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第二章 王女の来訪  第二話 勇者との離別

 ニコがひとりでこの村に来たのは六年前のことだ。  黒焔帝との戦いから約一年が過ぎ、ようやくニコは松葉杖を使ってではあるが、ひとりで歩けるようになったところだった。  そんな状態のニコが何故、不自由な身体を押してまでこんな辺境の村に来たのか。  理由は単純明快だ。追い出されたのだ、王国軍から。  それまでニコは王国軍魔術部隊の一員として、王城内にある医務局で療養することを許されていた。扱いはあくまでも休職中の魔術師で、一応はあの「黒焔帝」を退けた英雄。  王命で大怪我を負ったのだから、その治療は軍が行うべきだし、退役するのであればそれなりの保証があって然るべきだった。  しかし、いくら一年前までは魔術師だったとしても、現状はただの怪我人だった。  勇者候補たちは未だ幼く修行中で、碌な戦果も認めない。国境の戦場は膠着状態で、王国の状況は決していいとは言えなかった。  そこで、国王は戦いとは直接関係ない医務局の予算を減らすことにしたのだ。  そうなると、医務局としては重症で命の危険のある患者を優先的に治療するしかない。  治癒魔術師たちはその多くが前線に駆り出されている上、予算がなければ薬や包帯すら買えないからだ。つまり、ニコのように万全ではないが、回復期にある患者を置いておく余裕がなくなったのだ。  おまけに、魔術を使えなくなったニコは、魔術師として軍にいることは出来ない。王城にいる理由がなくなり、簡単に追い出されてしまった。  幼い頃から働き、慣れ親しんだ王城を出て行く際、ニコが感じたのは散々尽くした軍に捨てられた悔しさや王国への恨みなどではなかった。  あったのは、少しの寂しさとこれでハロルドの出立を見なくて済むという大きな安堵だった。  この頃のハロルドは十三歳になり、正式な指南役の元で魔術と剣術を学んでいる真っ最中だった。忙しい毎日の中で、足繁くニコの元に通っては、その日学んだことを教えてくれる。  楽しげに話すハロルドの様子は生き生きとしていて、彼がそれらの鍛錬や勉強に対して意欲的に励んでいることが手に取るように分かった。  しかし、その話を聞くニコは心中穏やかではいられなかった。ニコは段々恐ろしくなっていったのだ。  ハロルドの学ぶ魔術は、この一年間で飛躍的に高度なものへと進化していた。  最初は確かに低い練度でも発動できるような基礎の魔術だった。しかし数か月が過ぎる頃にはハロルドはより高度な魔術を習い始めていた。  そして一年が経つ頃には魔術を何年も学んできた者だけが到達する極大魔術。  それから、それを扱うための魔術操作と術式の展開方法。それらを魔術を学び始めてたった一年のハロルドが習得しようとしていたのだ。  元々、ニコが基礎をみっちりと教えていたから、覚えがよかったこともあったのだろう。しかし、同じように魔術を学んできたニコは気づいてしまった。  ハロルドは普通ではない。――おそらく、ハロルドが勇者だ。  そのことに気づいたとき、ニコはどうしようもない恐怖を感じた。  その時点では、三人の勇者候補のうち誰が真の勇者かは分からない状況だった。  女神は三人に等しく加護を与え、三人ともが光属性の魔力を持っていた。しかし、ハロルドは三人の中で誰よりも努力していたのだ。  おそらく、彼は勇者になりたかったわけではないだろう。  ぼろぼろに傷ついたニコを前に、ニコよりも強くなってニコを守る、と宣言したとおり、ただがむしゃらに強さを求めていただけに過ぎない。  けれども、その努力は女神の目に留まり、才能は開花してしまった。  彼らは三年後――成人を迎える十六の年に聖剣より選定を受ける。女神が与えし聖なる剣を、神樹の根元から引き抜いた者が勇者として魔王討伐の旅に出なければならない。  ――きっと聖剣に選ばれるのはハロルドだ。  この一年間の成長を考えると、それは必然のように思われた。  ハロルドは魔王と戦わなくてはならない。そのことが恐ろしくて仕方なかった。  ニコは確かに勇者候補の護衛だった。故に、ハロルドが勇者候補であることは理解していたが、彼が「勇者」であることを受け入れる覚悟が足りていなかったのだ。  おそらく、ニコが望めばどんな形であれ軍に留まることは出来ただろう。  しかし、ニコはそれを望まず王城から離れることを選んだ。  軍にいていつかハロルドの旅立ちを知ることが怖かった。  旅立って活躍すればまだいい。けれども魔王と戦い訃報を聞くことがあれば、きっとニコには耐えられない。  ――せめて魔術が使えればよかったのに。  この頃のニコはずっとそんなことばかりを考えていた。  黒焔帝との戦いで死力を尽くしたことを後悔したことはない。  あそこまでやらなければ、黒焔帝を退けることは難しかったし、そうなればきっとハロルドを守り切ることは出来なかっただろう。  けれど、魔術師であれば勇者の一行に入れてもらえたのだ。  一緒に旅立てれば、魔王から直接ハロルドを守ることが出来て、こんなに不安にもならなかったかもしれない。  しかし、魔術を失ったニコにそれは叶わない。  だから、軍を辞めハロルドの前から姿を消すことを選んだ。  もちろん、その話をハロルドにすれば反対されるだろうことは分かっていた。  あの強い瞳で見つめられて、行かないで、と嘆願されればきっとニコは頷いてしまう。  だから、何も言わずに置いて来た。残されたハロルドがひどく悲しむことは分かっていたのに。――たぶん、それがよくなかった。  逃げた、と言ってもいい突然の離別に、ハロルドは何を思ったのだろうか。  表向きはニコは王命で城を出たことになっている。  当時、ニコの他にも傷病軍人で医務局にいられなくなった者は多かった。故にハロルドは国王のことが嫌いなのだ。

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