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第二章 王女の来訪 第三話 勇者の伴侶
ニコがどんなに戸惑っていても、ニコはもうハロルドの伴侶でハロルドもまたニコの夫だ。
一緒に暮らし、生計を立て、寄り添い合って生きるしかない。静かな森の中で、ふたりきり。穏やかな生活に不満はなかった。
ニコがひとりで暮らしているとき、少し不便だなと思っていたところはハロルドによって次々に改良されていた。
建付けが悪かった小屋の扉も修繕されたし、雨漏りしていた屋根も直されていた。
ちなみに最近のハロルドは、薬作りの合間を縫ってせっせと浴室を作っている。
ハロルドが作っているのは自分たちが使う小さな浴室ではあるが、なかなか本格的なものだった。
まず、小屋と川の間に浅い穴を掘って、土を突き固める。そこにどこから切り出してきたのか薄い石をまるでタイルのように敷き詰め、土台を作り柱を建てる。
柱を梁で繋ぎ、その上に屋根を乗せ、薄い板で壁を貼って、漆喰で補強する。
浴室の中には、これから浴槽や脱衣所などを作るのだと息巻いていた。
ハロルドは器用にひとりで色々なことをこなした。
子どもの頃から村の雑用係として家畜小屋の修繕などをしていたようだから、こういうことは得意なのかもしれない。
体力もある上に、所々魔術も使っているらしく、ニコの予想よりもずっと浴室の完成は早そうだった。
ニコが驚いたのは、木を切るのも石を切るのもハロルドが聖剣を使っていたことだ。
女神が人に与えし慈悲の力を何と心得るのだろうか。
思わず笑ったニコに、ハロルドはこれが一番よく切れる、と平然と言ったのだった。
「もうすぐ完成?」
「うん。浴槽の湯を沸かすための竈の微調整があるけど、もうすぐだよ」
「へぇ。王都にある風呂みたいだな」
作業中のハロルドを見ながら感心したようにニコが言うと、ハロルドは照れ臭そうに拘りたかったからね、と返した。
「これで川で水浴びしなくて済むな。正直、冬も湯に浸かれるのはありがたい」
「ニコの身体は温めた方がいいんだろ」
「……まぁ、そうだな」
気づいていたのか、と思いつつハロルドを見ると、優しい青がニコを見つめていた。そこに溢れる愛情と慈しみを感じて、少々気まずくなる。
大火傷を負ったニコの肌は繊細で、少し手入れを怠ると突っ張って痛みが出る。
大切なのは保湿と清潔を保つことで、だからこそ日々清拭をしたあと手作りした軟膏を塗り込んでいるわけだが、やはりそのときに使うのは水よりも温かいお湯の方が具合がいい。
おまけに、ニコが六年前に負った傷は火傷だけではなかった。骨折や切り傷、打撲と多種多様な傷があり、それらの古傷は冷えると鈍く疼きだす。
特に寒い冬の日に、何度ゆっくり浴槽に浸かりたいと思ったか知れない。
そういうニコの体調を分かっていて、ハロルドは真っ先に浴室を作ってくれたのだ。
昔から優しい子だったハロルドだが、成長してその優しさに磨きがかかっているような気がする。ニコは嬉しくて、じんわりと心の中が温かくなった。
「あ、別にニコだけのためってわけでもないから、俺だって風呂好きだし」
おまけに、ニコに気を遣わせないように、そんなことを言う。
「ありがとうな、ハロルド」
「だから、俺も欲しかったんだって。……あー、でもさ、ニコ。風呂が完成したら一個だけお願い聞いてくれる?」
頬を掻きながらハロルドはニコの様子を窺うように言った。
ニコよりずっと背が高いくせに、少しだけ前屈みになって上目遣いで見つめてくる。見慣れたこの表情はハロルドのおねだりの顔だ。
「内容によるな。お願いってなんだ?」
「……一緒に風呂に入りたい、ニコと」
おずおずと言ったハロルドにニコは首を傾げた。
言った通り、水浴びはいつも一緒にしている。ハロルドは不自由なニコがひとりで行動するのを極端に嫌うのだ。
「? そんなことでいいのか。今だって水浴びは一緒にしてるだろ?」
「いや、そうだけど。そうじゃなくて……」
「まぁ、それくらいなら別に」
「本当!?」
そんなことくらいなら、と頷いたニコにハロルドはぱっと顔を輝かせた。
その嬉しそうな顔に思わずニコは手を伸ばした。左手でハロルドの頬をひと撫でして、そのまま上にあげる。
するとハロルドは少しだけ屈んで頭を下げた。
ニコがハロルドの頭を撫でやすくするためだ。
これはつい最近できた、自分たちふたりだけの不文律だった。
昔の癖で何かとハロルドの頭を撫でたがるニコではあるが、すくすくと成長したハロルドの頭はずいぶんと高いところにある。
松葉杖を使って身体を支えているニコが手を伸ばしても前髪しか触れず、どうしても上手く撫でられない。
そこでニコは軽くハロルドの頬を撫でることにした。
するとハロルドはすぐにニコの意図を察して頭を下げてくれるのだ。
子ども扱いを嫌がるかと思ったが、ハロルドとしてもニコに頭を撫でられるのは嫌いではないらしい。
いつも頬を上気させて喜んでくれるので、ニコもつい調子に乗って撫でてしまう。
左手でひとしきりハロルドの頭を撫でていると、ふいに手首を掴まれた。そのままそっと引き寄せられ口づけられて、ニコは思わず息を止めた。
これでも最近では慣れてきたのだ。真剣な顔で口づけられても、以前のように緊張しなくなったし、いちいち固まることも少なくなった。けれども、不意打ちは駄目だ。
驚いたのと心構えが出来ていなかったので、つい呼吸を忘れてしまった。そんなニコを見て、ハロルドが吹き出した。
「あはは、相変わらず慣れないな」
「うるさいな。今のは不意打ちだったから」
「じゃあ、毎回、今からキスするよって言って欲しいの」
「それは、ちょっと……」
ニコが気まずそうに視線を逸らせば、ハロルドはさらに声を上げて笑った。
女神に愛されその加護を一身に受けた勇者は、最初は頑ななニコに傷ついた様子を見せていた。
けれど、このところは慣れないニコを揶揄う余裕も出てきたようだった。
ニコが嫌がっているわけではないということを理解してくれたのだろう。
「もう一回していい?」
「う……」
ハロルドの手がニコの頤を掴む。ゆっくりと近づいてくるハロルドに、今度こそニコは目を瞑った。
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