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Year 11 / Summer Term 「Throw Away」
ようやく長かった試験期間も終盤を迎え、受験生たちは選択した科目の試験をすべて終えると、ぱらぱらと寮 を後にし始める。ルカたちのような進学希望のY11 の場合、八月末に出る結果を受けてロウアーシックスとして戻ってくるまでもう学校に用はない――長い長い夏季休暇 の始まりである。
長く過ごしたこの部屋ともお別れだな、とルカは棚から本やCDを降ろし、持ち帰る箱と不要品の箱に分けて整理していた。試験の手応えは上々、シックスフォームになれば上の階にある一人部屋を使うことになる。たくさん書きこみをした参考書の類いをぎっちりと箱に詰め、ルカはふと振り返ってテディの様子を見た。
テディはベッドの下から引っ張り出したラゲッジに、体重を掛けるようにして冬物の服を押しこんでいた。季節ごとに持って帰っては少しずつ入れ替えていたルカと違って、テディの衣服は増える一方だったようだ。入りきらず溢れたそれらに、テディはうんざりしたように溜息をついていた。
無理もないか、とルカは思った。自分の家ではなくホストファミリーの家に帰るテディは、しばらく不要だからと置いてきたりしていないのだ。つまり、今ここにある荷物がテディの持ち物のすべてなのだ。ラゲッジひとつとダッフルバッグ、リュックサックとショルダーバッグ。あとはどこかのショップの大きな紙袋 と段ボール箱がひとつ。ただそれだけ。
それを、初めて見たときはなんて荷物が多いんだと思ったのだなと、ルカは苦笑する。
「入らないのか。箱、余ってるけど使うか?」
ルカが声をかけると、テディはうーん、と考えるように両手を腰に当てた。
「これは当分いらないって思うものだけこっちに入れてたんだけどさ……、一度も着てない服が結構あるんだよね」
「一度も?」
ルカはテディの足許に散乱している、冬物の衣服を見やった。濃いグレーのチェスターコート、ツイードのスーツ、タータンチェックのマフラー、アーガイルチェックのセーター――そのいかにも英国風なトラディショナルなスタイルは、確かにテディが身につけているのを一度も見たことがないものだった。しかも――
「ん? なんかそのスーツとか、もう小さいんじゃないか?」
ルカが云うとテディは立ちあがり、トラウザーズを腰に当てた。――やはり短い。
「これ、最初にバーミンガムの家で持たされたやつだもん。しょうがないよね」
制服だってY10 の終わり頃に一度サイズを測り直して新調しているのだ。当然といえば当然だった。
「もったいないな。新品のままか」
「うん……でも、こういうの着ることなかったしなあ」
それは機会がなかった、ということではなくて趣味じゃなかった所為だろう、と思ってルカはそのスーツを眺めていたが――ふと思いついてテディの脇を通り過ぎると、ドアを開けて廊下に顔を出した。
「あ、ヴォルコフスキー、階下 行く? じゃあ、すまないけどついでにオブライエンを呼んできてくれ。――そう、ここへ来いって伝えてくれればいいよ。頼むな」
ちょうど荷物を持って歩いていたヴォルコフスキーにそう云ってドアを閉めると、ルカはきょとんとしているテディの顔を見た。
「ジェシにやれよ。あいつ小柄だからちょうどいいんじゃないかな」
「え……」
そして、程無くジェシが部屋にやってきた。
「わあ、いいんですか!? 新品って、一度も着てないんですかもったいない……え、これも、これもですか? こんなに!?」
無邪気に喜ぶジェシに、テディは少し申し訳なさそうな顔をした。
「もう夏なのに、冬物ばっかりでごめん……それに、服をあげるとかって、失礼でなきゃいいんだけど……」
「え、全然気にすることないですよ! 僕こういうの好きなんですごく嬉しいです。……わぁ、なんかこれ高級そう。いいのかな」
安いものでないことは確かだろうな、と思いながら、ルカはツイードのスーツを熱心に見ているジェシに云った。
