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◉4◉ハジメとイノリ2_それが見えるのは★NEW★

「なあ、ここってアウトしそうになった時の逃げ道って、ちゃんと確保出来るのか?」  繁華街の中心部にある半地下のクラブに案内された俺は、その場所がどう見てもセンチネルが通うには不安要素が多い場所であることが、どうにも気になっていた。  民間企業がセンチネルに配慮したとしても限界があるだろうし、何かあったとしてもガイドが派遣されているかどうかもわからない。もしガイドがいないとなると問題だ。  ゾーンアウトは自然に治るものじゃないから、結局野良ガイドを拾ってケアを頼むしかなくなる。そうなると相手は選べないし、下手をするとその後の人生で詰む可能性だってある。  だから、俺はプライベートでゾーンアウトの危険性のある場所へ行くときは、必ずガイドを雇って連れてくる。そいつを外で待機させて、問題が起きたら外に連れ出してもらうようにしている。  ただ、今日はアイハラに急に誘われたこともあって、その手配が出来ていない。せめて逃げ道をしっかり確保していないと、命の危険さえありそうで恐ろしい。 「ああ、大丈夫だ。その辺は俺に任せておいてくれたらいいよ」  アイハラはなぜかひどく上機嫌で、俺に向かってウインクをしてみせた。こいつはいつもニコニコした善人ヅラをしているが、今日はそれが特に酷い。  それを長く目にしていると思わずぶん殴りたくなってしまうほどの清らかさが、このクラブという空間にミスマッチに見えた。 「お前がそんなに言うなら信用するけど」 「お、お前そんなに俺の事信じてくれてるんだ。光栄だねえ」  そう言ってニヤニヤと笑った。 ——ん? なんだ今の。  アイハラの笑顔の中に、ほんの一瞬鋭い光が映り込んだような気がした。けれど、アイハラ本人は何にも反応しない。 ——気のせいか。  少し気になったけれど、そのままフロアへと進んでいくアイハラの後ろをついて行くことにした。  階段を降り、半地下になったスペースへと潜り込む。薄暗いスペースには、うじゃうじゃと蠢く虫のようにたくさんの人がいた。 「うっ……、お前、これ情報過多だろ。人数も多いけど、人種も性別も違い過ぎて視覚も嗅覚も情報量がヤバいぞ」  ステージには左寄りにDJブースがあって、そこで数人のDJが入れ替わりながらプレイしていた。そのメンツも見た目がバラバラだ。ドレッドヘアのやつ、ストレートロングのプラチナブロンドのやつ、アフロヘアのやつ……。  そして、客の髪の色が、見ているだけでうるさく感じるほどに、色々あって騒がしい。  DJブースの目の前にはピンク色の髪の背が高い女が一人、張り付くように話しかけている。その隣は、目が覚めるような淀みのないロイヤルブルー。そして二人とも、着ているのが大花柄のワンピース。見ているだけで頭痛がする。 「音はうるさくねーけど、見た目がうるさい奴が多いわ……」  暗いけど視覚保護のサングラスをかけようかとバッグを漁っていると、スマホにクライアントから着信が入っていることに気がついた。そのクライアントは、とても繊細なタイプだ。放っておくと自死しかねない。 「アイハラ、須崎さんからコール来た。ちょっと上がって連絡してくる」 「おー、了解」  アイハラはヒラヒラと手を振ると、それだけで事情を全て分かったような顔をしていた。須崎さんは、限界を迎えやすいにも関わらず、ボンディングするのを躊躇っていて、毎回トラブルを起こしそうになる厄介なクライアントだ。  早めに対処しなければ命が危ないのだと何度言っても理解してくれなくて、そのくせ少し具合が悪くなるとすぐにこちらを頼る。だから、毎回俺たちはプライベートだろうがなんだろうが振り回されっぱなしになってしまう。  