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Year 11 / Spring Half Term Holidays 「セクシュアリティ」
夕食のあと、少しだけダニエルの相手をしてからテディは先に階上 に上がり、部屋に籠もった。
ラップトップを開いてデスクに向かい、ジェシに教わって作ったメッセンジャーのアカウントにログインすると、既にジェシからオフラインメッセージが届いていた。
『Jesse :やっと帰宅しましたー!』
『Jesse:ロンドンからマンチェスターまで二時間半以上も列車に乗るわけですが、最近はアルバムを三枚か四枚聴いてると着いちゃうので、あっという間です! これも音楽の恩恵ですね!』
『Jesse:ルカはほんとにPC買うのかなあ? 今夜は僕は、家族と外に食事に出かけるので無理かもですが、早く三人でこうして話してみたいですね!』
『Jesse:ではでは。楽しい休暇を!』
まるで本人が眼の前で話しているように感じられて、テディはくすっと笑みを溢した。なにか返事をしておいたほうがいいのかなと、少し考えてかたかたと文字を打ち始める。
『Tedi :おつかれさま』
『Tedi:ルカはたぶん明日にでも買うんじゃないかな。きっとそのうち教えろーってメールが来るよ』
『Tedi:じゃ、また明日……かな? 食事、楽しんできてね』
会話ウィンドウを閉じると、テディはブラウザを開いてブックマークしたウェブサイトを見始めた。好きなミュージシャンのオフィシャルサイトや音楽関連のコンテンツを次から次へと眺め、ポータルサイトから興味をひかれた見出しのページに飛び、そこから更にリンクされている元記事のニュースを読んだりと、気の向くままにインターネットの世界を彷徨う。
ニュースのページを開くと、イラク、パレスチナ、イスラエルといった文字がまず目についた。そんななか、ページの下のほうにちらりと見えた見出しにふと目を奪われた。
少しスクロールすると、『カリフォルニア州サンフランシスコ、同性カップルの結婚は無効』とあった。
一九八九年、デンマークで初めて異性間の婚姻とほぼ同じ、法的な権利や保護を付与するパートナーシップ法が同性カップルに対し施行されてから、ノルウェーやスウェーデン、フランス、ドイツなど先進国では次々とシビル・ユニオンの法制化が進んだ。そして次には、異性間では当たり前に認められていることが同性間で認められないのは平等ではないとして、同性同士での婚姻を認めようという声が高まっていった。二〇〇〇年には世界に先駆けてオランダが同性婚法を成立させ、二〇〇三年にはベルギーでも同性婚が可能になった。
その後も、長い年月をかけてあらゆる国や地域がシビル・ユニオンや同性婚の法制化を進め、それに伴い少しずつ人々の意識や、同性愛者やLGBTと呼ばれる当事者に対しての向き合い方が変化していくのだが――この頃はまだ、その第一歩を踏みだしたばかりだった。
アメリカではカリフォルニア州で二〇〇〇年からドメスティック・パートナーシップ制度が同性間でも適用可能となり、二〇〇三年にはマサチューセッツ州で同性結婚を認めないのは州憲法違反であるという最高裁判所の判決が出た。しかし一方で、アメリカの十一の州は住民投票によって同性婚にNOという答えを出し、一部の政治家は保守層の支持を得るため同性婚に否定的な立場を取った。それに対抗するかのように声をあげる当事者は徐々に増え、ミュージシャンや俳優などの著名人も、同性愛者の人権問題に関してコメントをするようになり始めた。
そして、二〇〇四年二月、当時のサンフランシスコ市長、ギャビン・ニューサム氏が同性カップルに対し結婚許可証の発行を強行した。二月十二日から十六日までの五日間で、およそ二千五百組の同性カップルがアメリカで初めて正規の結婚証明書を手にし、市庁舎内で結婚式を挙げた。しかし、十七日には『結婚は男女間のみ』とするカリフォルニア州法により、裁判所から同性カップルへの結婚証明書の発行停止と無効を告げられ、その後長きに亘り法廷で争うことになる。
二〇〇八年五月には州最高裁により「同性結婚を認めないのは平等を唱えた州憲法に反する」と、州法が違法であるという判断が下され、お祭りムードのなかおよそ一万八千組が結婚した。が、同年十一月、アメリカ史上初となる非白人の次期大統領が選出されたのと同じ日、『Proposition 8』という同性婚を禁止する州憲法改正案が、僅差で可決された。
この後、カリフォルニア州で再び同性婚が可能になるのは二〇一三年六月――およそ四年七ヶ月後のことだ。そして二〇一五年六月には、連邦最高裁判所によって「同性結婚を認めないのは基本的人権を定める米国憲法修正第十四条に反する」という判決が下り、ようやく同性カップルの婚姻制度が全米に波及し始めるのである。
別に、特にこの問題に興味があったわけではない。テディはまだ結婚について考えたこともないし、同性愛者の人権問題について深く憂慮しているというわけでもなかった。だが、まったくの他人事ではないのも確かだった――自分が同性愛者であることは、もう自覚していたからだ。
ヴロツワフで男に性行為を強要されるようになってから、テディは自分が『ホモ 』とか『オカマ 』と呼ばれるものになってしまったのではないかと苦しんだ。当時はまだどこの家庭にもPCとインターネット環境があるという時代ではなく、もちろんテディの家も例外ではなかった。だから同性愛に関するニュースや、当事者たちによる性的少数者向けの情報発信サイトなどに触れることはできなかった。
