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1.魔法使いと弟子(前編)
グリットンの町の人間から「森の大魔法使いさま」と呼ばれるアシュレイは、呼び名のとおり、町外れの森にひとりで住んでいた。
トネリコの森の奥深くにある一軒家である。
本来の家主は師匠のルカであるのだが、この数年はアシュレイが管理をしていた。
好きに使っていいとの許可を得て、気ままなひとり暮らしを送っていたのだが、もしかすると、少しばかり雑然としていたかもしれない。
居間に足を踏み入れたテオバルドの「とんでもないものを見た」という表情に、アシュレイは自分の気ままを省みた。家の横手にある薬草園を案内したときとは雲泥の差の顔である。
とは言え、そこまで散らかしているつもりはないのだが。黙って反応を待っていると、おずおずとテオバルドが視線を持ち上げた。ありありとした戸惑いのにじんだ、大きな瞳。
――しかし、これは、エレノアとイーサンの遺伝子が奇跡的にうまく配合された結果だな。
テオバルドを見下ろしたまま、すまし顔の裏でアシュレイは考える。
清潔な白のシャツと藍鼠のベスト。黒の半ズボンに、履き古されているものの、きちんと磨かれた皮のショートブーツ。母親であるエレノアが整えてやったものだろうが、小綺麗ながらも平凡でしかない衣服が、とんでもなく様になっている。
父親であるイーサンも「人が良い」以外に褒めようのない男だったが、エレノアも愛嬌こそあれ決して美人ではなかったというのに、この整った顔かたち。
遺伝子バランスの妙から飛躍し、新しい薬草の配合についての考えを深めていると、テオバルドが「あの」と話しかけてきた。困惑した声に、はたと我に返る。危うく取ったばかりの弟子の存在を忘れるところであった。
「その、師匠。このお部屋は……」
「ひとりで住んでいたからな」
読みかけのまま放置されたいくつかの魔法書も、丸テーブルに積み上がった器具も。アシュレイなりに合理的に配置した結果である。居間の状態を正当化したアシュレイは、「こっちだ」と弟子を奥に誘った。
大きな家ではないが、ふたりで暮らす分に不足はない。個室もふたつ揃っている。ひとつはアシュレイの居室だが、子どものころに使っていた部屋が空いているので、そこを貸し与えれば問題はないだろう。
「最低限は揃っているはずだ。おまえが好きに使えばいい」
ベッドに書き机、チェストと視線をやったところで、まぁ、とアシュレイは言い足した。
「多少、手は入れたほうがいいと思うが」
少々、埃が積もっていたかもしれない。誤魔化すように窓を開けると、差し込んだ光で机の上の埃がますます目立ってしまった。
気にしないふりで、入ったばかりの部屋をあとにする。妙な罪悪感が疼いたが、悪いのは自分ではない。いきなり弟子に取れと押しかけてきた、この子どもの父親である。
なんとも言えない表情で室内を見渡していたテオバルドだったが、覚悟を決めたらしい。抱えていた鞄をそっと床の隅に置くと、早足で居間に戻ってきた。
所狭しと本の積み上がった丸テーブルとソファー、暖炉、本棚。順繰りに見つめたテオバルドが、とうとうといったふうに隣に立つアシュレイを見上げた。
「……師匠は、掃除は嫌いですか」
「そういうわけではない。これはこれで使い勝手がいい」
「…………」
「だが、まぁ、弟子 が掃除をするというのなら、好きにすればいい」
危険なものは早々に自室にしまうことを胸に誓い、許可を出す。
はるか昔の記憶だが、師匠であったルカも、幼い弟子が触ると危険なものは自室に片づけていた覚えがある。まったく、弟子とは面倒なものだ。
神妙な顔で、わかりました、と呟いたテオバルドが、師匠、とアシュレイを呼ぶ。
「明るいうちに、あの部屋を片づけてもいいですか」
あの部屋というのは、先ほど好きに使えと与えた部屋のことであろう。
鷹揚に頷いたアシュレイは、テオバルドが部屋に入るところを見届けることなく、気に入りのソファーに腰をかけた。読みかけだった魔法書を取って、目を通し始める。
世話焼きだった父親の血筋と捉えるべきか、辛抱たまらないほどに部屋が汚かったと見るべきか。
――だが、まぁ、かまうほどのことでもない。
本人が本人の意志で片づけると言っているのだ。そのくらいは好きにさせてやればいい。そう決めて、アシュレイはページを繰った。
アシュレイはひとりが好きだ。自分の集中を邪魔されることも好きではない。けれど、続きの部屋から響く細かな音は、不思議と不快と感じなかった。
きっと、イーサンの息子だからなのだろう。もう十年は昔の話であるものの、王立魔法学院の寮にいた当時。イーサンの立てる物音にだけは、アシュレイは少しも苛立たなかったのだ。
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