正直腹が立っているところもあって、ほったらかしておいてやろうかと思ったことも何度もある。ただ、いくら俺が自分本位な人間だとはいえ、自分から悪事に足を踏み入れた人間でなければ、やっぱりどうしても助けたくなってしまう。 ——センチネルなんて、好きでなるわけじゃねえしな。  着信が切れる前に通話をタップして、「須崎さん、こんばんは。今電波届きにくいところにいるので、話しやすいところへ移動してからかけ直しますね」と一気に話し始めた。  須崎さんはそれを了承して電話を切ってくれたため、俺は地上に出てすぐに職場へと連絡を入れた。須崎さんへ連絡を入れて、ガイドを派遣してもらうためだ。 「うーっす、お疲れ様です。須崎さんから連絡入ってます。俺が電話を繋ぐので、自宅へガイドの派遣をお願いします。……うん、そう。井田くんが空いてたら井田くんでお願い。井田くんの匂いが好きなんだってさ」  電話に出た受付担当者が「ウエー」と言ったのを聞き流し、須崎さんと電話で話しながら井田くんが到着するまでカウンセリングをする。須崎さんは純粋すぎるため、すぐにゾーンアウト仕掛けてしまう厄介なセンチネルだ。 「やっぱりボンディングはしたくないですか? 特定の人がいた方が楽になれますよ?」 「だって、ボンディングしなくてもケアはなんとかなるでしょう? そのために派遣ガイドがいるんだし。それに、もし運命の人と出会った時に、相手に悪いじゃないですか。かといってボンディングした人と添い遂げられるかどうかもわからないし」 「……そうですね。須崎さんは優しいから、気になっちゃいますよね」  そう言いながら内心困ったもんだなと思っていると、目の前に突然人が現れた。 「……うわっ! ご、ごめんなさい」  電話をしながら振り返ったタイミングで、そこにいた人とぶつかってしまった。センチネルである俺が、人の匂いに気が付かないなんて初めてのことで驚いてしまった。  しかも、ぶつかってしまって驚いて顔を上げると、そこにいた人は思わず見惚れてしまうほどに光り輝いていた。  いつの間にか暮れていた日が、その真っ白な髪と肌を闇の中で一層引き立たせていた。背後にある街頭のオレンジ色が、彼の後光のようにすら見える。  風に揺れる白く柔らかそうなセットアップは、動くたびにゆらゆらと揺れて優雅だった。いくつか身につけている細身の金属アクセサリーがシャラシャラと軽い音を立てていて、それが心地よく耳に響いた。 「……いえ、こちらこそごめんなさい。ぼーっとしてたから……大丈夫ですか?」  そう返してくれた彼は、ふわりと目を細めて笑うと、俺に手を伸ばしてくれた。その時初めて気がついたのだけれど、俺はいつの間にか尻餅を着いて倒れていた。  手にしていたスマホは地面に落ちているし、電話の向こうで須崎さんが「どうしたんですか? 大丈夫?」と繰り返しているのが聞こえる。俺は慌ててスマホをひろい、スピーカーに向かって話しかけた。 「あ、大丈夫ですよ! すみません、人と出会い頭にぶつかってしまって。こけてスマホ投げてしまいました」 『え? センチネルが人とぶつかるとかあるの? まあ、気をつけてください。……あ、井田くん来た!』  須崎さんはそう言うと、ブツっと通話を終了した。井田くんが来てくれれば、俺には用はないだろうから仕方がない。少々納得はいかなかったけれど、俺も通話を終了させると立ち上がった。 「あ、さっきの人もういない……?」  話の途中でそのままにしておいたことを詫びようと思って、すぐに入口の方へと彼を追いかけた。でも、入口のドアに辿り着いても、ドアを開けて中に入っても、あの白い髪の青年はいなかった。 「……あんなに目立つ人が見つからないなんて、あるか?」  狐に摘まれたような気分になりながら、俺はアイハラのいるカウンターへと戻って行った。 