おとなでさえ性的少数者に関する正しい知識をほとんど持っていないなかで、子供たちが知っていることといえば「おんなみたいになよなよした奴はオカマ」で、「『オカマ』や『ホモ』は悪口」だということくらいだった。子供たちは事実がどうであるかには興味がなく、単に苛める手段としてホモやオカマという言葉を使った。
色白でほっそりとした大きな瞳のテディはおとなしく、女の子のようにも見えたうえに、転校を繰り返していた所為で苛められることも多く、『オカマ野郎』と云われたことも一度や二度ではなかった。が、その頃――まだ不幸な出来事に見舞われる前までは、厭な思いをしながらも聞き流すことができた。
しかし、自分が本当に『オカマ』になってしまったかもしれない、と思うと、その言葉は胸に深々と突き刺さる、鋭い凶器になった。
自分はあの男に『ホモ』にされてしまったかもしれない、それとも元々そうだったのだろうか。自分は普通じゃないのだろうか、もう治すことはできないのだろうか――。正しい知識を得ることができず、悩みや不安が解消されることがないまま性的虐待も続き、テディは誰にも相談できずに鬱々とした日々を過ごした。
そして、先天的か後天的なものかは判断できないまま、自分は同性愛者だと少しずつ自覚していくに至った。それは、同級生たちが好きな女の子の話をしているときにふと覚えた違和感であったり、どこかで拾ったポルノ雑誌を廻し読みしているときの、周りと自分との反応の違いによってだった。女性の裸を見ても、見てはいけないものという罪悪感の他にはなにも感じない。それどころか、過激なポーズの写真などはじっと見ていると不快な気分になるほどだった。男女が絡んでいる写真なら、自然と男のほうに目が向く。仲が良く、よく一緒に話したりしていた友達がそんなヌード写真に興奮して騒いでいると、なぜだかとても厭な気持ちになって――あとから、自分は彼が好きだったのだと気づいたりしたものだ。
サンフランシスコのニュースを読んだあとテディは、そういえばここイギリスではどうなっているのだろうと検索を始めた。が、『イギリス 同性婚』で検索しても、探しているような記事はみつからなかった。それもそのはず、イギリスでシビル・パートナーシップ法が施行されるのはこの翌年、二〇〇五年十二月五日のことである。知りたかった情報がみつけられず、テディは検索結果をどんどんスクロールしていきながら眺めていたが――ふと、『セクシュアルマイノリティについてのよくある誤解』という文字にマウスを操る手を止めた。
クリックして、そのページを開く。そのウェブサイトは、性的少数者についての理解を広めるため、正しい知識と当事者の置かれている状況などの周知を目的としているようだった。ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーなど用語の説明から始まり、性自認とはなにか、性的指向とはなにか、どう違い、どう分類されているのかなど、なかなか情報が得られないなかでもなんとなくは皆知っているであろう言葉が、一から丁寧に説明されていた。
そして、その下のほうに検索結果で見た項目をみつけた――『セクシュアルマイノリティについてのよくある誤解』という見出しの下には箇条書きで、次のように記されていた。
① 性的指向と性自認はまったく別の話です。即ち、ゲイの男性が女性の心を持っているとか、女性の恰好をしたいわけではありません。
② 身体的な性と性自認が不一致な人が、自分と同じ身体的性を持つ人を愛するのは、異性愛です。(トランスセクシュアルのページへ→)
③ 同性愛は遺伝するものでも、伝染病のように移るものでもありません。
④ 同性愛指向は治るものでも、治すべきものでもありません。
⑤ 性的指向は生来のもので、本人がそうなろうと思ってなるものではありません。また、育て方や経験、環境によっても変わることはありません。
最後の「経験によっても変わることはありません」という一文に、目が釘付けになった。
自分よりもっと年齢の低い子供も見るように作られているのか、単純明快でわかりやすく、柔らかい表現で書かれているが、この「経験」は性的な体験と考えていいだろう。つまり、男に犯されてもその所為でゲイになったりはしないということが書かれているのだ、とテディはそう捉えた。性的指向は生来のもの――自分はやはり、あんな出来事がなくても生まれつきゲイだったのだ。そしてルカは、自分と性的な関係を持っていても、ゲイになったりはしないのだ。
「……ふ、ふふ……はは、あはははっ――」
なんだかすぅっと躰の力が抜けて、自然と笑いが込みあげてきた。
既に自分はゲイだと自覚はしていたのに――今更あらためて確信させられたからってなんだというのだろう。しかしそうは思いつつも、憎むべきあの男に自分の人生を歪められたとか、自分という人間を変えられてしまったなどということがないと知って、少しはほっとしたのかもしれない。あれは、単なる厭な出来事でしかないし、もうあいつはいない――そう思って、テディはぴたりと笑うのを止め、その表情を曇らせた。
今はデニスに同じことをされている。それに、母が事故に遭う前、家を飛びだしていった原因があの男と自分にあるということに変わりはない。自分が性行為を強要されていた被害者であろうと、先天的なゲイであろうと、それは同じことなのだ。
ブラウザを閉じ、ラップトップの電源を落とすとテディはベッドの上に躰を投げだし、天井を仰いできゅっと目を閉じた。
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