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◉4◉ハジメとイノリ1_誘い

「こないだの通り魔事件、警察の到着が早くて、怪我人少なくて済んだんだってな」  三日前のこの時間、駅前の大通りで通り魔が発生した。犯人曰く、真面目に働いて来た自分を雑に扱う世の中なんて、なくなればいいと思ったんだそうだ。だからと言って、数人の人を刺したところでなにも変わらないのに、それを実行してしまうなんて馬鹿げている。 「そうなのか。警察もたまにはやるな」 ——あの人、すました顔して、やっちまったよなあ。やっぱり、認められたくて仕方なかったか。  その犯人は、闇で取引をしていた俺のクライアントだ。警察も、俺から情報を買っている。早めの到着が出来て当然だ。  犯人の男から、人の心を読めるなら営業の役に立てるだろうと持ちかけられ、色々な人の表情を読みとらされていた。俺も最初は面白いと思って真面目に協力していた。  だけど、俺はこの能力を保つために色々と苦労しているのに、相手は俺から情報を聞き出すだけだということに納得がいかなくなった。  しかも、かなり評価が上がって稼ぎが上がっていたらしいのに、俺に支払う報酬はこの数年横ばいだった。それが急に馬鹿馬鹿しくなって、裏切ってやったんだ。  本当に有能なやつなら、偽の情報を摑まされたことくらい、簡単に気がつけるはずだ。それなのに、あの男は全くそれが出来なかった。それは、これまで身の丈に合わない高評価を受けていたという証明になってしまった。  今までの成功は、俺の助けがなければ成り立たなかったわけだ。だから、潰れて当然なのだ。それを、世の中が間違ってると言って通り魔を起こすなんて。愚かにも程がある。 ——まあ、俺にはもう関係ない話だけど。  俺は情報を提供して、相手が勝手にそれを勘違いした。流した情報は、ここのものが元になっているから、バレるとまずい。関わったこと自体を早く忘れて、次の獲物を探すことに集中した方がいいに決まっている。 「通り魔になる程病む前に、うちに相談に来てくれたらいいのにな」  同僚のアイハラは、義理人情に厚く、優しくて親切だと呼び声の高い、優秀なセンチネルだ。これまで、自殺寸前でそれを回避され、助けられた人は星の数ほどいる。  それだけのことを成し遂げていても、国に雇用されたカウンセラーであるため、慎ましい生活をするほどにしか稼ぐことはできない。それでも、一切の不平不満を言わないような、稀有な人材だ。 「お前、本当に人がいいよな。どれだけ善行を積めば気が済むわけ?」  俺が呆れてそう返すと、狐に摘まれたような顔をしていた。 「それはお前だってそうだろう?」  アイハラは俺がどれほど腹が黒いかを知らない。わざわざ教える必要もないと思っている。同意するように笑みを返した。 「まあ、そりゃそうだな」 「ところでお前さあ、今日何か予定ある? 無いならこれに付き合ってくれねえ?」  そう言って、アイハラは一枚のフライヤーを出した。  そこには、真っ黒な背景の中で、色とりどりの衣装を着た人物が舞い踊っている姿があった。そして、その人物を取り囲むように光の球が配置され、幻想的な雰囲気とダンサーの強い視線がドキリとさせる魅力を放っていた。 「即興舞踏? へえ、即興で踊るのか。音楽も即興? すごいな。なに、お前こんなの見るの? 俺にはレベルが高くて理解できないかもしれない」  即興で何かをやる芸術系の人は、純粋にすごいと思っている。けれど、その意味がわからなくて反応に困る事が多い。そして、センチネルである俺には、暗闇の中で複数のライトと集団という状況がかなり厳しい。 「行ってみたいのは行ってみたいけどなあ」 「あ、そっか。ライトとかダメなんだっけ? サングラスとかしてれば大丈夫だろ? どうしてもお前に見せたいんだよ、このイノリくんのダンス」  アイハラはそういうと、フライヤーの中のイノリくんを指でくるくると指し示した。その彼は、細い体を後ろにそらして回転しているようで、長めの髪や衣装を靡かせていた。ただ、その表情の中にはなんの意思も感情も含まれていなくて、俺には彼の考えを読み取る事ができなかった。 ——不思議な人だな。 「この人を見せたいのか? 確かに不思議な雰囲気を持った人だよな。普通なら写真でもなにを思ってるのか大体わかるんだけど、この人からはなにも感じ取れない」  するとアイハラは、ニヤリと悪どい笑いを浮かべた。そして、なぜか得意げに「そうだろ?」と言う。 「なんでお前がそんな顔をするわけ……」 「イノリくんな、信じられないほど純粋なんだよ。純粋っつうか、純真無垢。汚れを知らないのよ。そういう子と対面した時、お前みたいな腹黒なセンチネルはなにを思うのかなって思ってさ。それが知りたくて」 「お前、俺のことなんだと思ってるんだよ」  終業時間が来たので、机の上を片付けながら俺は言った。確かに俺は同僚の間でも腹黒くて有名だ。自分が楽をして生きていくためには、周囲の人間などどうなっても構わないと思っている。  昇進するために利用するし、性欲の解消のためだけに同僚を抱いたりする。同時に複数の人間と関係を持ったことで、何度か修羅場を経験したりしている。  それでも、誰よりも読み取り能力に優れているからか、事務所ごとの成績を確保するために、クビにされることも無かった。追い出されるのは、いつも相手の方だ。 「え? お前なんて一度痛い目見ればいいのにって思うくらいには、嫌いだけど?」  そう言って、俺のバッグを勝手に手に取ると、「ほら、いくぞ」と言い残して、先に出て行った。 「全く……そんなこと言いながら、かげで誤解解いてくれてんの知ってんだよ、ばーか」  アイハラはとても人がいいから、俺が周囲に嫌われるたびに、俺には知られないようにしながらもフォローしてくれていた。俺がそれを知っていることにも、あえて触れてこないようなやつだ。自信を持って善人だと言えるタイプの人間だ。 ——仕方がない、付き合ってやるか。  俺は一つ長く息を吐くと、渋々アイハラを追いかけた。 

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