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13.箱庭の外

「テオバルド・ノアと申します。出身は、グリットン。目標は、師匠である大魔法使いアシュレイ・アトウッドのような偉大な魔法使いになることです」  ごく当然のはずの自己紹介に、一拍置いて教室から笑い声が生じる。理由がわからず、テオバルドは教壇から視線を走らせた。笑った人間に向かい、はっきりと問いただす。 「なにがおかしいのですか? 偉大な魔法使いを目指すことが、自分には不釣り合いな目標だからですか」  王立魔法学院、入学初日。最初の講義は、三年間をともに学ぶ学友の前で、ひとりずつ自己紹介と目標を述べる流れになっていた。自分の番になったテオバルドが、師匠の名前を出したことはごくごく自然な発想だったのに、どうして笑われないといけないのだろう。  学院生の証である濃紺のローブを羽織った同期生三十余名の中でも、一番か二番に偉そうな態度の少年――ハロルド・エバンズとばちりと目が合う。最初に笑った生徒だ。  頬にかかる長い金髪を指で払うと、謝るでもなく、ハロルドは慇懃に言い放った。 「いや、失礼。森の大魔法使いさまは大層な変わり者と聞き及んでいたもので」 「変わり者?」 「公に決して姿を見せることのない引き籠もり。魔法使いの能力は個人のものであらず、国と民のものである。森の大魔法使いさまは、この魔法使いの大原則を守っていらっしゃらないのではないかいう噂のある方だ。私自身も少々疑問を覚えていたところに、きみが目標だのなんだのと無邪気に言うものだから、つい」 「ハロルド・エバンズ」  師を馬鹿にされ声を上げかけたテオバルドだったが、教師であるチャーチル・タイラーの重々しい呼びかけに先を越されるかたちになった。 「アシュレイ・アトウッドは、この国が誇る五大魔法使いのひとりであるのだ。口を慎みなさい。少なくとも、公の場では」  少なくともという言葉の意味を理解する前に、タイラーがテオバルドに向き直る。 「アトウッドは、たしかに偉大な魔法使いだ。我が王立魔法学院開校以来の大天才と評されているように。テオバルド・ノア。きみの才能は聞き知っている。大魔法使いを目指すことは素晴らしいが、品格のほうは師匠を目標としないほうが賢明かもしれないな」 「……それはどういうことでしょうか」  震える声で問い返したテオバルドに、タイラーはなんでもないふうに答えた。 「目標にするなら、我が国が誇るもうひとりの大魔法使い――緑の大魔法使いにしたほうがいいだろうということだ。彼は、きみの師匠の師匠。つまり、大師匠だろう」 「緑の大魔法使いさま!」  教室の後方に座っていた赤毛の少女が、眼鏡の奥の青い瞳をぱっときらめかせる。 「私、小さいころに流行り病で死にかけたのだけれど、緑の大魔法使いさまの煎じた薬で救われたと母に何度も聞かされました。緑の大魔法使いさまにお会いして直接感謝をお伝えすることと、及ばずながらも、あの方のように多くの人を救うことが私の目標です。――あ、突然、申し訳ありません」 「いや、とても良い目標です。アイラ・クラーク」  恐縮した様子で頭を下げるアイラに、タイラーは満足そうに頷いた。 「魔法の力を持つことができる者は限られている。だからこそ、魔法使いは、民を救い、国を救うために力を使う必要があるのです。先ほどエバンズが言っていたとおり。魔法使いの能力は個人のものであらず」  テオバルドをちらりと一瞥したタイラーは、教室内をぐるりと見渡した。魔法使いを志す三十余名の多くが、緊張気味に説諭に聞き入っている。  けれど、三年間がんばろうと誓っていたはずのテオバルドの心は、どんどんと冷えていくようだった。 「強力な力を自分のためにのみ使用したり、国の務めをおろそかにするようなことは、決してしてはならない。そのことを各自心に留めておくように。まぁ、なかには森に引き籠もる者もいるわけですが」  冗談めかした調子で付け足された台詞に、数人がくすくすと笑う。その中には当然とハロルドの姿もあって、テオバルドは唇を噛み締めた。悔しく、居た堪れなかったのだ。  ――師匠は、そんな人じゃないのに。  