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0.災厄は幸福のかたちをしている
「頼む、アシュレイ。俺の息子を、おまえの弟子にしてくれないか」
フレグラントル王国、王都近くに位置する緑美しい町グリットン。その外れの森に住む大魔法使いアシュレイ・アトウッドは、深々と頭を下げる男を忌々しく見下ろした。
イーサン・ノア。人嫌いの変人と名高いアシュレイの、学院生時代からのほぼ唯一と言っていい友であり、現在は町で飯屋を営んでいる男である。
「イーサン……」
深緑色のローブのフードの下で、アシュレイは童顔を歪めた。
そもそもの話であるものの、こういった事案は、先んじて親が打診すべきものではないだろうか。幼い息子を同伴されては、無下に追い返すこともできやしない。確信犯だとすれば、性質が悪すぎる。
「頼むよ、アシュレイ。アシュ」
情けなく眉を下げたイーサンが、イーサンだけの愛称で言い縋る。
「俺に教えることができたらいいんだが、もうできないんだ。知っているだろう?」
知らないわけがなかった。ずるい言いように苦虫を噛む。
自分たちが学んだ王立魔法学院は、有望な魔力持ちだけが十五になる年に入学を許可される特別な学院だ。約十年前の在学中、創立以来の天才とアシュレイは褒めそやされたものだが、在学中に魔力が尽きたこの男も、創立以来のレアケースだったに違いない。
そう、つまり、今のイーサンには魔力がない。
――教えることができない事情は理解できる。才があるのであれば、学院に入る前から魔法使いのもとで学ばせるべきという理屈も納得してやってもいい。
問題は、なぜ自分のところに弟子入りの話を持ち込んだのかということだ。「子息を弟子に取れ」とうるさかった貴族の使いを、つい半月前にも追いやったばかりだというのに。
溜息を呑み込んで、アシュレイは子どもに目をやった。イーサンと同じ夜色の髪に、星を持つ金色の瞳。おまけに、少女のように整った顔をしている。
いくつになると聞けば、七つになるのだという。まだほんの子どもではないか。困り果てていると、おずおずと子どもが口を開いた。アシュレイに向かい、深く頭を下げる。
「テオバルド・ノアと申します。どうぞよろしくお願いいたします、師匠」
師匠もなにも、よろしくを受け入れた覚えはいっさいない。無言のまま、アシュレイは子どもを改めた。イーサンの言うとおり、たしかに魔法の才はある。育てば、それなり以上になるだろうとも思う。だが、しかし。
――弟子を取るということは、この家に住まわせるということなんだが?
無論、イーサンは承知の上であろう。膨らんだ鞄を持参させている事実が良い証拠だ。弟子入りが決まり次第、ここに置いて帰ると言わんばかりである。
想像の段階で面倒極まりない事態だった。プライベートの空間に他人を入れるつもりなど、アシュレイには毛頭ない。非難を含んだ視線を、頭半分ほど背の高い男に向け直す。
だが、当初の神妙な態度は、どこへやら。イーサンは、アシュレイが承諾すると楽観している様子だった。
本当に性質が悪すぎる。無言の攻防を経て、アシュレイはひとつ諦めた。
溜息を呑み、被っていたフードを取り払う。短い金色の毛先が空に舞い、動作を追った子どもの視線が上を向いた。その視線が、ある一点で留まる。
「あ……」
やはり、そうなるだろうな。小さく声を発したきり黙り込んだ子どもを、アシュレイは静かに見下ろした。失望はない。そういう反応を見せるとわかっていたからだ。
どう見積もっても十五、六にしか見えない自分の容姿のことも、呪われた緑の瞳のことも。町の人間がどう噂をしているのか、よくよく承知している。
身丈ほどの杖を持つ、正体不詳の森の大魔法使い。それがアシュレイ・アトウッドだった。
怯えられたところで、いまさら痛む胸もない。逃げ出すというのであれば、話が早くて助かるくらいだ。そんな算段を胸に、必要以上に厳かに言い放つ。
「俺は弟子を取らない主義だが、おまえの頼みとあってはしかたがない。引き受けよう」
「おまえならそう言ってくれると思ってたぜ、アシュレイ!」
引き出した了承に、イーサンは嬉々とした声を上げた。
「本当に恩に着る。よかったなぁ、テオバルド」
大きな手でわしゃりと息子の頭を撫でながら、言い聞かせる調子で話を続ける。
「こいつは、大天才なんだ。なにせ、ムンフォート大陸の五大魔法使いさまのひとりだからな」
「イーサン」
なんで、おまえが自慢げなんだ。本当に、いつも、いつも。呆れる代わりに、なにも言わない子どもに、アシュレイは冷笑を向けた。
「なんだ、恐ろしいのか?」
それは、過去に何度も浴びた言葉だった。父親に頭を撫でられてもぽかんとしていた子どもが、ようやくはっとした顔になる。
「いいえ。すごくきれいだと思って。それで、目を離すことができませんでした」
予想外の反応に、アシュレイはまじまじと子どもを見つめた。
「すみません。本日から、どうぞよろしくお願いいたします」
素直に頭を下げられ、ぎこちなく子どもの隣に視線を動かす。怖がって帰るに違いないと踏んでいたというのに、完全に当てが外れてしまった。
くっくと肩を震わせる男に、唇の動きだけで呼びかければ、同じく動きだけで「俺の息子だろう」と返してくる。試したことを見透かされているようで、どうにもバツが悪い。
軽く天を仰ぎ、アシュレイは子どもに視線を戻した。目が合うと、にこりと瞳がほほえむ。媚も恐れもない、澄んだ星の瞳。
はるか昔に見たものとよく似た色に、内心で溜息を吐く。
――やはり、血は争えないな。
かつて、自分が愛し、命をかけた、たったひとり。これはその男の息子だと認めざるを得ない心地だった。
「アシュレイ・アトウッドだ。テオバルド。たった今からおまえの師となった。学院に入学する十五の年まで、責任を持って育てよう。おまえもしっかりと励むように」
その言葉に、テオバルドが頷く。
「はい、師匠。精いっぱいがんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします!」
期待に満ちた幼い顔が、木漏れ日を受けてきらきらと輝く。まるで、本物の星のように。その眩しさに圧倒され、アシュレイは苦く笑った。
今から十五年前の、春の話である。
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