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第1章 第5話 ハジメのぬくもり

 暖かなぬくもりに包まれていた。うっとりするほど心地いい。それにこの匂いは安心する。  そうだこれは……ハジメの匂いだ。  ゆっくりと重い瞼をあけるとハジメの精悍な顔が目の前にあった。 (よかった……助かったんだ)  ほっと安堵するとじわじわと今の自分の置かれている状況を感じた。 (え? これってどうなってるの?)  僕はハジメに抱き込まれる様にしてベットの上にいた。 「ひぇっ。な? なんで?」 「ん? すぐる? ぁあっよかった! 目覚めたっ!」  ぎゅうぎゅうと抱き込まれて息ができない。 「ハジメ……くるひぃ……」 「わわっ! すまんっ」  ハジメは謝罪の言葉を言うが早いかベットから飛び降りた。 「ちっ違うんや。これはその。医者が……今のすぐるの状態は不安定やから抑制剤よりも、親しいアルファの匂いで落ち着かせる方がいいって言うたからやな。そやから。あ~っとそのなんだ……決してイヤラシイ気持ちで抱きしめてたわけではなく……」  必死に謝るハジメの姿がおかしくて僕は笑い出した。 「ぷっ……ふふふ」 「すぐる。良かった。目覚めてほんまによかった。は……ははは」  僕の笑顔をみて安心したのかハジメも笑いだした。   起き上がろうとして腕の点滴に気づく。 「安心しい。ただの栄養剤や。二日ほど寝たきりやったんや。抑制剤は朝比奈の打った一回しか使ってない。バース性がはっきりせんうちはあまり打たんほうがいいらしいねん。だから……お願いやすぐる。バース性の再検査をうけてくれ!」 「……わかった。僕もこのままだと不安だし受けるよ」 「そうか! よかった。はよう治療して治ってもらいたかったんや」  どうやら僕は二日も眠り込んでいたらしい。  ハジメの眼の下にクマが出来ていた。どれだけ心配かけたんだろうか。申し訳なさが募る。  あの時、ハジメは車を出そうとして、バックミラーにうつる僕に気づいたそうだ。そのまま長谷川に連れられて行く僕を見て慌てて引き返し、後を追ってきたのだという。  ホテル側とどういった交渉が行われたのかはわからないが従業員を買収し、部屋を特定したという。だがドアを開けさせるとむせかえる濃厚な匂いが充満していて、焦ったハジメが我を忘れて部屋に飛び込み長谷川に殴りかかったという流れだったらしい。 「今回だけは朝比奈に感謝やな」  ハジメの後頭部には痛々しいガーゼが貼ってあった。 「あいつ俺の頭で花瓶をかちわってんぞ。信じられへんやろ?」  苦笑しながらハジメは無茶苦茶されたわと冗談っぽく言う。 「でもそのおかげですぐるを守れた。俺も無理やり襲いたくなかったからな。聞きたいこともあるし、日を改めてちゃんと告白するさかい。覚悟しといてな」 「うっ……」  顔が熱い。今の僕はきっと赤面してるに違いない。 「とにかく今は安静にしといてくれや。ここは俺の家や。専属の医者もおるさかい、なんかあったらすぐに駆け付けれるようにしてある」  ハジメが僕の手を握り込んで熱く見つめてくる。  胸の鼓動がうるさい。  ハジメの事を好きだと意識してから息が苦しい。 (専属の医者がいるってどれだけお金持ちなのだろう。本当に僕なんかがここにいていいんだろうか?)  次の日朝から専門医が訪れ僕の検査が始まった。  結果は【オメガ】だった。僕はいつのまにかベータからオメガに変わっていたのだ。 「最初の診断の信ぴょう性が気になりますね」  眼鏡を上にあげながら気難しそうな医者が疑問を投げかける。  僕はやはりというか何故今頃というか複雑な心境だったが、稀に後天的に変化することがあるらしい。  その要因もいくつかあって。僕のタイプは精神的な要素が強いようだ。心当たりはある。祖父は母のバース性を認めようとしなかった。手塩にかけた一人息子がある日突然妊娠した事実を認められなかったせいだ。  僕の母は男性のオメガだったのだ。厳格な祖父は普通であれ。ベータであれと僕に言い続けた。いつしか僕は自分はベータであるべきだと思い込むようになっていたのだ。  医師は僕の話を聞き、隣で僕の手を握ってくれているハジメを見た。 「秋葉原君。そんなに思いつめなくても大丈夫ですよ。抑制剤もあります。それに親身になってくれる人が貴方にはいるではないですか?」 「……はい。ありがとうございます」  医者からは抑制剤の錠剤と栄養剤をもらった。そして避妊薬も……。 「…………」  長谷川が僕に飲ませたのは粗悪な催淫薬で無理やり発情を促すようなものだったようだ。発情期もまだ未熟な僕の身体には負担が大きすぎたらしい。 「長谷川は夏の間に好みの子に手を付けると噂があってな。秋からは選択科目に変わるからほとんどの子が長谷川の元を離れていくんや。だからその前に気に入った子を手に入れようと暗躍しとったらしいわ。ほんまに気持ち悪いやっちゃ! 教師として最低な奴や!」  今回の事で長谷川に被害があった子らも名乗り出て彼は早急に懲戒免職になるらしい。どうやらかなりの速さでSNSに長谷川の悪事が大量に拡散されたようだった。 「車で追っかけてたときな。この先がホテル街やと朝比奈が気づいてスマホの動画を回してくれたんや。ナンバープレートもばっちり録画して警察に提出できたのが決めてとなったみたいや」 「そうだったんだ」 「そこからは次々に余罪が出て来たらしい。同じような目にあった子らがSNSに書き込み始めてな、中には便乗して面白おかしく書き立てた奴もおるやろうけど大学側も見過ごせなくなったんやろな」 「この数日でそんな大ごとになってたなんて」 「大学側も素行が悪い奴やってある程度はわかってたんやないかな? 動きが早すぎる。教授って肩書があるからなかなか手を出せなかっただけで準備は進めてたんやと思う。あいつもうぬぼれてたんやろ。手口が大胆やった。自業自得や」 「ごめん。ハジメから気をつけろと言われてたのに」 「うん。なんであいつについて行ったんか教えてくれへんか?」 「そ、それは……」 「俺に言われへんことなんか?」 「言えばめんどくさい奴だって僕のこと思うよ」 「思うかどうかは言うてくれなかったらわからへんやろ」  そんな、なんて言えばいんだ? ハジメは朝比奈とつきあってるんでしょ? じゃあ僕のことはどう思ってるの? 本当はそう言いたいけど答えが怖くて聞けない。 「……ちょっとだけ時間がほしい。まだ混乱してて。僕は自分がベータやと思ってたから」 「それもそうやな。悪かった。今すぐでなくてもいいんや。落ち着いたら教えて欲しい。でも心配やから、しばらくは一人で出歩かんといて。もう夏休みに入るし落ち着くまではここにいてくれへんか?」 「……迷惑かけてごめん」  本当は一人になるのが不安だった。ハジメの心遣いが嬉しい。 「謝らんでええよ。顔色も悪いし、美味しいもん食べてはよ元気になってな」  ハジメが僕の頭を撫でる。その手は大きくて暖かかった。

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