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終章 光の勇者と神緑の魔術師 第二話 王女の力と勇者の泣き言
「ニコ様の魔術はわたくしも存じておりますわ。直接見たことはありませんけれど、素晴らしい植物魔術をお使いになるとか」
そこまで言ってヴィクトリアは不意にメアリー・アンの手を取った。そして、手のひらを見つめてじっと考え込む。
「お、お姉様?」
「メアリー、ゆっくり深呼吸をなさい」
「? はい」
戸惑うメアリー・アンにヴィクトリアは言う。
「吸った空気を全身に行き渡らせるようにして、またゆっくり吐くの。そうよ、そのまま続けて」
ニコはヴィクトリアの意図を理解した。
これは魔術師見習いたちが最初に習う呼吸の方法だ。
魔力の扱いが未熟な見習いたちは、こうして体内にある魔力を身体中に巡らせて魔力の使い方を学ぶのだ。
「あなた、自分の中の力には気づいていて?」
「力?」
「ニコ様のおっしゃる通り、あなたの中に魔力があるわ」
「え?」
ヴィクトリアの言葉にメアリー・アンはその美しい瞳をまん丸に見開いた。
驚きすぎて言葉にならないのだろう。
「正確には魔力ではないの。いつからあったのかしら、だからメアリーは魔力がなくても生きていられたのね」
感嘆するように言ったヴィクトリアは、目を瞑って静かに魔力探知を始めた。感覚を研ぎ澄ませるように、彼女自身も先ほど自らが言った呼吸を続けている。
先ほどのヴィクトリアの驚きは、ニコも思っていたことだった。
魔力は命の源で、むしろ命そのものと言ってもいい。枯れれば死ぬし、与えられれば生き返る。魔力がない生き物など、女神が作ったこの世界には存在しないはずなのだ。
「魔力探知では分からないはずよ。わたくしもニコ様に『精霊の魔力に似ている』と言われなければ、気づかなかったもの」
「魔力じゃないってことか?」
黙って王女ふたりのやりとりを見ていたハロルドが、驚いたように言う。それにヴィクトリアが頷いた。
「魔力じゃないわ。ニコ様も魔力じゃないと思われるでしょう?」
「そうですね」
ニコが同意すれば、メアリー・アンはさらに困惑したように眉を下げた。
「では、何なのでしょうか」
「分からないわ。けれど、神樹を生やしたのがニコ様じゃないとすれば、メアリーあなたかもしれなくってよ」
「わたくしが?」
「ニコ様、メアリーの手を取って下さる?」
言われて、ニコは大人しくヴィクトリアの言葉に従う。細く小さな手を握れば、メアリー・アンは少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。
「メアリーの力を使って、植物を生やせるかしら」
「やってみます」
実際に、他人の魔力を使って魔術を発動することはそう難しいことではない。
お互いの魔術式や魔力の相性にもよるが、枯渇した魔力を補うため魔力のやり取りだって可能だ。
ニコはアラクネに襲われたときのように、メアリー・アンの身体から感じる「力」を自らの魔力で手繰り寄せた。
メアリー・アンの「力」は大きくてとても温かい。
眩しいほどの光に溢れていて、植物魔術とも相性がいいように思えた。
おそらくその気になれば、小屋の天井を突き抜けるほどの大樹を生やすことだって出来るだろう。アラクネの攻撃を止め、拘束したあの神樹のように。
しかし、ニコはメアリー・アンの濁流のように溢れる「力」を調整して、ほんの少しだけ借り受ける。
ニコが詠唱を唱えると、隣に座っていたメアリー・アンが仄かに輝き出した。
白にも銀色にも見えるその光は、薄暗い小屋の中を眩く照らし出す。
「まぁ」
「これは……」
ヴィクトリアとハロルドが驚いてニコを見ていた。
寝台に座ったままのニコの膝の上には、小さな銀色の苗があった。
樹と呼ぶにはあまりに頼りない細く小さなその苗は、けれども確かに葉も根もその全てが銀色だった。
――神樹の苗だ。
「メアリー・アン王女殿下の『力』をほんの少し借りただけです。もっと大きなものも生やそうと思えば生やせるでしょう」
そう言えば、ヴィクトリアは「杖も使わずに……」と小さく呟いた。
ニコはこれくらいの苗を生み出す程度ならば、杖は必要なかった。
杖は魔術師にとって魔力を集中させるための道具だが、多くの魔術師が簡単な初歩魔術であれば杖なしでも発動することが出来る。
