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第21話
蒼い薔薇の庭園で、ノアとかくれんぼをする。
子供のノアに、この屋敷は退屈だろうかと心配する双子をよそに、ノアは毎日新しい遊びを考えていた。子供の発想とはすごいものだ。
迷路のようになっている薔薇の庭園は、ちょうどノアの顔が見える高さで、今日は天気もいいからお外で遊びたいです、という弟のささやかなお願いに俺は付き合っていた。
天気がいいからこそ引きこもっていたいのだが、ノアが許してくれない。
「兄上は適度に日を浴びないと干からびちゃいそうです」と涙ながらに言われたら、お兄ちゃん、一肌脱ぐしかないじゃないか。
人は日光浴をしなくても干からびないとは言えなかった。あんまりにも真に入って言うものだから、もしかしたらありえそうと納得させられた俺はバカである。
「兄上~? どこですか~?」
遠くから、ノアの声が響く。
立っていれば余裕で見つかってしまうので、薔薇園を出たすぐのところにある木の陰にしゃがみこんで、息を潜めていた。
薔薇園の中だけ、とは言っていないからズルじゃない。
さっきまで鬼ごっこをしていたから、体力は赤点滅一歩手前だ。
子供の体力ってなんであんなにあるんだろう。俺が同じくらいの時もあんなに走り回れたっけ――と思い出すが、そもそもほとんど軟禁状態のような日常だったので、走り回って遊んだりなんてしたことなかったんだった。
息を吐いて、空を仰ぐ。どこまでも青く、遠い空だ。透き通ったスカイブルーは、今ここにはいない双子のことを無理やりにでも思い出させる。
蒼薔薇の館に常駐している使用人たちは、みんな優しい。あたたかな食事に、柔らかなベッド、石鹸の匂いのする衣服。少ない使用人のおかげで彼らの目を気にすることなく俺たちは生活できている。
いくら主人である双子が俺たちに好意的でも、使用人たちは違うと思っていたのにだ。
メイド長は「生活に足りないものはございませんか?」と常日頃から気にかけてくれて、庭師の青年は率先してノアの遊び相手になってくれる。料理長は好き嫌いなく料理を出してくるけど、たまに双子には内緒でデザートを作ってくれるのだ。
デズモンド邸では、こんなに心穏やかにのびのび過ごせなかった。常に誰かしらの視線を気にして、マリアのご機嫌を取り、毒物への耐性を付けるために摂取したくもない毒を飲んで数日間苦しむのだ。
美貌 だけが取り柄の俺は、剣の稽古に連れ出されることもなく、ほかのきょうだいに比べたら生傷は少なかったが、その分社交界や取引で失敗したときのお仕置きが恐ろしかった。
顔は傷つけられなかったが、鞭打ちの痕が背中と太ももにいくつか残っている。汚い、醜い傷跡だ。
デズモンド一族は性癖がねじ曲がった変態ばかりだ。泣き顔が好きだとか、痛みを耐える顔が好きだとか、ド変態のサディスト集団である。
――俺も誘拐された身だが、アデルとカインは別だ。命の危険はないものの、貞操の危険は常日頃から感じている。
「…………どうするかなぁ」
このまま、この屋敷にいるわけにもいかない。いずれデズモンドは俺たちを見つけるだろう。
伊達に裏社会を牛耳っていない。閣下は使えるものだけ使う実力主義だ。おかげで、私兵も優秀な暗殺者やらスパイやらばかり。優れた才能には褒美を、能力に見合った報酬が個人に与えられるおかげで、裏切る者も少ない。
この屋敷に来てから数週間。考えなければいけないのに、ぬるま湯に浸かってしまった俺はここから逃げ出すことができなかった。
ぴゅろろろろ、と空を鳥が飛んでいる。
いいなぁ。俺にも羽があったら、どこへでも行けるのに。
「どこへ、行くって?」
「……カイン」
「貴方は、まだどこかへ行こうとするのですか?」
「カイン、何を言ってる」
「貴方が言ったんです。羽があったらいいのに、って。飛んで行きたい、って」
