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番外編 過ぎしの恋
その図書館は明治時代に建てられ、増築を経て今なお威厳と風格を醸し出していた。
「バロック形式なんて。すごい金かかってんじゃねえのか。この図書館」
古代ローマの神殿のような入り口に佇むとタイムスリップしたような気分になる。
「……よくご存じですね」
涼やかな声がした方向に顔を向けると艶やかな黒髪の青年が立っていた。後ろで三つ編みにしてるようだ。図書館の精霊か? 人間なのか?
「あ、ああ。なんかの雑誌に書いてあったんだ」
「そうだったんですね。何かお探しモノですか?」
「ええっとまあ」
「ここに来られたという事は古文書か昔の資料などをお探しですか?」
「そう! そうなんだよ。150年ほど前の土地に関するモノが……」
「ああ、その資料の場所なら知ってますよ。ですが先に利用者登録をしないといけませんね」
「登録がいるのか……」
面倒くせえな。でもまあ、ここが一番この街の事が詳しく調べれるところだし。それにこいつに会えるなら……。
「あのさ、ここで働いてるのか?」
「ボランティアです」
「っていうとタダ働きなのか?」
「……司書の資格がまだ取れてなくて」
図書館で働くのって資格がいるのか? 知らなかったぜ。
「ちぇ。どれなんだかさっぱりわかんねえな」
顔をあげるといつの間にか資料が増えていた。目の前の席には青年が俺と同じように資料を探してくれていた。
「手伝ってくれてるのか?」
「今日は暇なんです。……これなんかどうですか?」
「お? いいね。こういうやつもっとないかな?」
「はい。でしたら……この辺ですかね?」
「お仕事は建築関係なんですか?」
「いいや。……なんに見える?」
「……警察関連の方」
「え! なんでわかるんだ?」
確かに俺は刑事に昇進したばかりだ。それなのに面倒な土地転がしの詐欺事件の担当になっちまった。高齢者から言葉巧みに二束三文で土地を買い取り高値で売りさばく悪徳な手口だった。今日は証拠となりそうな資料を探しに来たのだ。
「ふふ。勘ですよ」
その後、何度か通ううちに彼が梓という名前だと知る。
「俺は立花って言うんだ」
梓は通信大学に通いながら独学で司書の勉強をしていた。難しいことはよくわからないが司書補という司書の補佐を三年以上するか大学で必要科目を履修し卒業しないと司書にはなれないらしい。
「実家は関東なんです。でも僕、この図書館が好きでこっちに来てから毎日通ってるうちに本に囲まれて仕事ができたらいいなって思って」
「なんで図書館なんだ? 本屋じゃだめなのか?」
「司書は国家資格なんですよ。安定してるし? かな」
真っ白なシャツがよく似合う。染めたこともないような艶のある黒髪。品の良い受け答え。真面目で清楚。きっと厳しくしつけられたのだろう。だったら……。
「親父さんがうるさいひとだったりして?」
「……なんでわかるんですか?」
「へへん。勘だよ」
「ぷっ。僕の真似ですか?」
その後も用もないのに図書館へと足が向いた。もちろん必ず梓に会えるとは限らなかった。だが、時間があれば立ち寄るようになってしまった。俺を見つけると笑顔で挨拶をしてくれる。必要もないのに、資料探しに来たと言っては手伝ってもらう日々が続いた。
だが別の事件の担当になるとそうそう図書館に顔をだすことも出来なくなった。
数か月ぶりに図書館に行く。せめて電話番号だけでも聞いておけばよかったと何度悔やんだかはわからない。梓はどうしているだろう。
いつもどおり梓は図書館の端に居た。だがその隣にはもう別の奴が座っていたのだ。癖のある茶髪の男。楽しそうな梓の笑顔。なんでそんな奴と? 俺の場所だったのに?
ああ。俺は彼が好きだったのか……。今になって気付くなんて。
もう仲のいい姿を見たくないと思うのに、そういう時に限って図書館に行く用事ができる。今度はビジネス書関連だ。行きたくないという気持ちと会いたいという気持ちが入り混じる。
「立花さん?」
梓が俺を見つけて駆け寄ってくれた。顔がニヤケてしまう。
「お、おう。久しぶり!」
「元気そうでよかった」
「ああ。変わったことはないか?」
「ん……それが僕、お付き合い始めたんだ」
「そ……うか。よかったじゃねえか! なんかったらすぐにいいな。なんでも相談にのるぜ」
「はい! ありがとうございます。実は聞いてもらいたいことがあって」
「おう。なんだ言ってみな」
相手はデザイナーの卵らしい。へえ。ここにあるデザイン関連は最新のものじゃねえだろうし。よその美術館に行った方がいいんじゃねえか。なんて思いつつも梓の話に耳を傾けた。ときどき頬を染めてほほ笑む梓が可愛らしい。俺のことだったらいいのに。
会えばいつも通り俺に声をかけ、恋人の話しを聞かされた。だがまあ、梓が幸せならそれでもいいかと思い始めていた。そんなある日……
「妊娠した? え? あいつの子か?」
梓はオメガだった。そうか、俺はアルファだ。惹かれたのはそのせいもあったのだろうか?
「番になるのか?」
「彼はベータなんだ」
はあ? あいつベータだったのか! それも梓は自分が居れば足手まといになると思い悩んでいた。そんなやつ別れてしまえ。そう何度も言いそうになった。
そして最悪な出来事がおこった。
「お願いだ。うなじを噛んでくれ!」
泣きながら梓が叫ぶ。噛みたい。本当は抱きつぶしたい。だけど、なんで腹をかばってるんだよ。俺が無理やり抱いたら番になれるのか? だが腹の子は?
「……わかった。噛んでやるよ。でも抱かないよ」
「ごめん。ごめんなさい」
泣きながら謝る梓のうなじを俺は何度も噛んだ。俺を選んでくれと心で叫びながら。
「ぐぅ……うぅ……」
痛かっただろうに。歯を食いしばって梓は耐えていた。そのまますぐに奴の元へ二人して出向いた。腫れあがったうなじを見てあいつは唖然としていた。
ああ。こいつは番のことがわかっちゃいねえ。梓の方が一枚上手だったのか。噛みついた程度じゃ傷はすぐに癒えてしまう。だが、やつはベータだ。その違いさえもわからねえだろう。
それでも俺はどこかで俺を頼ってくれるじゃないかと期待していた。一緒に暮らしたら情が湧いて俺を好きになってくれるかもしれないかもとさえ思っていた。
「え? 居なくなった?」
突然梓は消えてしまった。俺への手紙だけを残して。図書館の受付で俺宛と言う手紙を受け取り。震える手で封筒を開く。そこには感謝の言葉と謝罪が書き連ねてあった。
「こんなものが欲しかったんじゃねえ!」
そうだ俺は梓自身が欲しかった。なのに何故、伝えなかったんだろう。
いやそうじゃねえ。答えが分かっていたからだ。俺を選ばないという答えが。
◇◆◇
久しぶりに図書館に来てみた。
「すっかり忘れたと思っていたのになあ。高塚言う通り宿命っていうやつなのか?」
梓がいつも座っていた窓辺の席に腰かけ見る。
――――立花さん。ありがとう――――
どこかで梓の声が聞こえたような気がした。
~~~~~~~~~~~
これにて完結です。
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