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終章 光の勇者と神緑の魔術師  最終話 勇者と魔術師の旅立ち

 初めてニコと本当の意味で伴侶になってから、十日ほどが経っていた。  その間、ニコとハロルドは何度も何度も抱き合った。  ニコが許したせいもあるだろうが、若いハロルドは何度もニコを求めてくるようになったのだ。  とはいえ、ハロルドは常にニコを気遣ってくれる。  最中は絶対に自分の欲望のままに動かないし、ニコの様子をしっかり見てくれて痛くないか、苦しくないかと何度も聞いてくれる。  その不慣れな中に見せる優しさや思いやりがニコはとても嬉しかった。  本当はこのまま穏やかな日々が続いてくれればいいと思っていた。  けれど、初めてニコがハロルドを誘ったときに口にした「騒がしくなりそう」という嫌な予感は的中することになるのだ。  アラクネの襲撃を受けて、シアの葉の群生地は壊滅的な被害を受けた。  地面は破壊されそもそもシアの葉の多くがそのときに散らされてしまったのだけれど、僅かに残った葉ですら神樹の調査に来た調査員たちに踏み荒らされてしまった。  シアの葉は知らなければただの下草だ。  調査員に罪はないとはいえ、貴重な薬草がなくなってしまったのは悲しい。  しょんぼりしながらニコが、ハロルドとともに神樹の根元で別の薬草を摘んでいたときだ。  大勢の気配とともに、遠くからざくざくとたくさんの足音が聞こえてきた。  驚いて顔を上げると、隣のハロルドはひどく嫌そうな顔をして森の入り口へと続く獣道を見ていた。  ふたりで顔を見合わせて、ああ、とうとう来たか、とニコは思う。ハロルドの方は「誰が」来たかは分かっているようだったが、「何故」来たのかは分からないようで訝しげに眉を寄せていた。 「ごきげんよう、ニコ様。ハロルド」  美しい銀髪をなびかせて、森の中に立っていたのは予想どおりヴィクトリアだった。  隣にはメアリー・アンと彼女の護衛騎士であるウィルがいる。他にも数人の騎士を引き連れた大所帯だった。 「今日はどうしたんだ?」  ヴィクトリアの挨拶を受けて、ハロルドが立ちあがった。  そのまま手を差し伸べられて、ニコは遠慮なくハロルドの手を取った。 「城での検証が終わったの」  ヴィクトリアは今日はドレスを纏っていなかった。先日と同じ紺色のローブの下はメアリー・アンのような動きやすそうな軽装を着ている。 「結論から言うと、メアリーの力は創世神話に書かれた『聖なる力』と同じものよ」  つまり、女神の力と同じである、とヴィクトリアは声も高々に言った。 「まぁそれも魔力と違って探知や判別が出来るようなものではないから、様々な事象を総合的に考えて『そうとしか考えられない』ということで便宜上そう呼ぶのだけれど」 「神樹を生やし、怪我を癒すってところか?」 「そうよ。ニコ様に頂いた神樹の苗を国王陛下に献上したわ。そこで正式に教会からあれは『神樹である』という証明をもらったの」  あの銀色の苗を教会が神樹と認めたということは、メアリー・アンの力が「聖なる力である」と認めたということだ。 「メアリー・アン王女殿下が『聖女』になられたということですか?」 「そのとおりです」  ニコの問いにヴィクトリアが答えた。 「そこで国王陛下はメアリーの力を利用しようと考えましたの。これまで揉めに揉めていた外交政策の切り札として」  ヴィクトリア曰く、メアリー・アンに新たな勅命が下ったという。  内容は簡単。魔域から流れてくる瘴気に悩まされている地域一帯に神樹を植えていくというものだ。  王国は長年貧しい北方諸国に支援を行ってきた。  同時に神樹による瘴気の被害を軽減する方法を研究してきた。北方諸国はほぼ全ての国が魔域と領土を接しており、各国が魔族との戦争を共同で行う同盟国だったからだ。  しかし、魔王は倒され魔族との戦争は終わってしまった。  残されたのは貧しい大地と昨日まで戦友だった北方諸国の同盟だけだ。  