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Year 10 / Spring Term 「ジェレミーとロブ、再び」
五月の上演に向けて、〈ハムレット〉の準備は着々と進んでいた。
ドラマ学習の成果を問われる上演であり、二クラスの生徒全員が何らかの役割を担って参加、皆で協力し合って仕上げていく、というお題目ではあるが、実際は率先して動く生徒というのは決まっていて、ふと気づくと何人かの生徒がその場からいなくなっていたりした。テディも、そのうちのひとりだった。
主役を演じるルカはその持ち前の愛想の良さと物怖じしない性格で、見事にムードメーカー的役割をも果たしていた。台詞合わせでは一際よく通る声で他の役の者たちを引っ張っていき、予定よりも早く通し稽古が始まるのではないかと、舞台装置や大道具を担当する者たちが焦ったほどだった。
そのなかにはエッジワースがいたが、彼だけは焦ることもなく黙々と作業を進めていた。大工仕事やペンキ塗りが得意な彼は大活躍で、のこぎりも金槌も持ったことのない良家の御曹司たちに的確な指示を出しながら、活き活きと作業していた。これまで、成績もあまり良くなくちょっと不良っぽいエッジワースを避けたり莫迦にしたりしていた者たちは、挙 って彼のことを見直した。
そしてオニールは最後まで決まらなかったガートルード役を引き受けながら、皆のリーダー的な存在として現場をまとめるという大役を熟していた。
皆がそうやって演劇の準備に追われているとき。テディはふらりと寮 に戻って本を読んだり、木陰で煙草を吸ったりして過ごしていた。
柳の木の傍には小さな池があり、周りには春の訪れを告げる黄色や薄紫の草花が咲き始めていた。それでもまだ気温はあまり高くはなく、一処 にいるには肌寒いので目的もなく構内をただ歩く。
部屋を出るときに鎮痛剤を何錠も飲んでいた所為か頭は少しぼうっとしていて、どこかから聞こえる教室のざわめきと、人影の見えない辺りの景色はなんだか妙に現実感がなく感じられた。まるで自分はここにはいないような気さえした。ふわふわした気分で校舎の反対側に目をやると、高い煉瓦塀とその向こうに澄んだ空の色をみつけた。
木々のあいだから、きらきらと陽の光が零れている。眩しさに思わず手を翳し、目を細めながらテディは立ち止まった。そして光を避けるように二、三歩後退ったが――草に足を取られ、よろけて尻餅をついてしまった。
「なにやってんだ。またサボりか?」
少し間を置いて、テディは自分が云われたのだと気づいた。みっともないところを見られたと思うと同時に、少し意識がしゃんとする。テディは坐りこんだまま、きょろきょろと辺りを見まわした。
「こっちだ、こっち」と笑いながら云うその声は、シックスフォームの校舎の向こう側から聞こえていた。見るとジェレミーとロブのふたりが手に煙草を持ち、校舎の陰からこっちを覗くようにして顔を出していた。どうやら灰皿の設置されている場所で喫煙タイムらしい。
テディは立ちあがり、ゆっくりとそっちへ向かって歩いていった。
「なにやってたんだ、あんなところで転んだりして。酒でも飲んでたのか?」
近づくといきなりロブにそう訊かれ、テディは首を横に振った。
「酒は、飲んでない……というか、俺、飲めないんです……。弱くて――」
ふうん? とジェレミーは首を傾げながら煙草を咥えて深く吸い、持ち替えて灰皿に捨てた。ふーっと煙を吐きだし、彼は云った。
「なんか飲みたいんだけど飲めないって感じの云い方だな。で、かわりに薬でもやったとか?」
「え……薬、やってません、俺――」
「俺らに隠さなくていいだろ。っていうかおまえ、隠せてると思ってるのか? 今まだすごく効いてるってだけなのかもしれないけどな、ばればれだぞ。とろんとした目つきで、ふらふらして」
ロブにそう指摘され、テディは居たたまれなくなって後退り、その場から逃げだそうとした。が、「あ、おい。待て待て」とジェレミーに腕を掴んで引き留められる。
「逃げるなよ。別に教師 どもに云ったり説教したりしないって。ま、そんなふうにきまってるときに出歩くなんてやばいって、指南はさせてもらうけどな」
