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リナリアを胸に抱いて12
透は兄に後ろから二の腕を掴み上げられ、グイっと後ろに引きずられた。
「いたっ」
「透さんに、乱暴するなっ」
雷は生まれて初めて兄に対して怒鳴り声をあげた。しかし飛びかかった雷の身体を兄の腕一振りで容赦なくソファーに突き飛ばした。兄弟喧嘩というにはあまりにも圧倒的な力の差があった。悔しくてもう一度飛びかかろうとしたが、その前に兄の腕を振り払った透がよろよろと飛び出してきた。
「朔、弟に乱暴しちゃダメ」
「……二人して、庇いあうのか? 俺がいない間に、随分と仲良くなったんだな? こいつと二人っきりで何してたんだ」
兄は初めて見るような、昏い感情に支配された目をしていた。実の弟相手に、透に対する執心と独占欲を隠そうともしない。
「何って、ゲームしたり、ご飯を一緒に食べたり……」
「そんなことをしてやれなんて、一言も頼んでいない。お前はただ、俺の帰りを待っていれば良かったんだ」
透が引きずられるようにして廊下に出ていく間も、二人は声高に何か言いあっているようだった。
「透さん……」
指にまだ、彼の流した涙の熱い雫の感触が残っている。
雷は強い孤独と寂寥感に襲われ、真夏だというのに凍えそうな気持ちに苛まれた。
それはごくごく、幼い頃。母親を恋しく思っていたのに、望んだ時に思うように返してもらえなかった、あの感情に似ている。
望んではいけない、恋しく思ってはいけない。そう、自分の心に蓋をした、柔らかく壊れやすい感情がついにあふれ出す。
雷は頬を熱いものが伝って初めて、自分も透と同じように涙を零していたのだと分かった。
(……どうして。どうしてこんなに涙が出るんだ)
哀しいのか、悔しいのか、寂しいのか、恋しいのか。
どうしても分からない。そのすべてなのかもしれない。
パレットについた絵具を水に溶かすように、様々な感情が入り交じり合って溶けていく。この感情の答え合わせを透としてみたかった。だけど、もう彼は雷の傍にはいない。
その夏。
兄は徹底的に透を雷に会わせないように画策してきた。本館の端の部屋に透を軟禁まがいに留め置き、雷が訪ねて行っても、兄に命じられた使用人たちに阻まれた。以後、雷が透に会うことは叶わなかった。
夏休み中、透は兄の傍に置かれていたようだ。だがある時とうとう、透の叔父という人が連れの大男と共に乗り込んできて、透を取り戻すために大立ち回りになったと人づてに聞いた。
秋が来て、冬が来て。
透は休みのたびに兄と共に部屋にこもっているようだったが、一向にオメガになったという話は聞かなかった。父が兄を𠮟責して、大学進学を機に透と別れて、卒業後は経営の勉強をするために然るべき相手を娶って渡米しろといっているのを耳にした。
それが家を継ぐための条件であるとも。
兄は表面上、父のいうことを飲んだようだった。だが雷は透を巡って兄から向けられた、あの執着の炎に燃えた目を忘れてはいない。実の弟すら敵とみなしたような、あの昏い眼差し。兄は決して透を諦めることはないだろう。
「では母さんと同じように、跡取りを得た後は離縁し好きなようにしても良いということですね?」
そんな風に父に言質を取ろうとしていたから、盗み聞きしていた雷は堪らなくなった。
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