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第19話
姿見に映った自分に、頬を引き攣らせた。
柔らかな肌触りのよいシャツに、インディゴのヴェスト。薔薇の刻印がされた飾りボタンに、銀に青い宝石のカフス。汚れが目立ちそうな白のスラックス。用意された靴も、よく見れば黒ではなく深く暗い藍色をしている。
髪を結わえるのに使ってくださいと手渡されたスカイブルーのリボンなんて、明らかにアデルとおそろいじゃないか。
どこからどう見ても、ミラー家の人間だと思われる格好だ。黒や赤を着ることが多い俺にとっては違和感しかない色彩である。
母譲りの金髪や赤い瞳が浮いているように見えて落ち着かなかった。
しかしいくら鏡の前で悩んだところで、着替えは用意されたこれしかない。
諦めて着たけど、青色が似合わなさ過ぎて笑えてくる。
髪色がノアみたいに、もっと色素が薄かったらよかったのかもしれないが、太陽の輝きを映した金髪、なんて褒めたたえられることもある金髪である。主張が強くて目が痛い。
鏡の前で、リボンを手に溜め息を吐く。あの双子はどんな気持ちでこの服を用意したんだ。
うなじの低いところで適当に髪をまとめてしまう。視界に入らなかったら違和感も抱かないだろう。
「はぁ……仕立て屋を呼んでもらったところで、無一文なんだもんな」
溜め息を吐きながら、テーブルの上に置かれた小さな金色のベルを鳴らした。
ちりん、チリリン、と軽快な音を鳴らした。鳴らしたら来る、と言っていたけど、こんな小さな音がどうしたら聞こえるのだろうか。異能ではないだろう、だって、ふたりの異能は暫定『治癒』系統だ。
半信半疑で鈴を鳴らし、待つこと数分。
ノックと同時に扉が開いて、アデルがやってきた。
「ノックの意味がないだろう」
「あ」
すみません、と眉を下げるアデルに溜め息を飲み込む。だから、その顔の良さを前面に利用した、耳としっぽを垂らすような表情をやめろ!
あぁ、置いてきてしまった俺の可愛い猫 は大丈夫だろうか。きょうだいたちに虐められていないだろうか。
「ふふ、とってもお似合いです」
「……さすがにこの色はない。お前ら、わざとか?」
「何がでしょう?」
心底わからない、と首を傾げるアデルは本当にわかっていなさそうだ。
説明するのも面倒臭くて、ミラー家に擬態するのにちょうどよい、と自分自身に言い聞かせて、言いたいことを飲み込んだ。
「なんでもない。ノアが待ってるんだろう」
「はい。でも、そうですね……ちょっと、失礼」
「なんだ?」
「リボンが崩れていますよ」
上から下まで、じっくりと俺の恰好を見て満足気に頷いたアデルだったが、俺の後ろにまわってリボンを解き始めた。
いい歳して髪もまとめられないのかと言われるかもしれないが、生まれた瞬間から今に至るまで十数年。ボタンを留めるのから靴下を履くのまで使用人にやってもらっていた俺が、背の半ばまであるロングヘアを結べるわけがないだろう。
こちとら十数年来の箱入りだぞ! と自慢にもならないことを言っておく。
ほんの数年前までは着替えすらひとりでできなかった。マリアが、ひとりで着替えることを良しとしなかったのだ。
貴族たるもの、上に立つものとして自ら着替えるべきではないとかなんとか。マリアに仕える使用人たちはマリアへ絶対服従を誓っており、俺が自分で着替えられるようになりたい、とお願いしても頑として譲らなかった。
果ては、「坊ちゃんは使用人の仕事を奪われるのですか……? 私なぞ必要ないとおっしゃられるのですね……?」と泣き落としみたいな真似をされていた。
「貴方の髪は、まるで天から紡がれた光のように繊細で、触り心地が良いですね。ずうっと、撫でていたいくらいです」
