10 / 51

第8話

 遠目に見たイーディス・エインズワースは、どこまでも普通の可愛らしいお嬢様だった。  正直、拍子抜けした。メインヒロインのひとりである彼女と会ったら、何か変わってしまうんじゃないかと、心のどこかで恐れていた。 「イーディスお姉さんっ」 「まぁ、来てくれて嬉しいわ、ノア君」  三人のヒロインの中で、どこか平凡だったイーディスは地味ヒロインとも言われていたが、こうして見る分にはとても可愛らしいお嬢様だ。  淡い黄緑のドレスはミルクティー色の髪とも合っていて、仕草のひとつひとつが洗練されて美しい。確かに、社交界で年若いお嬢様たちの憧れと言われるわけだ。  顔と噂だけが独り歩きしている俺は、ノアの手を引いて受付をしている時点で注目の的だった。今もこうして壁の花に徹しているというのに、様々な視線に晒されて辟易としている。  もう帰りたくなってきた。デズモンド閣下や母上に社交界を連れ回されているが、パーティー自体が好きじゃない。  アルコールと香水と、人のにおいが混ざって気持ち悪くなる。でも帰ったところで待っているのは叱責だ。一気に帰りたくなくなった。でも帰りたい。いったいどうすればいいんだ。  閣下について回る『宝飾品(ノエル)』は喋らない。  いくら話しかけたところで視線ひとつも動かさず、吐息ひとつも漏らさない俺が、デズモンド閣下がいないこのパーティーに、『ノエル・デズモンド』として参加していることが異質なのだろう。  今にも話しかけてこようとする輩を壁際をふらふら歩きながら躱していると、緩やかに楽器隊の演奏が始まった。  ノアは、無事にイーディス嬢とファーストダンスを踊ることができたらしい。  キラキラコロコロと笑みを綻ばせながら、一生懸命イーディス嬢をリードしようとしている。とても微笑ましい。  周囲の貴婦人やご令嬢の視線を独り占めするノアは、今日のハイライトに違いなかった。俺の弟がこんなにも可愛い。  ノアが女性陣の視線を独占しているおかげで、物欲しそうに向けられていた視線が途絶えてホッと息をこぼす。 「曲が終わってしまいますね」 「何かドリンクをお持ちしましょうか?」  ――叫ばなかった俺を褒めてほしい。  両耳に囁かれた艶やかな低い声に鳥肌が立った。 「な、な……!」 「さきほどぶりです」 「あんなに急がなくたってよかったじゃありませんか」  向かう先が同じのはわかっていたことだ。  彼らも、ミラー家の人間ならデズモンドと関わりたくないはずなのに、馬車で別れた双子が俺の両脇を陣取っていた。しかも、肘がぶつかるほど距離が近い。  こうして立って並ぶと、彼らの方が頭一つ分くらい背が高かった。  しっかりと鍛えられた体は胸板も肩も厚くて、コートを着ている上からでも分かる。並ばれると俺の貧相な体が目立って仕方ない。  体型維持や簡単なボディメイクくらいの筋トレやストレッチしかしていない俺と、代々由緒正しい騎士家系の双子をそもそも比べるなという話だ。同じ土俵に立てるわけないだろ!  乗馬も剣術も素人な俺の唯一の取り柄は、この顔面である。あと、楽器の類ならまぁ弾けないこともない。見せられるものじゃないが。 「言ったでしょう。ファーストダンスを僕と踊ってくださいって」 「男同士だろ」 「そんなの、貴方と僕の美貌の前に関係ありませんよ」  自信満々に言い切ったカインに白い目を向けた。  確かに、宝石の如く煌めく美貌の俺と、つい目で追ってしまう猫のように柔らかで月下に咲く花の美貌の双子が手を取り合って踊っていれば、貴婦人淑女は黄色い声を上げて頬を染めるだろう。 「虫除けならしない」 「虫除け? ……あぁ、安心してください。貴方はこの場のどのご令嬢よりも美しく素敵です」 「いや、ちがっ……そういうことを、言っているんじゃなくて」  眉を下げるカインに言葉に詰まった。きゅるん、と耳の垂れた猫の幻が見える。勘弁して欲しい、猫にしか見えなくなってきた。俺は愛猫家なんだ。  デズモンド邸で俺が飼っているラグドールのダイナが、かわい子ぶるときにこんな顔をするんだ。  いい年した男がかわい子ぶっているのか? 似合っているのがまた腹が立つ! 「俺とつるんでいると、白い目で見られるぞ」 「関係ありませんよ、その他大勢なんて」 「言ったでしょ。私たちが親切にするのは貴方だからですよ」    だから、それの意味がわからないんだ。どうして俺に親切にする?  何か裏があるとしか思えないのに、裏があるように見えないのだ。三番目の妹がいれば嘘発見器(俺が勝手にそう呼んでいる、嘘を見抜ける異能)で彼らの真意がわかるのに。 「不思議そうな顔をしていますね」 「お前たちが、俺に親切にするのはなぜだ? 俺は、デズモンド閣下の宝飾品であり、それ以上でもそれ以下でもない。俺に取り入るより、一番上の兄に取り入ったほうがマシでは」 「――それ以上、喋らないでくださいませんか?」 「嫉妬と殺意でどうにかなってしまいそうです」  蒼い瞳が冷徹に凍え、まっすぐに射抜かれた俺は喉を鳴らして動きを固めた。呼吸が止まり、真正面から向けられる強い怒りに口を噤んだ。 「私は、」 「僕は、」 「――貴方のことを好いているんです」  寸分の狂いなく、揃って告げられた言葉に今度こそ息が止まった。

ともだちにシェアしよう!