今日は、屋敷を留守にしているはずだろう。
外着に身を包んだカインが、眉を顰めて俺を見ていた。
この数週間で、あれと双子の関係は特別変わっていない――と思いたかった。
俺のことが好きだと、愛しているのだと、口癖のように言うふたりは、俺を外に出すことをひどく渋った。
きっと、今こうしているのも気に食わないんだろう。笑みを浮かべているものの、どこか不機嫌そうだ。この数週間で、彼らの感情の変化を感じ取れるようになるくらいには、親しくなった。
俺だけの勘違いかもしれないけれど。
アデルは俺が他人と会話をするのを嫌がる。
カインは俺が目の届かないところに行くのを嫌がる。
お前ら束縛強すぎかよと笑い飛ばせたらよかったんだけど、どうにも笑い飛ばせなかった。
使用人たちにも言い聞かせているのか、双子がいるところで彼らは声をかけてこない。俺から声をかけると、一度双子のほうを見やってから返事をしてくれる。
正直、嫌な予感しかない。予感というよりも、視えてしまったんだ。獰猛な笑みを浮かべて俺を凌辱するアデルとカインを。
「おかえり、カイン」
「ただいま戻りました。それで、話を逸らさないでください。どうして外に出ているんですか? それと、どこか飛んで行きたいっていうのは、ここから、僕たちから逃げるという――」
「違う、違うから落ち着け。俺はどこへも行かないし、外に出てたのはノアとかくれんぼをしていたから。逃げるんだったらとっくに逃げてる」
「逃げるつもりがあると?」
「無いって言ってんだろうが」
への字口で迫ってくるカインに溜め息を吐き出しそうになって、寸でのところで飲み込んだ。これで溜め息なんてしてしまえば、さらに面倒くさくなる。
共に過ごしてわかったことだけど、この双子、めっちゃ面倒くさい。ノアよりも子供っぽいところがあるし、双子特有の独自ルールもあるからなおさらだ。
「貴方は、いなくならないですよね?」
「どこにも行く場所がないからな。それに、たとえ逃げたとしてもお前らは地獄の果てまで追いかけてくるだろう」
「……貴方が行く先がどこだろうと、僕は貴方についていきます」
わぁ、愛が重たいなぁ。
「もし、」
「ん?」
「もし、貴方が本当に逃げたら、そのときは羽をもいで、首輪で繋いで、ずぅっと僕たちと一緒にいましょうね」
……わぁ、愛が重いなぁ!
俺がドン引きしているのも構わず、しゃがみこんでいる俺の前までやってくるとカインまでしゃがみこんだ。コートのテールが地面についてしまっている。草原の上だから対して汚れはつかないだろうけど、なんとなく気になった。
俺も草の上に尻をついてしまっているけど。
「ただいま帰りました」
「うん? うん、おかえり」
「……おかえりのキスは、してくださらないんですか?」
くぅんと耳を垂らす子犬が見えた。
クッ……こいつら、俺がすっかりこの顔に弱いとわかってから有効活用してきやがる……!
狂気が燻る愛を押し付けられようとも、突き放せない俺が悪いのはわかっている。
気がないならさっさと断ればいいものを、このぬるま湯が心地よすぎてズルズルと名前のつけられない関係を続けてしまっていた。
「キスは朝と夜だけだろ」
「朝早かったせいで、今日は僕、してもらっていません」
ぷぅ、と頬をふくらませるカイン。大の男が、そんな可愛い顔をするんじゃない! 似合ってるし可愛いから反応に困るんだよ!
無駄に顔が良すぎるせいで、どんな表情をしても似合うんだから羨ましい限りである。
確かに、近隣の川辺で魔物が出たせいで、それの討伐に駆り出されたカインは日が昇るよりも早くに屋敷を出ていった。
「頑張ってきたご褒美がほしいです」と小さく呟く子犬――ではなくカインに心臓がギュンっと音を立てる。
「……名前」
「え?」
「俺のことを名前で呼んだら、してもいい」
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