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Lower 6th / Autumn Term 「分かたれる道」

 久しぶりに戻った(ハウス)では、大きめなブレザーを着た新入生たちが新しく監督生(プリフェクト)になったオニールに指示され、大荷物を持って割り当てられた部屋に移動していた。「ごくろうさま」と声をかけるとオニールは「おかえりヴァレンタイン、君はサードフロア(四階)のいちばん奥の部屋を使ってくれ」と、手にしていた紙を見ながら云った。  それを聞き、テディはそうだった、もうルカと一緒の部屋ではないのだと、あらためてがっかりした気分になった。  階段を上がっていくと、すっかり馴染みになった毎年お決まりの光景が広がっていた。廊下の其処彼処(そこかしこ)に仮置きの荷物が積まれ、寮生たちがばたばたと引っ越し作業をしているその様子を見て、テディはこの慌ただしい秋季(オータム)タームの一日めを迎えるのももう三度めなんだなと、感慨深げに目を細めた。  セカンドフロア(三階)から更に上へと手摺りに沿って折れるとき、ジェシの姿を廊下にみつけテディは思わず笑顔になって片手をあげた。するとジェシは「あ、テディ、おかえりなさい!」といつもと同じ明るい顔をこっちに向けてくれたが、傍にいた小柄な生徒に「オブライエン、ここではファミリーネームを呼ばないと」と注意されてしまった。  ジェシと目を合わせながら苦笑して、テディはまた階段を上がっていった。  ショルダーバッグを抱え直し、大きなラゲッジを引き摺ってやっと最上階まで来ると、顔は見たことがあるが名前は知らない寮生が立っていた。おそらく一年先輩であるその生徒は、テディの顔を見るなり「セオドア・ヴァレンタイン、君の部屋はいちばん奥だ」と指さした。 「さっき階下(した)でオニールに聞きました」とテディが答え、その脇を通り過ぎようとすると、どうやら新しい監督生らしいその生徒はあからさまにむっとした顔をした。 「失礼だな君は。一度聞いていようが、礼くらい云うのが当たり前だろう!」  高圧的な態度に、なんだか鬱陶しい奴だなと思いながらテディはごろごろとラゲッジを押し、さっさとその場を後にした。幸い、他にも新しいシックスフォーマーがやってきたらしく、「君の部屋はそこだ――」と声がして、テディをしつこく追ってくるようなことはなかった。  ドアを開け、がらんとした部屋にふと寂しさを覚える。ルカはまだ来ていないのだろうか、どの部屋になったのだろうか――そんなことを考えながら、ひとり黙々とラゲッジの中身をワードローブに移す作業をするが、なんだかてきぱきと動けず、まったく捗らなかった。  そのとき。 「――なんでだよ、別にいいじゃないか。どの部屋だって広さなんかは同じだろ? 俺はこの部屋はいやだ、こっちと替わってくれって云ってるだけじゃないか」 「だめだ! なんのために僕が君らの間の部屋になんかしたと思ってるんだ! 君らの不純なつきあいについてはもう学校中に知れ渡っているんだぞ、今までの監督生はどうかしてたんだよ、甘過ぎだ! これからは今までのようにはいかないから、覚悟しておくんだな」 「なんだよその言い種。俺たちなにも悪いことなんかしてないのに」  ドアを細く開け、廊下の様子を窺うと、さっきの監督生とルカがなにやら云い合っていた。どうやらこの部屋の隣があの鬱陶しい監督生で、その向こうがルカの部屋ということらしいが――覚悟とはどういうことだろうとテディは眉をひそめた。まさか、聞き耳を立ててまで、あの調子で批難してくるつもりなのだろうか。 「テディ」  目が合い、ルカはそう名前を呼ぶと、荷物をその場に置いたままこっちへ来た。それを見て、監督生はふんっと鼻を鳴らし、また階段のほうへと歩いていく。 「……なにあいつ」 「面倒臭いのが監督生になったもんだな……あいつ、確かヘイワードっていったっけ。くそ、なんで俺があの部屋を使わなくちゃいけないんだよ……」  その言葉で、テディははっと気づいた。ルカが割り当てられたその部屋には、テディも入ったことがあった――ミルズが使っていた、あの部屋なのだ。 