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光に向かって1
直樹さんに背中を軽く押されマンションまで戻ってきた。
まだ直樹さんの元彼がいるのでは、と思うと足がすくんだ。それを見た直樹さんは「大丈夫。もういないよ」と優しく声をかけてくれたのでなんとか歩くことができた。
「今、温かい飲み物いれるから待ってて」
そう言って直樹さんはキッチンへと行き、俺は直樹さんの元彼が来る前と同じようにソファーに座った。
カチャカチャと食器の触れる音がして、それがなんだか心を落ち着ける。なんだろう。優しい音で昔から好きな音だ。
しばらくそんな音を聞いていると直樹さんがカップを持ってきた。
「はい。ココア。甘いの大丈夫かわからないけど、落ち着くにはおすすめだよ」
「ありがとうございます。甘いの大丈夫です」
「良かった」
カップを両手で持つと冷え切った手が温まる。
そして、チョコレートの甘い香りが2つのカップから匂い立つ。どうやら直樹さんもココアなようだ。
ココアなんて飲むのはいつぶりだろう。もう長いこと飲んでない。賢人との部屋にはココアはない。
俺は甘いものも多少は大丈夫だけど、賢人は甘いものは全然ダメなので置いてないのだ。
「さっきは遼一がごめんね」
「遼一?」
知らない名前に首をかしげ、しばらくして直樹さんの元彼のことだろうと思い至る。
「前にチラッと話したことあるけど、別れて2ヶ月経つんだ。別れた理由はあいつの浮気。俺より浮気相手の方がいいって言うから別れたんだよね。で、今日、合鍵使って入ってきたみたいだけど、それは俺が渡した合鍵じゃない。それは別れたときに返して貰ってる。今日使ったのは、合鍵の合鍵みたい。でも、それは貰った」
あの元彼さんが今も鍵を持っていることが不思議だったけれど、理由を聞いてびっくりした。貰った合鍵を元に合鍵を作るなんて考えが及ばなかった。
「よりを戻すとかは……?」
「ないよ。それは絶対にない。大体、俺、今好きな人いるから」
好きな人いるから。
その言葉に心がチクリと痛む。その痛みの理由ははっきりしている。好きだからだ。
でも、自分の気持ちがはっきりしたって直樹さんには好きな人がいる。失恋じゃないか。
「じゃあ俺、あまりいたらダメですよね。直樹さんの恋の邪魔したくないんで」
「なんで? むしろずっといてくれたらいいのに」
「だって、その人が来ることだっていずれあるでしょう?」
「もう来てるよ」
え? もう来てるの?
「ねぇ誰が好きか言ってもいい?」
「俺が聞いていいんですか?」
「むしろ聞いて欲しい」
直樹さんが好きな人のことを俺が聞いてどうなるんだろう。
俺は直樹さんの交友関係を知らない。だから、誰が好きと言われたって、その人のことを知らない。
「俺が聞いたって意味ありますか?」
「うん、あるよ」
直樹さんの交友関係を全く知らない俺が直樹さんの好きな人を聞いて意味があるとか、意味不明すぎる。
「誰が好きか聞いてくれる?」
直樹さんが好きな人。そんなの聞きたくない。でも、そんなこと言えなくて頷くしかなかった。
「俺が好きなのは、今俺の前にいる人」
今、直樹さんの前にいる人? 今直樹さんといるのは俺しかいない。え? 俺? まさか。
「まさか、って顔してるけどほんとだよ。律くんのことが好きなんだ」
直樹さんが俺のことを好き? まさか。そんなことあるはずがない。でも、ほんとって。
「ほんとに俺のことを?」
「うん。律くんのことが好きだよ。もちろん、律くんには彼氏がいるの知ってる。だから、どうこうって言うのはないよ。ただ、伝えたくなった」
「直樹さん……」
「今日はギリギリ間に合って良かった」
そう言って俺のことを抱きしめる。直樹さんの匂いがする。その匂いにホッとする。好き、だな。
「あの……」
「ん? あ、ごめん。勝手に抱きしめちゃった」
そう言いながら俺から離れていくのが寂しくて、俺から抱きついた。
「え? 律くん?」
「俺……俺も直樹さんのこと好きです。でも……」
「怖い? 俺も暴力を振るうようになるかもしれないって?」
直樹さんの言葉に頷く。直樹さんは優しい。穏やかで優しくて、陽だまりのような人だ。でも、変わってしまうんじゃないかって怖い。
賢人だって優しかった。でも、変わってしまった。きっと誰だって変わってしまうことはあるのかもしれない。でも、直樹さんまで変わってしまうことがあったら、と考えると怖い。
「俺は暴力は振るわないよ。だって痛いじゃない。そんなの好きじゃないよ」
俺を安心させるように少しおどけて言う。それに、つい、クスッとしてしまった。
「いや、まぁ冗談っぽく言ったけど、俺、暴力って嫌いなんだよね。だから俺が暴力を振るうってことはないって断言できるよ」
「ほんとに?」
「ほんとに。力でどうこうしようって言うのが嫌いなんだよね。だから絶対にない」
そうか。直樹さん、暴力嫌いなのか。それなら賢人みたいにはならない?
「でも、今、律くん彼氏いるからダメだよね」
そうだ。まだ賢人と付き合ってるんだ。別れ、ようかな。
直樹さんのことがなくても、もう無理だ。あの部屋を出ていくのは、別れたときだと思っていたし、思ってる。
それに今回は、少しの荷物とともに出ていけって言われたし。きっと別れたいんだと思う。お互いにはっきりと口にしたわけではないけれど。
「でも、荷物と一緒に出ていけって言われて、その後も一切連絡ないって、別れるってことだと思うんです。それに、俺がもう無理です。賢人のこと好きだったけど……」
「もう好きじゃない?」
「情はあります。3年付き合ってたので。でも、だからってずるずる続けるのはどうなのかなって考えてました」
「そっか」
「だから……直樹さんのこと好きでいていいですか?」
「そんな嬉しいこと言われて、ノーなんて言うはずないでしょう。律くんさえ良ければ、律くんと付き合いたい」
「俺でいいんですか?」
「むしろ律くんじゃないと無理。大事にするから……。絶対に暴力なんて振るわないから。もし、万が一そんなことあったら、俺のこと思い切り殴っていいから。だから、俺と付き合って」
「はい……」
そう返事を返すと直樹さんは俺のことを優しく抱きしめてくれた。
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