ニコにとって苗を生み出すのは、他の魔術師が薪に火をつける程度の魔術でしかないのだ。
そう答えれば、ヴィクトリアは少し考える様子を見せて頷いた。そしてメアリー・アンを労うようにその肩を撫でた。
「メアリー、あなた身体に何か異変はあって?」
「いいえ、特に何も」
魔力はたくさん使えば身体の負担になる。使い慣れていなければ、少し使っただけで疲労感を覚えるものだ。しかし、メアリー・アンは何ともないと言う。
その答えにニコはアラクネを捕らえた巨大な神樹のことを思い出した。
あの神樹を生やしたのがメアリー・アンの力を使ったニコだったとして、あれだけの樹を生やしても彼女はけろりとしていた。
かつて前線で戦っていた頃のニコだって、あれほど巨大な木を生やせば息切れくらいはしていたはずだ。
それなのに、彼女は力を使った自覚すらないのだ。
彼女の中にあるその力は、一体どれくらい巨大なのだろうか。
「ニコの怪我を治したのも、王女殿下なのか?」
「そうかもしれないわ。神樹を生やす創世神話では、女神の力は全ての傷を癒すと書かれているもの」
ハロルドの問いに、ヴィクトリアが答えた。
神樹を生やす力とは、それはすなわち女神の力だ。
世界と全ての生き物の創造主と伝えられている始まりの女神。
この世界は彼女の一部であり、全てであるという。
生きとし生ける者は全て女神の理の中で生きていて、その理のひとつが魔力は命の源だということだ。
女神の創世神話はいくつか残されていて、神樹の伝説もそのひとつだ。
魔族は始まりの女神と対をなす存在である終焉の神が作り出した理の外の生き物で、故に女神の使徒である人間とは相入れないものである。
彼らによって人間が傷つくことに心を痛めた女神は魔族を退ける神の樹を人間に与えた。同時に傷ついた人間たちをその力によって癒したという。
この国に住んでいれば幼い頃に一度は聞いたことがあるこの物語では、神樹を生やすのも傷を癒すのも女神の力だと記してあった。
治癒魔術と女神の癒しの力の違いは正直分からないが、あのときニコの身体に起こった現象は確かに女神と神樹の伝説とよく似ている。
「国王陛下に報告しなくてはね」
ヴィクトリアがあまり嬉しくはなさそうに言った。
秀麗な顔には憂いが滲んでいて、それだけで彼女たち姉妹と実の父親との関係を察することが出来る。
国王はメアリー・アンの力についてどう思うだろう。
彼女の力は間違いなく王国に――否、この世界に齎された福音だ。それをあの国王はどう扱うだろうか。
「それからメアリー、あなたの力がどういうものなのか、王都で詳しく調べる必要があるわ。城に戻るわよ」
「……はい」
おそらくふたりの姉妹仲は良好なのだろう。
だからこそ、ヴィクトリアは妹の身にこれから起こるであろう変化を憂いている。正しくは変わるのはメアリー・アンではなく、彼女を取り巻く環境だけれども。
「ニコ様、ハロルド、長いこと妹がお世話になりましたわ。わたくしも求婚しに行ったっきり帰って来ないメアリーを連れ戻すことが出来て安心しましてよ」
ヴィクトリアが巻き毛を払いながら立ち上がる。
これにてニコへの事情聴取は終了ということだろう。
「神樹の詳しい調査は、おそらく後日教会から僧侶あたりが派遣されるでしょう。今度は神樹であるかの鑑定ではなく、神樹自体の観測のための派遣になるはずですわ」
だからもう帰りますわ、と続けたヴィクトリアが持っていた杖を掲げた。
詠唱を唱えると彼女とすぐ隣に並んだメアリー・アンの足元に魔方陣が浮かび上がる。転移魔術の魔方陣だ。
勇者一行の魔術師ともなれば、遠く離れた王都まで魔術で一瞬で移動することが出来るらしい。
白い光がふたりを包む。ニコにも分かるほど強い魔力が部屋を満たし、力の中心――つまり、ヴィクトリアへと収束していく。
そして目を開けていられないほど、ふたりが輝いたときだった。
「それから、結婚おめでとう、ハロルド。よかったですわね、あなた、旅の間中ずっとめそめそとニコ様に会いたいと言っていましたものね」
「ヴィクトリア!」
おほほほほ、という高笑いとともに魔力が膨張し、一気に発散する。
ニコが目を開けたときにはふたりはもう小屋の中にはいなかった。
残されていたのは、ニコと真っ赤な顔をしたハロルドだけだった。
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