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第22話
俺のことを好きだと、愛していると言いながら、俺の名前を呼ばないことに気が付いていた。どうして呼ばないのかもわからないが、俺だけふたりの名前を呼んでいて、そんなのズルいだろ。
「名前、ですか」
「ついでにその鬱陶しい敬語も取っ払えば?」
年上を敬えとは思うものの、無法地帯のデズモンド家で育てば、親しい間柄ならそんなの気にしなくなる。
別に、アデルとカインなら呼び捨てにされようが敬語じゃなかろうが気にしない。ノアに話しかけるときはフランクに砕けた口調になるのだから、いつも敬語というわけじゃないんだろう。
「…………」
「カイン?」
押し黙ってしまったカインは、はく、はくり、と口を開いたり閉じたりを繰り返して、顔を真っ赤にしていた。
「え」
――もしかして、敬語だったのも、名前を呼ばないのも、照れるから?
「お前、」
「ま、待ってください。見ないで、ちょっと、今はダメです」
「なんで。いいじゃん、見せろよ、カインが照れるの珍しい。名前で呼ぶのが恥ずかしかったの? 敬語なのもそういう理由だった?」
「いじめっ子みたいですよ……」
「俺はいつもお前らにいじめられてるが?」
「いじめてないです、愛です」
「愛の押し売りだろ」
軽口の応酬で少し落ち着いたのか、顔はまだ赤いものの、蒼い瞳はまっすぐに俺を見つめた。
「呼んで、いいんですか?」
「呼べるのなら」
スと深く息を吸い込んで、手のひらが頬に触れる。輪郭をなぞり、風に攫われて遊ぶ髪を耳にかけられた。
「……ノエル」
「ぅ、ぁ」
「ノエル、貴方のことが好きだ」
煮詰めてドロドロになった瓶詰のジャムみたいに、頭の中が溶けそうだった。
「ノエル、ノエル……ずっと、貴方の名前を、呼んでみたかった」
シュガーが溶け切らない、ジャリジャリになった紅茶を飲まされている気分。
いつになく、いつもよりも、甘い熱を浮かべた蒼い宝石がキラキラと輝いている。それに映った俺は、リンゴみたいな顔になっていて、俺の赤い瞳が色を映して混ざり合い、紫に煌めいた。
安易に飲み下したら胸やけしてしまいそうなほど甘ったるい声に、周囲の音が閉ざされる。遠くから聞こえていたノアの声が聞こえなくなって、風の音も、鳥の囀りも聞こえなくなる。
世界に俺とカインしかいないような錯覚に陥って、「ノエル」と口の中で何度も名前を囁くカインに体が熱くなった。
「キス、して」
俺まで溶けてしまいそうな熱視線に耐えられなくて、言われるがままにカインの両頬を捕まえて、もったいぶらずに口づけた。
「ッ、ん」
柔らかな唇が触れ合い、たまらず腰を抱き寄せられる。
爽やかな緑の香りが鼻先をかすめて、肉厚な舌が口内へと侵入してきた。
青い空の下、薫る緑の上で抱き合い、口づけを交わす。――ノアに見られたらどうしよう、と思考の片隅で思うけど、滲んだ涙とともに落ちて行ってしまう。
鼻にかかった甘い声がこぼれて、どちらかもわからない唾液で唇が濡れた。
「ぅ、はっ、は、ぁ」
「ノエル、ノエル……っ、僕を、愛してくれ。すき、あいしてる」
まるで迷子の子供みたいな声で、あーあ、と溜め息を吐きたくなった。
灰色の頭に腕を伸ばして、抱き寄せる。認めたくないのに、絆されている自覚がある。
だって、アデルとカインは俺のことを愛してくれる。ちゃんと、愛してくれるんだ。
俺の意思を尊重してくれる。キスをするのも嫌じゃない。触れ合うのも嫌じゃない。
優しい気持ちにしてくれる。愛される温かさを知ってしまった。
ダメだとわかっているのに離れることを躊躇ってしまう。ここにいれば、俺も、ノアも無事でいられる。下手に原作に関わることもなく、ノアは死なない。俺も、死なない。
「ノ、エル……?」
「俺は、どちらかひとりなんて選べない」
「それは……!」
「お前らが、アデルと、カインが言ったんだからな。選ばなくたっていいって。だから俺は選ばないし、選べない。ふたりとも、好――」
「待って!!」
口元を大きな手のひらでふさがれて、俺の一世一代の告白は遮られた。
「アデルと、一緒に聞きたい」
花も恥じらう照れ顔に目が眩んだ。
え、えぇ……こんなときまで双子ルールかよ!
俺の決心を返してくれ。というより、ここまで言ったらもうわかるだろう!
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