「……いろいろ物を置けば、部屋の雰囲気も変わるよ」 「ちっ、しょうがないな……。っていうか、あの野郎のせいで、うっかり忘れるところだった」  なにを? と小首を傾げると、ルカはふっと少しおとなびた顔で笑って、背中に腕をまわしてきた。 「久しぶりテディ。逢いたかった」 「ルカ、今こんなところで――」  およそ二ヶ月ぶりのハグをしながらルカの肩越しに階段のほうを見ると、ヘイワードが目を剥いてこっちを見、顔を真っ赤にしてなにか云いたげに口をぱくぱくと開けていた。  別々の部屋になっても、間に口喧しい監督生がいようとも、テディは時間の許す限りルカの部屋に行って一緒に過ごしていた。テーブルで向かい合って勉強をし、お菓子を食べながらお茶を飲み、名残惜しげにおやすみのキスをしてから自室に戻る。  しかしそれでも、テディのなかでなにかが少しずつ、狂い始めていた。  独りきりの部屋。ベッドに入っても眠れない。消灯見廻りにやってくるハーグリーヴスの足音が、過去の悪夢を呼び覚ます。足音が去って灯りをつけても、部屋のなかのどこにもルカはいない。落ち着こうと煙草に火をつける。水を飲む。目はますます冴えて、再度ベッドに入ってもまったく眠れそうにない。しょうがないので気分転換に本を読む。ようやく目がとろんとしてきて眠れるのは、二時か三時を過ぎた頃だ。  そうすると当然、朝きちんと起きることができない。ルカが起こしてくれることも、もう望めない。目が覚めるのは、朝の点呼にやってきたハーグリーヴスに、具合でも悪いのかと揺り起こされたときだ。心配してルカも様子を覗きに来る。が、部屋にまで入って世話を焼いてくれようとするとヘイワードが難癖をつけるので、それを鬱陶しがってルカはすぐに戻ってしまう。  そればかりではなかった――シックスフォームになると、大学で専攻したい分野を通常二科目から四科目選択して授業を受ける。つまり、理数系が得意なルカに合わせるか、ルカにある程度自分に合わせてもらい、無難なところを選択しなければ授業で一緒になることもないし、同じ大学の同じ専攻へも進めないということだ。  そこまで考えたことがなかったふたりは一晩かけて話し合い、を採ることにした――即ち、それぞれ得意な教科をしっかりやって、専攻は違っても確実に同じ大学に入ること、である。  ルカは、フラットを借りてふたりで住み、そこから一緒に大学へ通えればそれでいいと考えたらしい。だがテディは自分が理数系が苦手な所為だと落ちこみ、その提案にもそうだね、しょうがないねとしか答えられなかった。  その結果、ルカは数学や経済学ばかりをとり、テディは英文学と哲学、心理学と完全にばらばらになった。ふたりが教室で肩を並べることはまったくなく、選択している科目の授業がなくてテディが暇なときはルカの授業が入っているといった具合で、一緒に過ごせるのは食事のときと夕食後から消灯までの時間、そして寮で過ごす土日だけになってしまった。  せめてエッジワースとオニールのどちらかといられれば、少しはましだったのかもしれない。しかしエッジワースはもうこの学校におらず、オニールは監督生になった所為かいつも忙しそうで、立場を気にしているのか態度もなんだか素っ気なくなっていた。  おまけに――土曜の朝、ルカと音楽室へ行くと、既にドア越しにピアノの音が聴こえた。ルカがぽかんと口を開けただけで、なにも云わずに回れ右して戻ったほどのその弾き手は、あとから耳にしたところによると、幼い頃からあちこちのピアノコンクールで賞を総嘗めにしてきたという、有名な新入生だったらしい。それならとシックスフォーム校舎のほうの音楽室へ行ってみたが、そちらは常に鍵がかけられていて入れなかった。  以後、ルカやジェシと音楽室に集まることはなくなり、ごく偶に三人の暇な時間が一致したときだけ、部屋や中庭で話しこむ程度になった。  そんなこんなで――なんとなくフラストレーションを溜めたテディがまた授業をすっぽかし、ひとりでふらふらと構外へ出ていくようになるまでに、ほんの半月とちょっとしかかからなかった。  ――こんなはずじゃなかったのに。  ウィロウズ寮近くの池のほとりで、テディはひとりつまらなさそうに煙草を吹かしていた。二度三度と続けて授業に出なければ、もう周りについていくことは困難だ。夜ルカに勉強をみてもらおうにもとっている授業が違うのでは無理なことだし、彼自身の勉強の邪魔をするわけにもいかない。  はぁ……とテディは溜息とともに、深く吸った煙を吐いた。こんなことなら、ちょっとばかり無理をしてでもルカと同じ授業をとればよかった、とテディは思った。どうせ落ちこぼれるのなら、ルカと一緒に過ごせる時間が長いほうがよかった。  さぁ、と柳が揺れて、髪を撫でていった冷たい風に少し震えた。木陰にいると冷えるなと思い、テディは立ちあがり、陽の当たっているほうへと少し動いた。  すると、教会のほうから誰かがこっちに向かって歩いてくるのが見えた。  黒っぽい短めの髪は一瞬ロブのようにも見えたが、以前アッパーシックスだった彼らがもうここにいるはずはない。それに、近づいてくるにつれその人物は、ロブよりも少し細身だということがわかった。  誰だろう、と思いながらなんとなくそっちを見ていると、その人物は「やあ、ひとり?」と声をかけてきた。 「……見てのとおり、ひとりだけど」 「そう、相方は一緒じゃないんだな。ブランデンブルクは今は授業かな? どうやら噂のナイスカップルも、専攻は違うようだな、ヴァレンタイン」  いきなりそんなことを云われ、テディは少しむっとして煙草を足許に棄て、踏み消した。 「自分のまったく知らない奴が、自分のことをよく知ってるらしいってのは、あまりいい気持ちがしないね」 「ひどいな、まったく知らないのかよ。ずっと同じ寮にいるってのに……俺はマシュー・ヒギンズ。マシューでもマットでも、好きなように呼べばいい。いっこ上だけどな。俺はヘイワードの奴みたいに、規則に雁字搦めってのは気に入らないんだ」  ヘイワードが気に入らないと聞いて、テディは眼の前でぺらぺらと喋る男――マシューに、少し興味を持った。 「奇遇だね。俺もなんだかあいつはいけ好かない」 「好きな奴なんかいないさ。あいつ、とにかく成績でトップを取るのが目標で、今までクラスメイト全員を目の敵にしてたような奴なんだぜ?」 「そうなんだ。じゃあ、成績だけで監督生になったんだね。人望とかは考慮されないんだ」 「そんなことはないんだろうけど……あいつは後輩なんかにはクソ偉そうだけど、上にはへこへこしてるからな。まったく、顔がもっとたいしたことなけりゃ、ウィロウズじゃなくてビーチズにでもいただろうに」 「顔?」  ここでどうして顔の造作の話になるのかわからず、テディは首を傾げた。マシューはその様子を見て、「ああ、なんだ。知らないのか」と意外そうに笑った。 「ウィロウズ寮は昔から、顔がいいことを条件に入寮する奴を選んでたって話だよ。だから秀才タイプもいれば移民も留学生もいるってわけだ。ヘイワードも黙って顔だけ見てりゃ、まあまあだろ? ちょっと若い頃のクリストファー・ウォーケンみたいでさ」  まあでも、どっちにしても好みじゃないけどな、と云うマシューに、テディは尋ねた。 「好みって? どういうのがタイプなの」 「そうだな……。髪はちょっとくすんだ金髪で」  マシューは薄く笑みを浮かべたまま、テディを見つめ答えた。「目が大きくて、睫毛が長くて……瞳の色は灰色だ。唇はふっくらと柔らかそうで……肌がすごく綺麗な――」  ふっと呆れたように笑い、テディは視線を彷徨わせた。 「ところで、なにをしてたの? 教会のほうにいたみたいだけど」 「ああ、別になにかしてたってわけじゃない。……教会の椅子で眠るのが好きなんだ。悪い夢は絶対にみないって気がするだろ? 今日はみつかって、追いだされたけど……。まあ、とりあえずここにずっといてもしょうがないな。部屋でお茶でも飲まないか、ヴァレンタイン」  そう誘いの言葉をかけてきたマシューに、テディは笑みを浮かべ、答えた。 「テディでいいよ。マシュー」

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