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Year 11 / Spring Term 「嘘つきな恋人たち」

 ラゲッジを押しながら部屋に入ると、こっちを振り向いたテディと目が合った。  お互いにすぐ顔ごと逸らし、ルカは振り返らずにいようと努めるかのように荷物の片付けを始めた。どっちも、おかえりすら云わない。  あの件以来、ふたりはまったく口を利いていなかった。なにも云う言葉をみつけられないのだ。  どうして他の奴と寝たりなんかしたのか。理由を尋ねようとも思わなかった。聞いたとしても納得なんかできやしない。こんなこと絶対に許さない、赦せない――そう云ったら、ならしょうがないねとそのままテディはあの男のものになるのではないか。否、もう既にそうなのだろうか。それとも、自分が今回だけだと赦したら、今までどおりにつきあっていけるのだろうか。たとえそうだとしても、あんな場面を見てしまった自分が、今までと同じにテディを愛していけるのだろうか?  わからない。わからない。  十六歳になったばかりのルカには、甚だ手に余る難題だった。途方に暮れたあげく、テディを見限る方向へ思考が移っていっても、誰もルカを責めはしないに違いない。  ルカは思った。よくよく考えてみれば、テディは自分とつきあう前に誰かとフィジカルな関係をもっていたようだし、薬は乱用するし、見た目と違ってわりとろくでもない。何度云っても授業はすっぽかすし、気分のアップダウンは激しいし気紛れで我が儘だし――音楽の趣味が合うから今までうまくやってこられただけで、自分がこんなに執着するような相手ではないのではないか。もうじきまたGCSE試験だし、九月になればシックスフォームに上がるし、もうこんな関係は終わりにして勉強に集中したほうがいいのではないか。  ラゲッジの中の衣服をワードローブにしまい終え、テディのほうを見ないようにして部屋の奥へと歩く。イヴリンに持たされたケーキの箱も、いつものテーブルではなく今日は自分のデスクに置いた。  ほとんど話もせず鬱ぎこんでいる自分の様子を見て、イヴリンはまたなにかあったと気づいていたようだが、なにも云わなかった。甘い匂いのする箱を眺めながら、ルカは溜息をついた――他のことなら、ちょっとばかりごまかしながらでも相談するのだが、問題が問題だけに今度ばかりはイヴリンにも頼れなかった。こんな男子校で、恋人が他の男と寝ていたなんて話、どう置き換えようがあるだろう。  かたん、と背後で音がした。だがルカはそっちを見ようとはしなかった。デスクチェアに腰掛け、これからこんな感じで、ずっと気まずいまま過ごさなければいけないのかと頭を抱える。はっきりと終わりを告げたところで、普通の友人として付き合っていけるものかどうかさえ、ルカにはわからなかった。部屋を誰かと替わることはできるだろうか――許可が出るなら、そうしたほうがいいのかもしれない。  ルカは、いつの間にか妙に醒めた心地でいる自分に気づいた。そうだ。離れてしまえば意外と何事もなかったように、平静になれるのかもしれない。きっと、誰もが経験することなのだ。否、他の男とベッドにいるところへ踏みこむなんてことは滅多にないのかもしれないが――永遠に続くものと信じていた関係が壊れてしまうのも、こうして恋の終わりを見届けることも、人が成長していくのには必要なことなのだろう。  どのくらいのあいだ、そんなふうに思案に暮れていたのか――さぁ……と耳に届いた水音に、ルカは顔をあげ窓の外を見た。雨が降りだしたのかと思ったが、外は明るく、冬の澄んだ空気が綺麗な水色の空をクリアに見せていた。  そういえば、とルカはようやくテディのベッドのほうを見た。さっき、バスルームのドアの音がしたような気がしたのだ。やはり部屋のなかにテディの姿はなく、ベッドの上に片付けを済ませないまま放置した衣服や、開けっぱなしのショルダーバッグなどが置かれていた。  戻ってくるなりシャワー? と首を傾げ、その一瞬後――浮かんだ想像にすぅっと血の気がひくのを感じ、ルカは椅子を倒す勢いで立ちあがった。まさか、と思いながら駆け寄り、がたんとバスルームのドアを開ける。 「テディ!?」  テディは制服を着たまま膝を抱えて坐りこみ、シャワーの雨に打たれていた。真っ青になったまま、ルカは慌てて腕を掴んで引き起こそうとした。 「なにしてるんだテディ――おい、これ……水じゃないか!」  シャワーは冷水で、触れたテディの手もすっかり冷えきっていた。手首を切ったりはしていなかったようなのでとりあえずほっとする。ルカは慌ててシャワーを止め――考えて、今度は熱い湯を出した。部屋のなかはセントラルヒーティングで暖かいとはいえ、こんな真冬に水を浴びてそのままにしていたら風邪をひいてしまう。 「ああもう、服も着たままで……ほんとになにやってんだよおまえは! ほら、ちゃんと脱いで、躰を温めないと――」 「……ゆるして……。ルカ……、俺……」  テディがなにか呟いた。ブレザーを脱がせ、シャツの(ボタン)を外す手を休めずにルカはちらりとテディの顔を見た。俯き、放心したようにされるがまま動かないテディが、独り言のように続ける。 「わからないんだ、なんであんなこと……。俺、どうしちゃったんだろ……。ルカを裏切るなんて、俺……」  ルカはその言葉に、なにも応える気にはなれなかった。