「……ノアを待たせたくないから、手短にしてくれ。まとまっていたらそれでいいから」
「いえ、いえ。髪型ひとつで人とは印象が変わるものですよ。これでも手先は器用なんです。任せてください」
肩を押されて、鏡台の前に座らせられる。
俺のことを気遣っているように見えて、我を通すところが苦手だった。有無を言わさない雰囲気で、反論や抵抗を躊躇わせる。
マリアは常々「上に立つ者としての威厳を」と言っていたが、そんなもの向上心も野心もない俺には不必要なものだった。
俺がいらないと捨てたものを、この双子はきちんと身に着けている。三大貴族の一門として、騎士として、言葉で、力で優位に立つ方法を知っているのだ。
指先が髪を梳いていく。さら、さらり、と癖のない金髪が視界の端で揺れている。
ただ髪を梳いているだけなのに、口元に笑みを浮かべるアデルは何が楽しいのだろう。
腹違いの妹に、髪を結ってとよくねだられた。
適当にひとつ結びかふたつ結びしかできない俺に、「ノエくんへたくそだわ!」と頬を膨らませてリスみたいな顔をしていた妹は、それでも毎回俺のところに来て髪を結ってとねだってきた。
幼い妹弟には慕われていた。上の兄姉が怖いのばっかりだから、マシな俺のところに来ていたんだろう。
「妹君の、髪を結んでやっていたのか?」
ミラー家にはノアよりも年上の末妹がいる。よく、うちで話題に上がっていたし、何度かマリアに連れられていったパーティーで見かけたこともある。
腰までの銀灰色の髪をふわふわと靡かせて、おっとりとした印象の垂れ目をしたかわいらしい美少女だ。さすが、モブキャラとは言えメインヒロインと交友関係を築くキャラだけあり、オーラからして周囲とは違う異彩を放っていた。
あれだけ長くふわふわの髪はまとめるのも大変そうだ。
俺がしていたように、アデルも妹君の髪を結ってあげていたんだろう。
「いいえ、違いますよ。あの子は、私たちのことを苦手に思っていますから、あまり関わらないようにしているんです」
「は、仲悪いのか?」
「悪くはありません。ただ、お互いに不干渉なだけ。これは、いつか貴方の髪を結んでみたくて覚えただけです」
熱を持った指先がうなじに触れた。
「っ、」
「せっかくなので上のほうで結びましょう。首元がすっきりするし、白くて細い首がさらに魅力的に見えますよ」
つ、と生え際を指が辿って、背骨の出っ張ったところを爪先がひっかいた。
「お、俺の髪が短かったら、意味なんてないだろ」
「そんなことありませんよ。短かったら、伸ばしてもらえばいいだけです。私としてはもう少し長くてもいいと思いますよ」
「頭が重くなるだろ」
違和感に気づかないふりをして、平然を装い会話を続ける。
指先が皮膚をかすめるたびに、触れるか触れないかの距離をかすめていくたび、肩が跳ねそうになる。きっと、後ろから見ているアデルはわかっているんだろう。言葉に笑い声が滲んでいるんだもの。
からかうな、と声を大きくしてもよかったのに、俺は声を出せず、ただ拳を握り締めて耐えた。
「はい、できましたよ」
詰めていた息を吐き出して、鏡を見ないで立ち上がろうとした俺の肩には両手が置かれたまま。
軽く抑えられて立ち上がれず、顔を上げて鏡越しに見たアデルはやっぱりにっこりと綺麗に笑んで、俺の耳元――耳の後ろに唇を寄せた。
「ひ、ッ」
皮膚の薄い、柔らかいところを強く吸われて息が詰まる。
思わず目を閉じれば、じゅる、と耳の中に生暖かくて柔らかいモノが侵入してきて、今度こそ全身を跳ねさせて椅子から転がり落ちた。
「ふふ、ずいぶんとかわいらしい反応だ」
「お、お、お、お前……!」
べ、と赤い舌を見せたアデルに全身の熱が上がる。
耳穴に舌を突っ込むとか、何考えてるんだ!