その言葉にテディは眉をひそめ、おかしそうに笑っているジェレミーの顔を見た。
「指南……ですか? それって……先輩も、なにかそういうものを使ってるとか、なにか教えるとか、そういうことですか……?」
「ああ、まずそのまどろっこしい丁寧な喋り方はもうやめろよ。云ったろ、俺の名前はジェレミーな。おまえはテディだったよな……先輩とか後輩とか、面倒だから。楽に話そう」
ついこのあいだ、自分も同じことをジェシに云ったのを思いだしてテディは苦笑した。なんとなく肩の力が抜けて、それがジェレミーにも伝わったのか腕を掴んでいた手が離れ、そのままぽんと叩かれる。
「そうだな……このあいだ、遊ぶときに誘うって云ったのにまだ遊んでなかったな。今夜、来るか?」
いきなりそんなことを云われ、テディは軽く目を瞠って小首を傾げた。
「今夜……え、どこへ?」
「俺の部屋」
「オークス寮の? 俺が入ってもいいのかな……」
「ばれなきゃなんでもありさ。遊ぼうぜ」
「……遊ぶって、なにして?」
「ん? 音楽でも聴きながら酒飲んで、煙草吹かして喋ったり……そんな感じ」
「偶にカードゲームしたりもするけどな」
酒と煙草という部分を除けば思いの外健全なようで、テディはそれなら……と頷いた。
「じゃあ、お邪魔しようかな……あ、もうひとり、連れがいてもいい?」
ルカも誘おうと思いそう訊くと、ジェレミーはにっと笑って髪をくしゃっと掴むようにして、頭を撫でてきた。突然の、あまり人にされたことのない行為に少し驚いて顔を見る。
「今の、大正解」
「え?」
ジェレミーがそう云うと、ロブもうんうんと頷いた。意味がわからず、テディは不思議そうにふたりの顔を見比べた。
「いきなり夜中に部屋に来いって誘われて、はいはいってひとりで来る約束するようだったら、説教してやろうと思ってた」
「うん。おまえ、なんか危なっかしいからな。よく知らない奴の部屋に行くときは、そうやってひとりで行かないようにするのがいい」
大真面目にそう云うふたりを、テディは一瞬きょとんとして見つめ――そして、ぷっと吹きだした。
「なんで笑うんだ」
「だって……なんか、おかしくって。そんなふうに云われたの初めてだ」
そのとき、鐘の音が響き、同時にどこかからがたがたと椅子を引く音とざわめきが聞こえてきた。
「おっと、そろそろ戻るか」とロブが云い、ジェレミーも頷く。
「じゃ、おまえもサボってばかりいないで戻れよ。……今夜、零時過ぎ。見廻りが済んだら抜けだしてきな。ここで待ち合わせしよう。寮の裏から入るんだ。手引きしてやるよ」
上流階級 や上位中流階級 などの育ちのいい生徒ばかりがいる寮といっても、やっていることは同じなのだなあと思いながら、テディはわかったと返事をしてふたりと別れた。
「――でね、今晩、部屋に行くって約束をしたんだけど……」
「今晩?」
夕食と、寮のミーティングが済んでルカと一緒に部屋に戻ると、テディは早速ジェレミーとロブの話をした。ルカには以前煙草をもらったときにも少し話してはいたので、簡単に今日また会って誘われたとだけ説明する。
部屋に入るなりルカはどかっと布張りのチェアに腰掛け、手を伸ばしお菓子の缶を開けた。中からテリーズのオレンジチョコレートをひとつつまんで、ぱきっと齧る。
「オークス寮かあ、一度入ってみたいと思ってたし、いいよ。話を聞いてるとなんだかおもしろそうな連中だし」
「うん、煙草くれたりして悪い先輩だなあとか思ってたら、やたらと心配してくれたりしてね。いい人たちだよ」
そして、いつものようにポータブルステレオのスイッチを入れ、デスクに向かって勉強を始めたのだが――どうやらルカは、連日の劇の稽古でかなり疲れが溜まっていたらしい。頬杖をつき、ペンを持ったままこくりこくりと船を漕いでいるルカを見て、テディはそっと肩を揺さぶりながら声をかけ、ベッドに入るよう勧めた。
「もう今日は勉強は休みにして、早めに寝なよ。零時過ぎて見廻りが行ったら起こすからさ」
「そうだな……じゃあ、そうするか」
そして素直にベッドに入り、すぐに寝起きを立て始めたルカは――結局そのまま、朝まで目を覚まさなかった。
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