「おー何やってたんだよ、遅かったな」  アイハラは少しだけ酔っているように見えた。それでも、いつもの胡散臭いほどの清い顔をしている。 「今から即興始まるぞ。DJブースの下のところ、少し開けてもらうようになってるんだ。ほら、あの真ん中に立ってる黒髪褐色肌の子、あの子がイノリくんだよ」  そう言って、アイハラが指し示す場所を見てみると、そこにはさっき見失ったあの真っ白い青年が立っていた。俺の目にはどう見ても、銀髪ロングヘアの白肌の青年に見える。でも、今間違いなくアイハラは「黒髪褐色肌」と言った。 ——どう言うことだ?  俺は自分の目がおかしくなったのかと思い、目をゴシゴシと擦った。それでもやっぱり、イノリくんは白く見える。 「なあ、真ん中に立ってる子だろ? っていうかダンサーはあの人だけだよな。俺の目には、どう見ても彼は、銀髪ロングの白肌碧眼に見えるんだけど」  俺がそういうと、アイハラは「え? イノリくんが?」と目を瞬かせて驚いていた。 「ああ。あの人が間違いなくイノリくんならな。ついでに言うと、さっき電話中に出会い頭にぶつかったんだけど……」 「ぶつかった!? お前が!? なんで!?」 「……いや、だから、今それを言おうとしてて……」  興奮したアイハラにその理由を話そうとした矢先、パッと照明が消えた。予測していないタイミングで照明が落ち、真っ黒になったことで、聴覚が急激に過敏になった。 「……うっ! やべ、今でかい音が来たらまずい……」  即興演奏のメインは打楽器だと書いてあった。音楽は北アフリカと南アフリカのミックスのようなものだと聞いている。だとしたら、高い金属音と重たい衝撃に耐えうる準備が必要だ。  慌てて小型のイヤーマフを探したけれど、色々なことが起きすぎて手が震えていた。人の匂いが混在していて、それがしんどくなってきたのもあった。 ——ヤバい、めまいが……。  倒れないようにしなければと思うよりも早く、ぐらりと視界が歪んだ。体が大きく揺れ、頽れそうになったところを助けたのは、アフリカンビートの激しさだった。 ——え? なんで? 全然辛くない……。  いつもなら、これほど大きな音を防御なしに聞いていると、発狂してしまうんじゃないかと思うくらいに激しいビートが鳴り響いている。ダルブッカ、ジャンベ、サバール。楽器を紹介しながら、叫ぶように合いの手を入れながら、熱のこもった演奏が繰り広げられていた。 「……すっげえ。俺、今まで即興演奏で感動したことないぞ。でも、なんかこれ、すげーな」  思わずポカンと口を開けてしまいそうこぼすと、アイハラが得意げに「だろ? これは有無を言わせない強さがあるよな」と言った。そして、その楽器の前に歩み出てきたイノリくんへと視線を送る。 「イノリくんのダンスは、その音に合わせるんじゃなくて、音が形になったみたいに見えるぞ」 「音が形に?」  そう言われて、イノリくんに目を向けると、ブレイクの静けさに合わせて顔を上げた彼が、ビートに合わせて手を返すように踊り始めた。そのシャラシャラと軽い音は、重たい打楽器の音の隙間を飛び回るように駆けていく。  イノリくんが回ると、白い袖やパンツの裾からまるで天女の羽衣のようにストールがたなびいていく。それがふわりと揺れ落ちるタイミングまでもが、音楽とイノリくんの隙間を埋めていく。  楽器が表をいけば、イノリくんは裏にいく。衣装と金属の音はその間を行き来している。全ての要素が自由に駆けているようでいて、どこか一箇所で強固に結びつきあっている。  暗いステージに、一箇所だけ明るいライト。  その中心にいる、美しい一人の青年。  俺は、いつの間にか、その空間で起こることの全てに夢中になっていた。

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