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第20話(双子side)
かわいくて、きれいで、とってもいいにおいのする子。
初めて見た瞬間に、あの子はわたし たちの運命だと確信した。
ハイハイもできないくらい小さな赤ん坊の妹を腕に抱いた母様と、カイン と馬車で一番上の兄を連れて王都にいる父の元へ向かう途中だった。
しっかりと整備していたはずの馬車の車輪が外れて、立ち往生をしていたわたし たちを通りがかった、真っ黒い馬車。
馬も、馬車も、御者も真っ黒で、幼心ながら、冥府からやってきた死神が乗っているのかと思った。
――今思えば、ある意味死神で合っていたんだろう。
「あら、あら。どこのドブネズミかと思いましたわ。ミラー夫人じゃぁありませんこと? 一体こんなところでどうなさったの?」
毒を含んだ女の声に、騎士となるべく育てられたわたし たちは母様と黒い馬車の間に立ちふさがった。
女の声は明らかに母を害するもので、背後から母のか細い悲鳴じみた声が聞こえたが、ミラー家に生まれたわたし たちが引き下がるわけにはいかなかった。
「なんてことかしら! 清廉潔白で礼儀にうるさいミラー家の令息が、挨拶もしないだなんて! それに、なぁに、その生意気な目は。わたくしに文句でもあるというのかしら」
「あぁ、あぁ、ダメよ、戻ってちょうだい、ふたりとも……!」
御者の男が降り、恭しく馬車の扉を開く。黒いレースのカーテンの向こうで、毒の花が嗤っていた。
マリア・デズモンド――北の雪国からデズモンド家に嫁いだ王女であり、わたし たちの母様を目の敵にしている毒婦だった。
毒花が蕾を開かせるように、たっぷりと布を使ったワインレッドのドレスを揺らして女が降りてくる。
悪意に溢れた笑みを浮かべ、爛々と輝くザクロの瞳はまっすぐに母様を見つめていた。
女の後ろには護衛の騎士が腰に下げた剣に手を添えて付き従っており、騎士になるための訓練をしているとは言え、未だ本物の剣を与えられていないわたし たちでは、たった一閃で命を駆られてしまうだろう。
「それ以上、母様に近づくな!」
声をそろえて、威嚇するけど、女は鼻を鳴らして嗤うだけだった。
「喧しいネズミだこと。貴女、自分の子供なのにろくに躾けもできないのね。ミラー閣下がお可哀そうだわ」
マリアがどうして母様のことを目の敵にしているのかは知らない。母様の敵なら、わたし たちの敵だ。
「やめて……! お願いよ、マリア! この子たちに手を出さないで……!」
母様の悲痛な叫びに、美しい顔を憎悪にゆがめたマリアが叫ぶ。
「お前が……! どうしてそんなことを言うの!!」
「ッ、あ、マリア、謝るわ……ごめんなさいッ、わたしが悪かったの、だからお願い、この子たちは……!」
過去の因縁か、確執か。わたし たちが思っていたよりもずっと深く、色濃い憎悪の叫びに体が震えてしまう。
怒り、憎しみにとらわれたマリアは一度深く呼吸をして、人が変わったかのように穏やかな笑みを浮かべた。穏やかすぎるその微笑みは、母様の控えめな笑顔とどこか似ていて、わたし たちは戸惑いを覚えた。
「えぇ、もういいわ。許す許さないもないものね。貴女たちは不慮の事故によって死んでしまうの。そしてその事故現場を通りかかったわたくしが、王都にいるミラー閣下へ伝えて差し上げるわ。『イヴ・ミラー夫人は息を引き取る最期まで謝っていましたよ』って!!」
嗚呼、まるで魔女だ。かつて魔女狩りにあった人々も彼女のようだったのだろうか。
カイン と手を繋ぐと、少しだけ恐怖が和らいだ。母様は大切な人だ。わたし たちの母様で、カイン と一緒にわたし を産んでくれたから。
マリアが片手をあげると、控えていた騎士が剣を抜いてこちらへと近づいてくる。
「あ、あぁ! アデル! カイン!! こちらに来て……!」
腕の中の小さな妹を抱きしめる母様。わたし は唯一の半身と手を繋いで、騎士の風上にも置けない、マリアの犬を睨みつけた。
無感情にこちらを見つめる瞳は、路地裏を駆けるネズミを見ているようで腹が立った。
痛いくらい手を握り締めて、振りかざされた剣にぎゅっと目を瞑る。ふたり一緒なら痛くない。母様の絹を裂く悲鳴が響いて――マリアの怒声が響き渡った。
ぴしゃりと、頬を温かい液体が濡らす。
「けが、してない?」
まるで、夜の女神が歌を紡いでいるような声だった。声変わりをしていない、少年の甘い声。
そっと、目を開けると、月の光を一身に受けた輝く美貌の少年が眉を下げて微笑んでいた。
「ぁ、」
「ぇ、」
フリルのブラウスを赤色に染めた、美しい天使。
「ノエル……!! 嗚呼、あぁ……!! ノエル、ノエル!! なんてこと……!!」
魔女が叫んでいるのも気にならない。
箔月の輝きをまとう美しい男の子は、チェリーピンクの瞳に柔らかな笑みを浮かべ、わたし たちに声をかけてくる。
「あぶないよ、ケガしちゃう」
ぽたり、ぽたり、と月の天使の足元に赤い血だまりが広がっている。白い横顔がさらに白く、透けてしまいそうだった。
細い肩越しに、魔女が駆けてくるのが見えた。剣を振り下ろした騎士は震える手から剣を取り落とし、わなわなと震え、ほかの騎士たちに取り押さえられた。
この美しい天使は、魔女にとってとても大切な存在なのだろう。
「君が、ぼくたちをかばったから……!」
全身の血の気が下がる。指先が震えて、手を繋いでいなかったらきっとひとりじゃ立っていられなかった。
真っ白い顔に、蒼い唇で笑み、華奢な手のひらがわたし たちの頭を撫でてくる。すぐに振り払えてしまえるほど弱弱しい力だった。
天使が死んじゃう。わたし たちの天使が死んでしまう!