「はぁ……私たち、ずっと我慢してるんです。ご褒美を授けてくださってもいいと思いませんか?」
「が、我慢? ご褒美? なにを、言ってんだよ……」
無様にしりもちをついた俺を見下ろすアデルの表情は、どこか恐ろしく、俺を躾けるときのマリアのような表情 をしていた。
――加虐心にあふれる、サディストの顔だ。
「貴方が寝ているときも、私たちはちゃぁんといい子にして我慢をしたんです。あのエインズワースのゲストハウスでも、ノア君のことを思って寸止め。ちょっとくらい、甘い飴をくださってもいいでしょ?」
「な、え、そ、それは、お前らが、勝手に……!」
「心が通じ合ったら、とは思います。でも、その過程で#なにかしら__・__#があってもいいじゃありませんか」
まるで、蛇のように狡猾に嘯くアデル。とても聖なる騎士とは思えない発言だった。
蒼い瞳を獰猛に光らせて、しゃがんで俺と目線を合わせてくる。丁寧に伺い立ててきているのに、俺には拒否権のない命令のように聞こえて仕方なかった。
「わかった、わかったから! 何か与えればいいんだろう!?」
「わぁ、本当ですか!? いい子にしていた私たちに、何をくださるんですか?」
「う、ぁ、あー……えぇっと、」
怖い。とてつもなく怖い。このまま捕食されてしまいそうで、目の前の麗しい青年が恐ろしかった。
ご褒美なんて思いつかない。何をしてくれる、と問うが何をしたら満足してくれるんだ。けれどしかし、ここで「何がいい?」と問うてしまえば最後、きっと取返しのつかないことになる。
「……ッキスは、どうだ?」
最大限の譲歩である。
ゲストハウスで、さんざん触れられ、恥部を見られていながら、今更何をかまととぶっているんだ俺は。いや、むしろあの時は頭がおかしくなっていたんだ。
自分で言うのもなんだが、雰囲気に流されやすいところがある。わかっているけど、直そうとするには遅かった。
マリアのお人形になってから、人に逆らうことが難しくなってしまった。威圧と命令に慣れてしまった体は、相手の機嫌を損ねないように勝手に動いてしまう。
「――貴方から、私たちにキスをしてくれるんですか?」
「あぁっ、あ、朝と夜、一日二回。これで、どうだ?」
「…………つまり、おはようのキスと、おやすみのキス」
「ん? あ、まぁ、そう、なる……のか……?」
よく考えずに言ってしまったが、もうすでに後悔している。なんで一日二回って言ったんだ俺。一日一回でよかっただろ。
死んだ目をする俺とは逆に、子供みたいに目を輝かせるアデルを直視できない。輝く笑顔ってこういうことを言うのか。
「じゃあ、キス、してください」
「は?」
「おはようのキスです。してくれるんでしょ?」
こてん、と首を傾げて目を瞑ったアデルに言葉を失う。
「はやく」
「っ、あぁ、もうっ、わかったよ! ぜっっったいに目を開けるなよ」
「ふふ、わかってます」
ぐ、と唇を引き結んで、ゆっくりと唇に近づく。
長いまつ毛が頬に影を落としている。手を、どこに置いたらいいのかわからなくて、宙をさまよった手は膝をついた太ももの上に落ち着かせた。
青白い肌に、薄い唇。まじまじと見つめてしまっている自分に気が付いてひとりで羞恥する。
男は度胸だ! えい、と躊躇いと恥を捨てて、目をぎゅっとつむって唇をくっつけた。
「――……ふ、ふふっ、ほっぺたかぁ。あははっ、口にしてくれると思ったのに」
「ッ、ぁ、う、うるさい! ほら! ノアが!! 待ってる!! さっさと案内してくれ!!」
目をつむって、勢いでしたせいで唇から少し外れてしまった。きょとん、と丸くなった蒼い瞳に、真っ赤な顔の俺が映る。
「それに! 口にするとは言ってない!!」
まるで童貞みたいじゃないか。いや、ノエル は童貞なんだけども!
自己嫌悪に陥りそうだ。
「次は、唇にしてくれたら嬉しいなぁ」
それでも、嬉しそうにはにかむものだから俺は口を噤んでぶすくれるしかなかった。
――この後、ノアとともに待っていたカインが目ざとく違和感に気づいて第二ラウンドが始まるのだけど、俺はこのふたりとやっていけるのだろうか不安になった。
心臓がいくつあっても足りない。そのうち爆発してしまいそうだった。
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