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Year 11 / Autumn Term 「蜜月の時」

 ルカとテディのふたりはいつなにをするときも一緒だった。十月も半ばになる頃、寮制学校(ボーディングスクール)での生活に慣れ始めた新入生たちは、この校内一の美形カップルと評判のふたりに羨望と好奇心が綯い交ぜになった視線を向けるようになっていた。  が、以前広まった学年でいちばん躰の大きな奴とやりあって勝ったとか、薬物を乱用しているらしいという噂も根強く残っていて、新入生や後輩たちにとっては近寄りがたい存在でもあったらしい。そのおかげか、中庭を横切るたびに群がられるというようなことはなかった。  テディは相変わらずときどき授業に出ないことがあったが、以前のように周りについていけなくなるほどではなかった。ルカが連れ戻すようになったからだ。数学やドイツ語など、既にGCSE試験でA以上を取った授業のとき、ルカは戻ってこないテディを捜しに行って、みつけるとそのまま一緒に煙草を吸って過ごしたり、学校の外へ出てカフェに行ったりした。楡の木の枝には、ルカの提案で等間隔に結び目を作ったロープを括りつけて垂らしておいた。それだけで、外から戻るとき塀を登るのがずいぶんと楽になった。  そうして充分に気分転換をしたあと、ルカと一緒に教室へと戻る。そんなふうに特になににも追いたてられることもなく、いつもルカが傍にいるおかげか、テディの状態はかなり良くなったようだった。つきあい始めた頃のように日に何度もキスをして、当たり前のように自然に触れあっているとテディは落ち着いた様子で、まるで牡丹(ピオニー)の花のように艶やかな微笑みをルカに向けた。  冬が来ればふたりとも十六歳。出逢ったときよりもかなり背が伸び、体格も変わり始める頃だった。ルカは端整な顔だちに少し男っぽさが加味され、テディは顔の輪郭を縁取るほどに伸びた暗い金髪(ダークブロンド)がその中性的な魅力を増していた。  だからというわけではなく、偶々ではあるが、この頃ジェシは何度か彼らふたりの写真を撮っていた。ジェシは暇さえあればカメラを持って構内でシャッターを切っていたのだが、その被写体のなかにルカとテディも含まれていたのだ。  音楽室でピアノを弾くルカ、窓枠に肘をかけて煙草を吸うテディ、ふたりが何気無く笑いあっている瞬間――なにを撮ってるんだと不思議な顔をされながら、ジェシは代わり映えのしない毎日のなかの、なんでもない瞬間をいくつか切りとった。  未だおとなになりきらない少年の、青春という名の光のなかで輝く儚い時期。この年頃特有の透明な美しさを纏った彼らの姿を焼きつけたフィルムは、しかし残念ながら、その後新たに母から譲り受けたデジタルカメラをジェシが使用するようになって、現像されないまま忘れ去られてしまう。 「あれ、めずらしいですね。ピアノ、練習してるんですか」  ある土曜の朝、いつものようにカメラを頸から提げたジェシが音楽室に入ったとき、ピアノの前に坐っていたのはテディのほうだった。その傍らに立っているルカが振り返って、「おう」と返事とも挨拶ともつかないような声とともに片手をあげる。 「ちょうどいいところに来たな。ちょっと聴いてやってくれよ……こいつ、俺が褒めても嘘だ、ぜんぜんだめだって信用しないんだよ」 「わ、聴きます聴きます」  ドアをきちんと閉めてピアノに近づくと、恥ずかしそうに膝の上に両手を下ろしているテディが見えた。 「なにをマスターしたんです? 早く聴かせてください」と少しわくわくしながらジェシが急かすと、テディは困ったように俯いた。 「マスターなんて……まだまだだよ。間違えないように指を運ぶのに必死で、一瞬止まっちゃうんだ」 「気にするほどじゃないって。簡単な曲なんだし、もう充分弾けてるよ」  とりあえずジェシも聴きたがってるし弾けよ、と背中を押され、ようやくテディは鍵盤の上に手を翳した。細く長い指が淡々としたテンポの、シンプルな旋律を奏で始める。  少し聴いただけで、ああこれはとジェシにもすぐにわかった――ゾンビーズの〝A Rose for Emily(ア ローズ フォー エミリー)〟だ。  確かに覚えてしまえば簡単に弾ける曲だし、実際テディもまったくミスすることなく弾けていた。本人が云うように手を広げて鍵盤に下ろす一瞬、指の位置を確かめているのか微妙に手が止まることはあったが、これは何度も弾いているうち、じきになくなるだろう。  テディの弾く伴奏に合わせてルカが抑えめな声で口遊むのをじっくりと最後まで聴き、ジェシは感嘆の声をあげながら拍手をした。 「すごいじゃないですか、ちゃんと弾けてますよ! いつから練習してたんですか?」 「ん? 今何時だ……? えっと、三……四十分くらい前からかな」  ルカが腕時計を見ながら答えると、ジェシはええっと驚いた。 「ほんとにですか!? そんな短時間で――えっ、今までにピアノ、練習したりしたことは……」 「え……ないよ。今日が初めて」 「じゃあやっぱりすごいですよ! テディ、自慢して大丈夫です、僕が保証します!」 「だろ、俺も結構びっくりしたんだ。やっぱり音楽好きだし、耳がいいからかな……ほら、云ったとおりだろ? テディ。おまえ楽器弾く才能あるよ」  ふたりに褒められ、テディは照れくさそうに小首を傾げ、苦笑した。 「……でも、やっぱりルカとジェシには敵わないよ。さ、どうぞ。替わろう」  そう云ってテディはジェシに席を譲ろうと立ちあがった。 「え。もう弾かないんですか」 「うん。ジェシ、弾きたそうな顔してるし」  あ、ばれました? と云いながらジェシはピアノの前に坐った。なにを弾こうかと少し考え――思いついてすぐに鍵盤に指を下ろす。さっきテディが弾いた〝A Rose for Emily〟と同じゾンビーズのアルバム〈Odessey and Oracle(オデッセイ アンド オラクル)〉に入っている〝This Will Be(ディス ウィル ビー) Our Year(アワ イヤー)〟だ。  ジェシが軽快に弾くのに合わせ、またルカが歌い始める。テディはそれを見て笑みを浮かべ、窓際へ行くとポケットから煙草をだして火をつけた。  咥え煙草で窓を細く開けると、ひゅるる……と音をたてて冷たい風が吹きこんできた。髪を乱していく風を避けるようにして顔を顰めたテディに笑い、ルカが俺も一本、と近づいていく。  その様子を見ながらピアノを弾き続けるジェシは、その曲がルカにとって特別な意味を持つことなどまったく知らない。なんだかシャッターチャンスな気がしてジェシは適当なところでピアノを弾く手を止めると、眼鏡を外して胸ポケットに入れ、ルカたちのほうを向いてカメラを構えた。  ファインダーのなかに、ふわふわと風に髪を踊らせるふたりの姿を捉える。薄曇りの空を覗かせる窓を背にし、ライターの火が消えないように覆うテディの手を、煙草を咥えたルカの手がそっと包む瞬間――かしゃっというシャッターの音が響いた。

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