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リナリアを胸に抱いて9

「優しいんだね、雷くん」  正面から眉を下げた柔らかな表情で微笑まれた。 (……このまま、光の中に透けて消えてしまいそうだ)  男で、ベータで、高校生で、兄の恋人。  色々盛沢山すぎる相手だけれど、雷の中ではもう一つ『なんか、放っておけない人』という単語が付け加えられた。 彼の心の揺れに、共に揺らされている自分の心にも雷は驚く。 (……このまま、光の中に透けて消えてしまいそうだ)  男で、ベータで、高校生で、兄の恋人。  色々盛沢山すぎる相手だけれど、雷の中ではもう一つ『なんか、放っておけない人』という単語が付け加えられた。 「べつに……。それより、泣くほどって、兄さんのこと、本当は嫌いなのか」 「ごめ……っ。泣いたりして……。朔のこと、嫌いじゃないよ。大好きだよ。でもちょっと、……たまになんか苦しくなるんだ。一緒にいて苦しいって思うのって、僕は相手に対して誠実じゃないんじゃないかって思ってて……」  透の伏目がちな仕草は見ていて切なくて、でもとても美しかった。人を想って憂う人は、切ないぐらいに美しいと雷は知った。 「その反応、普通だろ。おかしくないよ。あんたには、兄さん以外にも大事な人がいるんだろ?」 「うん」 「じゃあ、それを根こそぎ奪うような兄さんのやり方は間違っていると思う」 「……そんな風に誰かに言われたの、初めてだよ。君、まだ小学生なのに、すごいね」  感心したように呟く美しい人に、まじまじと見つめられた。雷は自分では気づいていない、年相応の顔になって照れ、パンケーキを大きな口でがぶっと食べた。  途端にバターの香りとさっくりとした食感、そして甘い砂糖とふんわりと蕩ける味わいが口いっぱいに広がった。 「すごく、美味しい」  興奮気味に呟いてもう一口、二口と夢中で食べ進める雷を見て、透がまだ潤んだ眼差しをにっこりと細めた。 「喜んでもらえて、嬉しい。沢山食べて。幾らでも作るよ」 「うん」  静かな夏の昼下がり、他には誰もいない。  この世で二人きりになったとしても、この人とならば居心地は良さそうだと、そんな風に思った。そして後になって思い返せば、それは雷の人生の半分を占める長く狂おしい恋の予感でもあったのだ。 ※※※  それから数日、兄のいない間、奇妙な同居生活が続いた。  家族とすら食べたことがなかった朝昼晩の食卓を雷は透と共に囲んだ。  時間が有り余っているからと、二人して並んでキッチンに立つ。おままごとの様に三食を作った。  初めての経験で、これが家庭というものなのかと雷は言葉にはせずとも深く強く感動していた。  使用人達は『仲良くなって、ようございますね』などと、表面上はとってつけたように褒めていたが、透が弟まで手懐けようとしているのかというような、白々しい雰囲気を出すものがいた。そんな者は雷が直ちに、透から遠ざけた。   雷は透を自室に誘い出すために、わざわざ学校の友人と連絡を取り、最新のゲーム機を教えてもらって幾つも取り寄せた。 (僕の部屋に居れば、誰かに何か言われたりしないだろうし。兄さんが帰ってくるまで、何かとこの頼りない人を護ってあげたい)

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