先日、メアリー・アンも言っていたけれど、今は少しでも瘴気の影響の少ない土地を巡って北方諸国同士の戦争が起き始めているという。  もちろん、世界でたった一国だけ神樹に守られる王国もその影響がないわけではなかった。   それらの軋轢を軽減するための神樹の植樹計画なのだろう。  しかし、ニコの知る国王はそんな奉仕活動のようなことをする質ではない。 「あの王様なら、神樹を植える代わりに何か大きな対価を要求しそうですけどね」 「もちろん、無償でというわけではないでしょうし、瘴気による土壌汚染で土地が痩せているのは我が国も同じ。最初は国内の北側の国境沿いに植えるとのことです」 「それで、なんでここに来たんだ? この森にはもう立派な神樹が生えてるぞ」  ハロルドが自らの背後を仰ぎ見れば、そこには銀色の葉を茂らせた神樹が、陽光を受けて眩しいほどに輝いていた。  この神樹の力は本物だ。現に、この森は神樹が生えてから格段に瘴気が薄くなっている。 「別に、この森に神樹を植えて欲しいわけじゃないわ」  分かっているでしょう、とヴィクトリアは言って、ローブの中から一枚の羊皮紙を取り出した。そしてそれを両手でニコの方に差し出してくる。  複雑な紋章の押された封蝋と金細工の留め具。  ただの手紙にしてはいやに豪華なそれをニコは見たことがあった。  何を隠そう九年前にもニコはもらったことがあるのだ。――これは、国王からの勅命だった。 「神緑のニコ様に国王陛下からの勅命です。第二王女メアリー・アンとともに魔域との国境に神樹を植えて欲しいのです」  ヴィクトリアの声に合わせて、周囲の騎士たちがざっとニコの前に跪いた。  同時に隣に控えていたメアリー・アンが一歩前に出た。 「王女殿下は、それでいいのですか?」  ニコはメアリー・アンに問う。  これまでの彼女は、魔力がないなりにこの国のために王女として、その責務を果たそうとしていた。  そこに彼女の望みはなく、ただ必要だと思うことを懸命にこなしていただけだ。  まだ少女だというのに自分の夢を諦めてただ「王女」としてだけ生きようとしていたメアリー・アン。  彼女は自らの生き方を見つけたのだろうか。 「はい。ニコ様。わたくし、神樹を植えに行こうと思います」 「そうですか」 「けれど、わたくしだけでは樹を生やすことは出来ないのです。神樹を植えるためにはニコ様のお力をお借りするしかありません。どうか、わたくしとともに来てくださいませんか」  メアリー・アンの言う通り、彼女の持つ「聖なる力」だけでは神樹を生やすことは出来ない。彼女の力を使い、「樹を生やす」魔術を発動させる魔術師が必要なのだ。  晴れ晴れとしたメアリー・アンの笑顔を見て、ニコもつられて微笑んだ。  先日別れたときよりもメアリー・アンはずっといい顔をしている。 「神樹を植えると竜は見れなくなりますね」 「まぁ、そうですのね」 「竜も魔獣の一種ですからね。神樹の力は苦手なはずです」  それは残念です、と笑うメアリー・アンにニコは頷いた。 「分かりました。勅命、謹んで拝命いたします」  ニコはもう王国軍の軍人でもないし、魔術師でもない。  しかし、勅命には「王国軍魔術師部隊所属神緑のニコ」と書いてあって苦笑するしかない。  曲がりにくい膝を何とか曲げて、ニコはメアリー・アンの前に跪く。  メアリー・アンがそっとニコの手を取った。 「ニコ」 「ハロルド、ごめん。まぁこんなことになるだろうなと思ってたんだよな、俺」  そう言えば、ハロルドは眉根を寄せて険しい顔をした。  植物魔術を操る魔術師は星の数ほど存在すれど、無から木を芽吹かせるほどの高等魔術を扱える者はこの国にはニコを含めて三人しかいない。  そのうちのひとりはもうずいぶんと老齢で、ニコが現役だった頃から老師と呼ばれていた魔術師だから、北方諸国を巡る旅には耐えられないだろう。  後のひとりは何というか、ニコより十ほど年上の魔術師なのだが、野心が大きくあまりいい噂を聞かないのだ。 「わたくしがニコ様を推薦しましたの。