からコーラとなにかのパックをふたつ取りだしてきた。ありがとうと云いながらコーラを受けとり、ロブの手に残ったものを見ると――それはスライスチーズとハムだった。 「腹減ってるだろ? 食うよな」 「え……なに?」  わけがわからずテディが返事に困っていると、ジェレミーがおかしそうに笑いながら「まあ見てなって」と云い、アルミホイルをテーブルに広げた。そこへブラウンブレッドを一枚置き、ロブが冷蔵庫から出してきたハムとチーズを乗せる。そこへまたジェレミーがブレッドを乗せアルミホイルで包むと、いつの間にかスイッチを入れてあったらしいアイロンで上から押さえた。 「えっ? それ……サンドウィッチ?」 「待ってろ。すぐできるから」  アイロンを持ったまましばらく待ち、サンドウィッチの入ったアルミホイルの包みをひっくり返してまたアイロンを乗せる。そして脇にアルミホイルを引っ張り出すと、ロブがさっきと同じものを作り始めた。アルミホイルに包まれたハムとチーズのサンドウィッチがそうして三つできあがり――ジェレミーが「そろそろいいかな」と、ひとつめをテディに渡した。 「ほれ、食ってみ」  そう云ってジェレミーはふたつめにアイロンを押しつけ始めた。テディが熱くなったアルミホイルをそっと剥がすと、途端に食欲をそそる香りが漂ってきた。ブラウンブレッドは程良い焦げ色がついていて、あいだに挟んだチーズもいいとろけ具合だった。思わず笑顔になってジェレミーの顔を見ると、彼は得意げににっと笑みを浮かべた。  一口食べてみて、テディは信じられない、と頭を振った。 「美味しい……」 「だろ。夜食にはこいつがいちばんなんだ。ショートブレッドやクリスプスだけじゃもたんし、飽きるだろ」 「ビールにも合うしな」  三つめを熱し終わってジェレミーも食べ始めると、ロブがビールの瓶を渡しながら、真剣な顔をして云った。 「卵を使ってなにかできないかと研究してるんだけどな……なかなかうまい方法がないんだ」 「おまえまだ諦めてなかったのか」 「卵、好きなんだよ」  そのやりとりにテディはぷっと吹きだした。 「先輩、勉強――」 「ロブ。ジェレミー」  サンドウィッチを持ったまま自分たちを指さすジェレミーに、テディは苦笑して云い直した。 「ロブ、勉強してる? ジェレミーも」 「してるさ。追いだされない程度にはな」 「おまえこそしてるのか? 会うたびにサボってるが」 「サボってるから会うんだけどな」 「お互い様か」  三人ともサンドウィッチを食べたあとは煙草を吸い、スナック菓子を摘まみながら勉強や教師に関する愚痴や、たわいも無い話をだらだらとした。  途中、ジェレミーがおもしろいもん飲ませてやるよと云って、なにかをコーラで割った紫色の飲み物を勧めてきた。ほんの少しアルコールが入っていたらしく、テディはそれを飲んでいるうちにだんだん―― 「――おい、起きろ。そろそろ戻らないとやばいぞ」 「……ん……」  その声に、テディはゆっくりと目を開けた。  徐々に焦点が合った眼が映しだしたのは、見慣れない、派手な色の散らばった乱雑な部屋だった。自分の肩を揺らしている短髪の若い男の顔を見て、これは誰だったっけと考える。あの楡の木の――煉瓦塀の外、両切り煙草――そうだ、ロブだと記憶が浮上し、テディは次にここがどこなのか思いだそうとした。  重い頭を手で押さえながら半身を起こすと、掛けられていたらしいブランケットが膝に落ちた。ふとそれに目をやり、隣にもうひとり眠っていることに気づく。ソファで身を寄せ合い、一緒にブランケットに包まっていたらしいその金髪の男を見てテディは一瞬動揺し、自分がちゃんとスウェットスーツを着ていることに安堵した。  そうだ、彼はジェレミーで、ここは彼の部屋だとやっと思いだしたが、自分がどのタイミングで眠ってしまったのかまでは覚えていなかった。 「やっと起きたか」と声がしたほうを向くと、ロブに「ほい」と、ボルヴィックのボトルを渡された。途端に喉の渇きを覚え、すぐにキャップを開け喉を鳴らして一息に半分ほど飲む。 「ありがとう……。俺、なんで寝ちゃったのかな」 「ちょっと飲み過ぎただけさ。それより早く戻らないと、もう外が明るくなってきてるぞ」  ロブにそう云われ、テディは驚いて窓のほうを見た。窓の外は確かに、群青に白いヴェールを掛けたような薄明に照らされている。 「やば……いま、何時?」 「六時まであと十五分」  まったく起きる素振りのないジェレミーにブランケットを掛け直してやり、テディはロブに礼を云って靴を小脇に抱え、物音を立てないように部屋を出た。  入ってきたときと同じ裏手にあるダイニングの窓からオークス寮を出ると、テディはウィロウズ寮に向かって駆けだそうとして――ぐらりと目眩がするのを感じ、立ち止まって深呼吸をした。

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