「サイズは?」
「あ、はい。大丈夫そうですよ……え、あれ?」
立ってトラウザーズを合わせてみたジェシは、ベルト部分をぴったりと腰に当て――端が真横まで来ないことに焦った声をだした。ルカはその様子を見て、ぷっと吹きだした。
「お菓子減らして、運動だな」
丈はちょうどいいが、ウエストがきつそうなトラウザーズを握りしめ、ジェシはテディに尋ねた。
「これ、ほんとにいただいていいんですか?」
「あ、うん……。でも、サイズが合わないんじゃ」
不要なものを押しつけるみたいで悪いから、欲しいものだけ持っていけばいいよとテディが云うと、ジェシは真面目な顔でこう答えた。
「いえ、このスーツすごく気に入ったので……これがちょうど合う体型になるように、僕ダイエットします……! ここに来てから肥ったなあってわかっていながら、ずっとお菓子をやめられなかったので……これを機に!」
譲り受けることにした服ぜんぶをとりあえず椅子に掛け、ジェシはお礼にと荷作りを手伝い始めた。
たいしてなにもないと思っていても、抽斗や棚から普段は使わない、忘れていたようなものがたくさん出てくる。テディの場合、それはミステリーのペイパーバックやCDと、キャンディやチョコレートの入っていた缶、小さな箱などがほとんどだった。
そのなかに、包装紙をつけたままのプレゼントらしきものが入った紙袋が混じっていた。それを手に取り、暫しじっと見つめるとテディはぽいっと不要なものを纏めている箱に投げ入れた。他にも万年筆と腕時計の入っていたらしい箱など、テディはどんどん不要品の箱に放りこんでいく。そして、続けてCDを一枚入れると、ジェシはあれっ、と声をあげた。
「これ、棄てちゃうんですか? このあいだ話してたやつですよね」
それはジェシが、親類の葬儀のため帰っていたマンチェスターからロンドンへ戻ってきた日にあった、ちょっと不思議な出来事の話に絡むCDだった。
「うん。悪くはないんだろうけど、やっぱり趣味じゃないし、持ってても聴かないから……」
長いブロンドのウィッグをつけた二匹の犬という、少し風変わりなジャケットのCDを見て、ジェシはうーんと唸った。
「でも、棄てるのはちょっと……そうだ。コモンルームかどこかに置いておきましょうよ。そしたらきっと誰かが持っていきますよ」
「なんだ、CD? じゃあ、ここに入れろよ。今この箱、廊下に置くところなんだ」
ちょうど脇を通りかかったルカがそう云って、抱えている箱を顎で示した。ジェシは云われたとおり蓋の閉まらない箱にCDを入れ、というか乗せようとして――中を見て「ええっ、これ……全部いらないんですか!?」と声をあげた。
「ん? だってもう試験済んだし次はAレベルだし。なにかおさらいすることがあったら纏めてあるノートのほう見るし。もういらないよ」
箱の中にぎっしりと詰まっているのは、参考書の類いだった。
「シックスフォームになったらまた新しいの買うしな」
「じゃ、じゃあこれ、僕もらっていいですか? 実を云うと、こういうものをちゃんと買うようにってお金を渡されてたんですけど……僕、つい全部CDに注ぎこんじゃって」
そりゃあ大変だ、とルカは大袈裟に目を丸くして見せ、自分たちに責任があることだなと笑った。
「そっか、いいよ。持っていけよ……でも、あちこち書きこみだらけだけど」
「かえって助かります。参考にさせてもらいますよ」
そうしてどんどん持ち帰るもの、不要品、ジェシが引き受けるもの――といった感じで仕分けと荷作りは進み、そろそろ休憩にしてお茶でも飲みに行こうか、とルカが声をかけたときだった。
こんこん、とノックの音がし、ルカがドアを開けるとヴォルコフスキーが立っていた。「どうやら今日の僕は、伝言係らしいよ」と、戯けたように云い、ヴォルコフスキーはルカの肩越しに部屋のなかを覗きこんだ。
「ヴァレンタイン、電話だよ。ラングフォードさんって女の人から」
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