アデルは『調和』で、カインが『治癒』の異能を持つ。誰にも教えたらいけないのよ、と母様の言いつけを守っているから、わたし たちの異能は母様しか知らない。
言いつけを守るいい子だった。たとえ口約束でも、わたし たちは母様の言うことならおとなしくしたがった。
背後から「ダメよ!」と声が聞こえる。初めて、わたし たちは母様の言いつけを破ってしまう。約束を破るのはいけないこと。それでも、わたし たちは目の前の天使様が傷つくのを見過ごせなかった。
チェリーピンクの瞳がきらきらと輝く。風に金髪がさらわれていく。
絵画から飛び出してきた天使みたいな男の子の名前はノエルというらしい。たぶん、あの魔女の子供なんだろう。憎悪を滲ませた表情 は悍ましいが、造形はこの場の誰よりも整っている。
「治せるから!」
「わたしもできるんだ!」
「――ううん、だめ。見せちゃダメだよ。母上が見てるんだもん」
「でもっ」
「痛い、でしょ」
「ううん、痛くないよ。心配してくれてありがとう」
どこまでも天使様は優しかった。それほど年も変わらないはずなのに、この場の誰よりも冷静で、状況を理解していた。
「ノエルッ!!」
駆けてきた魔女に突き飛ばされる。後ろへと転んでしまい、白い半ズボンが汚れてしまった。なんだか、それがとても汚らわしく思えて眉を顰める。
清廉潔白と謳われるわたし だけど、この場で一番清らかなのはきっと天使様 だった。
そっと、手を繋いだ半身を伺う。わたし と同じように、蒼い瞳に熱を浮かべて天使様を見つめていた。
「……母上、背中があついです」
「えぇ、えぇっ、そうね、そうよね! あぁ、なんてこと……! ッそこのお前! 屋敷に帰ったら覚悟しておきなさい……!!」
「ひ、ヒィッ……! マリア様、お許しを……!」
「わたくしはマリアだけれど、聖母じゃないわ。あぁ、さぁ、ノエル、馬車へ乗りましょう……! お前たち、屋敷へ戻るわ! 早馬を出して、ドクターを呼びなさい!」
慌ただしく場面が動いていく。
顔面を蒼白にした魔女に抱きかかえられて背中を向けた天使様に息をのむ。真っ赤に、白いブラウスが真っ赤に染まっていた。
痛くないはずがない! 子供が耐えられるはずがないのに、天使様は泣き喚きもせずにわたし たちのことを心配してくれたことに涙が滲む。
子供ながらに天才と呼ばれ、将来を期待される長兄と、すでに聖女候補として敬われている物心もついていない赤ん坊 に挟まれた中途半端なわたし たち。
妹が生まれてから母は妹につきっきりで、父は元からわたし たちに興味がない。
まっすぐに、チェリーピンクの瞳にわたし たちが映っていた。
「……これ、あげる。ひとつしかないから、ケンカをしたらいけないよ」
魔女の腕に抱かれながら、声を張った天使様がわたし たちに何かを投げつけた。
胸元につけていた、蒼い薔薇だった。
金箔を振りかけ加工されていて、初めて見る薔薇だった。
「君たちに、神の祝福がありますように」
馬車に乗り込み、その姿が見えなくなるまでわたし たちは動くことができなかった。
蒼い薔薇の花言葉は「奇跡」――ほかにもたくさんあるけれど、よりわたし たちにぴったりだと思ったのは「一目惚れ」だった。
ああ、彼の天使様にわたし たちは心を奪われてしまったんだ。美しく、綺麗で、可憐な容姿に、家同士が敵対関係にありながらわたし たちを助けてくれる優しい心。
細く薄い体はわたし たちが守ってあげないと風に攫われてしまいそうで、小枝のような手首は力を籠めたらぽきりと折れてしまうに違いない。
わたし たちが、天使様を魔女から、悪魔 から救ってあげないと。
「ねぇ、カイン」
「うん、アデル」
「強くなろう」
「あの人を守れるくらい」
「そうしたら、蒼い薔薇をいっぱい植えた家で、三人で暮らそうね」
「飛んでいかないように、羽は折らなきゃ」
くふくふ、と熱に浮かされたわたし たちは笑いあった。いつかの未来を夢見て、綺麗な天使様に恋い焦がれて。
――だから母様が、わたし たちを異様な目で見ているのも気にならなかった。
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