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終わりの始まり3
翌日朝。いつもなら早朝に彼からの「帰ってこい」というメッセージで律くんは帰って行くが、今日は出ていけと言われたのもあり、朝10時を過ぎても彼からのメッセージはなかった。このまま連絡はないのかもしれない。
でも律くんは、メッセージを今か今かと待っているが携帯は沈黙したままだ。
いつもは1人で食べる週末の朝食を元彼と別れてから初めて人と食べている。最も律くんは恋人じゃないけれど。それでも好きな人と食べられるのは幸せだ。幸せを感じているのは俺だけで律くんはそれどころじゃないけれど。
時間が経つにつれて律くんの表情は暗くなっていく。彼からの「帰ってこい」というメッセージをどれだけ待っているのかがよくわかる。
律くんは、好きなのかわからないと言っていたけれど、少しはその気持ちが残っているのだということがその表情から読み取れる。
そんな気持ちのまま昼になり、ありあわせのものでパスタを作り食べた。正直、食欲はないだろう。でも、俺が作っているから申し訳ないと思い食べているのかもしれない。
「残してもいいからね」
一言そう言うと、弾かれたように顔をあげた。
「美味しいです。直樹さんのパスタ」
そうは言うけれど、今はパスタの味なんかよくわからないだろう。
「無理しなくていいからね。今はそれよりも彼からの連絡の方が気になるでしょう」
そう言うと律くんは眉を下げて小さく笑った。
「ほんとに、もう帰って来るなってことなのかもしれないですね」
辛いのに普通に話そうとする律くんがあまりにも切なくて、俺はつい抱きしめてしまった。
「悲しいときは悲しんでいいし、泣きたいときは泣いてもいいんだよ。こうやってれば俺に顔は見られないから」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。だけど少しだけ」
泣いている気配はないけれど、腕の中から出ていこうとしないということは、悲しんでいる顔は俺に見せたくはないんだろう。そう思い、しばらくそうして抱きしめていた。
少しそうしていると、律くんから「ありがとうございます」と聞こえてきた。
腕を解いて律くんを見ると、少し目元が赤くなっていた。泣いているとは思わなかったけれど、少しは泣いたのかもしれない。
「大丈夫?」
「はい。ありがとうございました。きっといつかはこうなったんですね。それが今来たというだけで。賢人が仕事に行っている間に他の荷物も出した方がいいかな」
まだ辛そうな顔をしているけれど、少し泣いたみたいだからそれでちょっとは冷静に考えられるようになったのかもしれない。それも強がりかもしれないけれど。
「うちにおいでよ」
気がついたらそんな言葉が出ていた。自分の言葉に自分でびっくりする。
「え?!」
「引っ越すにしたって引越し先探さなきゃだめでしょう。だったら。家具とかある?」
「いえ。タンスとかベッドとかは賢人が以前から使っていたもので、俺のはここに来るときに処分してしまったので、洋服とか小物とかそれくらいです」
「そしたら一時的にでもうちに移して、それからゆっくり部屋を探せばいいよ」
「でも、彼女が来ることあるでしょう?」
「彼女?」
「はい。さっき、ゲイだって言ってたのは俺に偏見がないっていうための方便でしょう?」
「ちょっと待って。彼女ってなに? ほんとに彼女なんていないし、ゲイだって言ったのはほんとだよ」
「でも、直樹さんが駅で可愛い女性と一緒にいたの見たことあるんで」
「可愛い女性?」
俺がゲイだと言ったのは律くんは信じていなくて、それどころか彼女がいると信じている。
可愛い女性と言われ頭をひねる。
女性といることなんて仕事のときくらいしかない。それが駅で一緒に、というのがわけがわからない。
ん? 駅で?
「律くん、それって背低くなかった?」
「はい。小柄で髪の長い|女性《ひと》でした」
小柄で髪が長い女性と言えば、1人心当たりがある。
「それって先週末じゃない?」
「はい、そうです」
「それ、妹だよ」
「え? 妹、さん?」
「そう。先週ちょっと用事があってうちに来てね。そっか、それを見られていたのか。俺は言った通りゲイだから。あ、でも節操なく手を出したりはしないから安心して」
「それは信じてます。今までも泊めて貰っていたので」
「うん。それの延長バージョンだと思っていいよ」
「でも……」
「それともすぐにでも行く宛ある? あ、実家近いの?」
「実家はここから2、3時間程度なんで、仕事のときはキツイですね」
「そうなんだ。じゃあ、次の部屋を探すまでいればいい」
「ほんとにいいんですか? それこそすっごい迷惑をかけてしまうし」
「迷惑なら言ってないよ。今は恋人もいないし、友達だと思っていればいいよ」
俺がそう言うと、律くんはしばらく考えているようだったが、しばらくすると「お願いします」と頭を下げた。
「うん。じゃあ決まりね」
「近いうちに有給取って賢人が仕事行っている間に荷物持ってきます」
「そうだね。スーツはある?」
「スーツは2着持ってきました。足りないから、明日でも買いに行きます」
「そうだね。その方がいい。部屋着とかはある?」
「1着あります。着替えはないから、スーツを買いに行ったついでに買ってきます」
「俺も一緒に行くよ。ところで、俺スーパー行くけど、律くんも一緒に行く? 夜、好きなもの作るよ」
好きなものを食べて、少しでも元気を出して欲しいと思ったから、そう声をかけた。
でも、律くんは躊躇うような表情をした。
「あ……賢人に会わないかな?」
「あぁ週末だから可能性あるか」
「はい」
「じゃあ留守番をお願いしてもいい?」
「はい」
「で、なにが好き? 好きなもの作るよ」
「えっと……ハンバーグと餃子が好きです」
「了解。じゃあ、留守番お願いね」
そう言って俺は財布を持って家を出た。それが後で後悔することになるとは思わずに。
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