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Lower 6th / Permanent Exclusion 「放校」

 ルーカス・ダミアン・ルイス・ブランデンブルクとセオドア・ルシアン・レオン・ヴァレンタインの両名を、名誉ある本校の秩序を乱し重大な不祥事を起こした罪により、二〇〇四年十月二十二日を以て放校、即ち永久退学(Permanent exclusion)処分とする――校長がそう告げると、ルカはさっと血の気がひいた顔で隣に立つテディを見た。テディはまったく表情を変えず、平然としてその通告を聞いていた。  振り返り、同席しているクリスティアンを見る。眉間に皺を寄せてはいたが、クリスティアンは黙ったままなにも云わなかった。その横には肩にかかる髪を緩くカールした女性がいて、ルカが誰だろうと思っていると彼女はじっとテディを見つめながら、泣くのを堪らえるようにハンカチを持った手で口許を覆った。  放校ということはもう二度とこのセント・ローレンス・ウィンスタンリー・カレッジには戻れない。それどころか、単なる退学とは違い、入学まで遡っての除籍がなされる。つまり、いなかったことにされるのである。不服申立てをすることはできるし、教育法に基づいて新たに受け入れてくれる先を探すこともできるが、学歴を失ったまま不安定な職について生活苦に陥ったり、犯罪に走ってしまう者も少なくない。  そこまでの重い処分を科しておきながら、校長たちはどうあっても事件という言葉を使いたくはなかったらしい――『不祥事』などとぼかしても、起こったことは同じなのにとルカは呆れた。  二十二日を以て――それは、今日の日付だった。(ハウス)に戻るとき、校舎の窓からたくさんの視線が降り注いだ。なるほど、とルカはやっとわかった。このまま自分たちがここにいると、なかったことにしたい事実がいつまで経っても生徒たちの口にのぼり、消えないのだ。なにかのウイルスや癌細胞と同じだ――自分たちは学校にとって好ましくない存在として、排除されたのだ。  父がなにを云っても、指摘されたことを理解していたとしても、校長たちは自分たちの存在を消してしまうことこそが必要だと考えた。そういうことなのだろう。  部屋で荷物を整理している途中、テディがやってきてルカは驚いた。テディはもうすっかり、ここを出る準備を済ませていたのだ。  そして気づいた――テディは、もう昨夜のうちからこうなることをわかっていたか、そうでなければ自分から退学して出ていくつもりだったのだ。 「ルカ、俺……もう行くね」  テディはただ一言、そう云った。ルカは慌ててドアの傍に立っているテディに飛びつくようにして近づき、その手を掴んだ。 「えっ、待てよ……行くっておまえ、いったいどこへ――」 「バーミンガムからもう迎えが来てるんだ」 「えっ……と、さっきいた女の人?」 「ううん、彼女はホストファミリーを引き受けてくれてた、俺の従叔母(いとこおば)。迎えに来たのは、祖父のところの使用人兼運転手みたいな、もっと歳のいった男の人だよ」  こんなことになってもやはりテディの祖父は来なかったのか。ルカは顔を顰め、なにを云ってやればいいのかと考えながら、テディをじっと見つめた。 「ブリストルとバーミンガムかぁ……鉄道だとどのくらいかな」  そう云うと、テディはなんだか哀しそうに笑った。 「……もう、いいんだ。ルカ……ほんとに、俺のせいでこんなことになってしまってごめん。あんなにルカは努力してたのに……大学にも行けなくさせてしまって、ルカを何度も裏切って、困らせて……。どうやっても償えるはずもないけど、もう……」  綺麗に笑うテディの表情に、ルカはその意味を悟り、目を瞠った。 「テディ、おまえ……」 「うん。今までありがとう、ルカ。……ずっと忘れない。愛してる」  ずっと平静に、淡々と話していた言葉の最後が、震えて上擦った。テディの表情は落ち着いたまま、目許だけが潤んで長い睫毛が揺れている。  その顔を隠すようにテディはくるりと向きを変え、ショルダーバッグを肩に掛けて歩きだした。 「待てよテディ! 待てって――」  追おうとして、ルカは躊躇するかのように足を止めた。  ――自分はここを追いだされる。放校になって、学歴もなにもなくなり、大学に行くことも断念しなければいけないかもしれない。その原因は確かに、テディにある。テディがハーグリーヴスとあんなことさえしていなければ、自分が殴りかかることもなかったのだ。  