ロズウェル卿をわたくしのメアリーに近づけたくありませんわ」 「あの人、まだあんな感じなんですか」 「ニコ様のおっしゃる『あんな感じ』がどんな感じなのかは存じ上げませんが、控えめに言って最悪です」 「なるほど」  一番の被害者らしいヴィクトリアが言うのだから間違いない。  ニコが知るもうひとりの魔術師ロズウェル卿は、長年王族の一員になるために王族の女性との婚姻を狙っているという噂があった。  どうやらその噂どおり、王女であるヴィクトリアにもしつこく迫っているらしい。到底、幼いメアリー・アンに近づけられる人物ではない。 「消去法だよ。だから言っただろ、これから騒がしくなりそうだって」  ニコは渋面を作ったままのハロルドに向かって言った。  それを聞いてハロルドは「だったら俺も行く」と返す。 「ニコが行くなら俺も行く」 「あら、当たり前だわ」 「は?」  ハロルドの言葉に大きく頷いたのはヴィクトリアだった。 「勇者ハロルド、あなたにも勅命が出ています。魔域との国境に神樹を植えるだなんて、魔族は絶対に阻止したいはずだわ。だって奴らが侵攻できなくなるものね。メアリーもニコ様もきっと狙われる。わたくしもメアリーの護衛として行くの。あなたもあなたの大切な伴侶の護衛として同行なさい。もちろん、城の護衛騎士たちも同行するのだけれど、あなたがいた方が何かと便利でしょう」  尊大な言葉とともにハロルドに差し出されたのは、ニコに渡されたものと全く同じ羊皮紙だ。豪華な封蝋と金細工が付いており、開けば中の文面もほとんど同じだった。 「拝命する」  反射のように答えたハロルドは、羊皮紙を受け取って背負っていた聖剣を引き抜いた。そしてそのまま地面に突き立て、メアリー・アンに向かってゆっくりと跪く。  神樹が銀色の葉をさらさらと風に揺らす。  木漏れ日の中、神樹の下で光の勇者と神緑の魔術師は銀髪の聖女に忠誠を誓う。  神樹から白い光がメアリー・アンに降り注いだ。  ふわふわと空中を揺蕩うそれは、精霊の光だった。  精霊は女神の欠片。女神の意思だ。  おそらく彼らがアラクネとの戦いでニコに力を貸さなかったのは、メアリー・アンの力を目覚めさせたかったからだろう。  聖女の力も勇者の目覚めも、その全てが女神の意思であり世界の理の中にある。  しかし、ハロルドとメアリー・アンにとって女神の采配は全てではない。  魔王を倒すことを選んだのはハロルド自身だし、神樹を植える旅に出ることはメアリー・アンが決めたことだ。  ふたりとももうニコに守られるだけの、子どもではなかった。  自分の運命を自分で選択し、その道を覚悟を持って歩むことが出来るのだ。 「じゃあ、一緒に行こうか」  ニコが隣にいるハロルドに微笑んだ。それにハロルドは「もちろん」と笑い返す。  精霊がニコとハロルドの上にも降り注ぐ。ハロルドが持つ聖剣が光を反射してきらきらと輝いていた。  逞しく成長した養い子は、世界を救った英雄となった。  ニコとハロルドの始まりは間違いなく九年前だけれど、そのとき芽吹いた小さな愛はニコを包むほど大きなものとなってようやく花開いたのだ。  それは後に聖女の伝説として語り継がれることになる物語の始まりの一節だ。  銀の聖女メアリー・アンの伝説は、光の勇者ハロルドの冒険譚と並んで子どもたちに人気の寝物語となる。  魔王を倒した勇者と、聖なる力を使い魔族から人々を守った聖女は同じ時代を生きていた。  彼らの物語は時に重なり、時に全く別の伝説を紡いでいく。  人々は語り継ぐ。勇者の勇敢さを、聖女の慈しみを。  けれど、同時に人々は謳うのだ。勇者のように雄々しく戦い、聖女のように優しく人々を守った魔術師の話を。  実のところ、この魔術師については詳しい文献は残っていない。  とある伝説では聖女の実の兄姉で、とある書記では勇者の伴侶であると記されている。性別も男だったり女だったり、さまざまだった。  しかし、分かっていることがたったひとつある。  それは魔術師が間違いなく存在していて、常に勇者の傍らに寄り添っていたということだ。

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