肩を貸して立ちあがらせ、濡れて張りつく服を苦労してなんとかすべて脱がせると、冷えきっていた肌が赤みを帯びるまで熱いシャワーを浴びさせた。自分のシャツの袖やトラウザーズの裾も濡れてしまったので、ルカはバスタオルをテディに渡しておいて先に部屋に戻り、部屋着兼寝間着にしているスウェットに着替える。  バスルームを見やると、テディは頭からタオルをかぶったまま動かず、躰を拭こうともしていないことに気がついた。溜息をつき、頭からがしがしと拭いてやる。ベッドの上に出しっぱなしになっていたもののなかから下着と長袖のカットソー、パーカーと揃いのスウェットパンツをみつけ、ルカはテディの手にしっかりと押しつけるように渡した。 「さあ、さっさと着て。また躰が冷えちまう前にちゃんと着るんだよ。子供じゃないんだから、もう面倒かけないでくれ」  そう云うと――テディは、少し驚いたような、哀しそうな顔でルカを見た。ちょっと云い方がきつかったかな、とルカは目を逸らし、いつもの布張りのチェアにテディに背を向けて坐った。  テディは、今度はちゃんと云ったとおりにしているようだった。キャビネットのガラス戸に、パーカーに袖を通すテディが映りこんでいた。それを見てルカはとりあえずほっと息をついたが、程無く背後から啜り泣く声が聞こえてきた――ガラスのなかのテディは、ベッドに腰掛け自分の膝を握りしめるようにして俯き、肩を揺らしていた。 「ルカ、ゆるして……ほんとにごめ……っ、謝ってすむことじゃな……って、わかってるけど……もう絶対、二度としない……誓うから……! ゆるして……俺、ルカがいないと……っ、俺、どうしてあんなこと……!」  これまでにも何度か、こんなふうにテディが泣きながら赦しを乞う声を聞いてきた。何度聞いても慣れるものではないらしい――胸が締めつけられるような痛みを覚え、ルカは遠くへ押しやった気がしていたテディに対する想いが、自分のなかでさざめきたつのを感じた。 「どうしてあんなことをしたなんて、ほんとに、こっちが訊きたいよ……。ゆるせないよ、ゆるせるわけないだろう。俺はこんなにおまえのことを……おまえだけを想ってるのに、なんで……!」 「俺だって……! ルカのこと、愛してるよ。ほんとだよ、信じられないかもしれないけど……ルカがいないとだめなんだよ俺……、ルカがそう云ったんじゃない……!」  おまえには俺がいなきゃだめだ。俺は絶対おまえと離れたりしない。離さない――確かに、そんなことを云ったなと思いだす。そして、これまでにあったいろいろなことが、次々とルカの頭のなかに浮かんだ。真夜中の散歩、恋の自覚、片膝をついてずっと一緒だと誓った日。そして、初めてキスをしたあの夏――  想い出に揺れていたルカの表情がふと曇った。サマーキャンプでのあの出来事――立ち入り禁止とロープの張られた廊下の向こう、階段を上がった先にあった、月の光が射しこむ使われていない部屋。  帰りのバスに乗りこむ前、最低と罵られ、引っ叩かれたところは見られているが、自分と彼女とのあいだになにがあったのか、テディは知らないはずだ。  あのときテディがしようとしたことに驚き、一方的に責めたてて部屋を出ていった自分は、八つ当たりのような、もやもやした気分の捌け口としてあの女の子――もう名前さえ憶えていない――と、セックスをした。  すっかり忘れていた。あれは、もしもテディが知ったなら、今の自分と同じように赦さない、信じられないと激昂されることではないのか。  ――自分には、テディを責める資格などありはしなかったのではないか? 「おねが……ほんとにもう……絶対しないから……、ゆるして、ルカ……!」  テディはまだ泣きじゃくり、呪文のように赦しを乞う言葉を唱え続けている。 「……濡れた制服、なんとかしないと」  ゆっくりとルカは振り返り、目にいっぱい涙を溜めて途惑っているテディを見た。 「あんなにびしょ濡れにしちまって。モーリンのところに持っていくしかないよな。なんて云うか、おまえ考えとけよ」 「……ゆるして……くれるの……? ルカ――」  ルカは立ちあがり、少し迷って「今回だけだ」と云った。 「正直、ゆるせるわけじゃない。でも……」  ルカは言葉を呑みこむようにぐっと唇を噛みしめた。絶対に赦せないと云いながら、それでもいろいろな思いに揺れ、葛藤してしまっているのは、まだ愛しているからなのだろう。 「でも、本当に次はないからな」 「ルカ……ごめん、ごめん……!」  抱きついてきたテディを、ルカはしっかり受けとめた。  肩に顔を埋めて泣くテディの背中に手をまわし「ああもう、いいかげん泣きやめよ。まったく泣き虫なんだから」と、まだ濡れている髪を撫でてやる。込みあげてきたなにかに衝き動かされるように、ルカはぎゅっと細い躰を抱きしめた――すると、頭のなかでごちゃごちゃと縺れていたなにかが、すぅっと消えたような気がした。  感じるのは、胸をいっぱいにしているテディへの熱い想いと、終わりにしなかったことへの安堵感だった。 「ほら、まだ髪が濡れてる……風邪をひくからちゃんと乾かせよ。乾かしたら制服持って階下(した)に行くぞ」  そう云いながらバスルームへと向かい、ルカはふと鏡に映った自分を見て顔を顰めた――あの夏の日の話をしないまま寛大な態度をとる自分は、なんて狡くて卑怯なのだろう。  拾いあげたテディのブレザーが、ぱたぱたと水滴の音を響かせ、ルカの爪先をまた濡らした。

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