それを抜きにしても、今までテディは何度も何度も自分を裏切り続けてきた。授業はすっぽかす、薬物は使う、上級生と寝る。挙句の果てに男娼の真似事ときた。そのたびに自分はもう終わりだと云い、テディは泣いて縋りついてきた。  前回でも前々回でもいい。もしもテディがわかった、もう別れようと同意してくれていたら、こんなことにはならなかったのではないのか。自分は、もうふたりの仲はなるようにしかならないと、諦観していたのではないのか?  視界のなかにテディの姿はない。もう、足音さえも聞こえなかった。ルカはまるで夢遊病患者のような足取りでふらりと踵を返し、荷作りの続きをしなきゃ……と、部屋に戻った。  毎年、長い夏季休暇(サマーホリデイ)のたびに部屋を(から)にしていたから、荷作りは手慣れたものだ。ルカはなにも考えずに淡々と手を動かし、棚から本や小物を下ろしては箱の中にに詰めていた。ドアは開けっぱなしで、最初に詰めた革のラゲッジと段ボール箱をひとつ、既に廊下に出してあった。  そこへばたばたと足音がして、ジェシが転がるように部屋に入ってきた。なんだと思って振り返ったルカに、ジェシは勢いこんで云った。 「ルカ! テディが、テディが今……さよならって、ありがとうって挨拶を――」 「……そうか」 「そうかじゃないですよ! なんですかあの、別れの挨拶みたいな! ちょっと、荷作りなんてあとにして、ちゃんと話すとか見送るとかしないんですか!?」 「ああ、うん。……いいんだ。もう……別れの挨拶なら、こっちもさっき――」 「って――別れたんですか!?」  箱に詰めようとCDを掴んだ手が、ふと止まった。  掴んだ何枚かのCDをずらすと、その後ろから〈Odessey and Oracle(オデッセイ アンド オラクル)〉の、カラフルなジャケットが現れた。  何度となく繰り返し聴いたピアノの旋律が――〝This Will Be(ディス ウィル ビー ) Our Year(アワ イヤー)〟のイントロが、頭のなかに流れ始める。  編入してきたばかりの頃、コネリーたちに苛められていたテディに、これからなにかあったら必ず助けると云ったとき。鎮痛剤の乱用が発覚し、別に死んだってかまわないと云ったテディに恋の告白をしたとき。ジェレミーが酔ったテディを送ってきて、もう終わりにしようと云いながら、結局見棄てられなかったとき――常にこの曲が聞こえてくる気がしていた。  まるで恋の呪いだと思った曲は、今回もまた、およそ二年と半年ほどのあいだに降り積もったものを揺さぶり、かき乱して、ルカの真実の気持ちを呼び覚ました。テディを、まだ愛している。テディをこのまま行かせてはいけない。自分は、ずっと傍にいると誓ったのだ。これっきりもう逢わないなんて、そんなことできるわけがない――。 「くそっ」  ルカはかたんと持っていたCDを置き、駆けだした。驚いて脇に避け自分を見送るジェシが、なんだかほっと笑みを浮かべていることに気づきもせずに。  寮を出てきょろきょろと辺りを見まわしたが、もうそれらしい車も荷物も、なにも見当たらなかった。そこに見えるのは黒いクアトロポルテと、その傍らで煙草を吹かしている父の姿だけだった。 「遅い」  そんな言葉をかけられ、ルカはてっきり荷物のことだと思い、「違うんだ、そうじゃなくて……」と云いかけた。だがクリスティアンは、その言葉を遮り「わかってる。早く乗れ」と、煙草を咥えながら運転席のドアを開けた。 「乗れって……?」 「あの子の乗ったベントレーはもうとっくに学校から出てったぞ。まったく、肚を括るのに今までかかったのか」  なにもかもお見通しな父の言葉を聞いてルカは一瞬呆気にとられたが、すぐに泣きそうな笑みを浮かべて助手席側にまわり、車に乗りこんだ。  フェラーリ・F430に使用されているのと同じものをベースにしたV型8気筒エンジンが、小気味よい唸りをあげる。 「行き先はバーミンガムってわかってるんだ。慌てなくてもすぐに追いつくさ」  革製のシートに坐るや否や、背凭れに押さえつけられる勢いで車を発進させたクリスティアンに、ルカは「慌てないんじゃないのかよ!」と文句を云った。が。 「慌ててなんかないぞ。いつもこんな感じさ」  鮮やかにハンドルを捌きながら涼しい顔でそう返すクリスティアンに、頼むから事故だけは起こさないでくれよと、ルカは心のなかで祈った。

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