教壇に置いた拳が震える。自分のことを悪く言われることはかまわない。たいしたことではない。ただ、アシュレイを悪く言われることだけは許しがたかった。  落とした視界に入ったローブの濃紺が、なんだかどうにも気に食わない。  アシュレイが自分のために拵え、成長に合わせ何度も仕立て直してくれたローブの深緑が、ただただ恋しかった。 「森の大魔法使いさまというのは、どういった方なんだ?」  その日の夜。寮で同室となったジェイデン・ベネットに問われ、テオバルドはぐっと言葉を呑み込んだ。昼間のことを思い出して、身構えたせいである。  動揺を誤魔化すように、アシュレイから借りてきた魔法書に視線を戻す。そうしてから、ぽつりと呟いた。 「師匠は、きちんと魔法使いの務めを果たされている」  本当は、これから三年間同じ部屋で過ごす相手と仲良くコミュニケーションを取りたかったし、入学初日のできごとを手紙に書いてアシュレイに伝えたかった。  けれど、実際は、ささやかな寮の歓迎会もまったく楽しむことができず、喋りかけてくる人はみな嫌なことを言うように感じる始末だ。  こんなことなら、あのまま森に残っていたらよかった。叶うわけもない願望が巡り、テオバルドはさらに深くうつむいた。  ――師匠は、森を出て学院に入ったら、新しい世界が広がると仰っていたけど。  嫌な気持ちになるだけで、ひとつも楽しいことはない。そもそも、自分は彼とふたりの生活で満ち足りていたのに。 「なにを言ってる。あたりまえじゃないか」  刺々しい反応に、ジェイデンは驚いたようだった。あたりまえと言い切られ、思わず顔を上げる。 「え……」 「どんな方かと聞いたのは、純粋に興味があったからだ。なにせ、めったと表に出てこられない方だからな」  書き机で本を広げるテオバルドを見下ろしたまま、ジェイデンは淡々と言葉を紡いでいく。本心なのだと十分に伝わる態度だった。無言で彼を見つめる。 「大魔法使いの戦闘能力は常人騎士団の一師団分。大魔法使いは存在しているだけで、十二分すぎる抑止力だ」 「……」 「おまけに、おまえという弟子を取って、きちんと相伝もされている。だから、あとは、おまえが弟子として力を発揮すれば、誰も文句を言えなくなるんじゃないか?」  そう言うと、ジェイデンは、にっとした笑みを浮かべた。成長途中のテオバルドと違い、長身で筋肉質なジェイデンは、強面も相まって魔法使いというより騎士のような雰囲気がある。だが、近寄りがたかった印象は、今の人懐こい笑みで吹き飛んでしまった。 「あ、ありがとう……」  どぎまぎとしながらも、テオバルドは礼を述べた。そうだ。たったふたり嫌なことを言う人間に当たったからといって、近づいてくる人すべてが嫌な人間であるわけがない。師匠のことを悪く言うわけがない。   そんなあたりまえに思い至らないほど、自分の心は頑なになっていたらしい。 「感じが悪くて、ごめん。その……昼のことがちょっとショックで」 「あぁ、わかるぜ。タイラー先生も、エバンズもちょっと感じが悪かったものな」  ジェイデンは、あっさりと笑った。 「俺は王都の生まれだから、たぶん、おまえよりいろんな人間を見てる。人が多いと、嫌なことを言うやつもいるさ。生徒も、先生も」 「……うん」 「だが、おまえやおまえのお師匠のことを好意的に思うやつもいる。俺みたいにな」  頼もしい台詞に、テオバルドは自然と口元をゆるめた。笑い返したジェイデンが、大きな手をそっと差し出す。 「テオバルド。改めて、よろしく。ジェイデンだ。ジェイデン・ベネット。これから三年間、ともに学ぼう」 「うん」  紫がかった瞳をまっすぐに見つめて、手を握る。期待と緊張と――そうして失望で乱れていた心に、テオバルドは活を入れ直した。 「テオバルド・ノアだ。これからよろしく、ジェイデン」  三年間、がんばろう。がんばって、師匠の名を汚さない立派な魔法使いになろう。握手を交わす手にぎゅっと力を込める。  王立魔法学院、入学初日。いろいろとあった一日だったけれど、その日の最後、テオバルドにはジェイデンという友人ができた。

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