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第29話
「そうねぇ、あとは何かしら……マリアおば様を悲しませた罪とか?」
ただ鞭を振るって俺を甚振りたいだけのイザベラは、もう罪を数えることもやめて、とってつけたような理由を口にする。
罪の数が十を超えたあたりで立っていられず、四つん這いすらも体勢を保てなくなった俺を壁を向いた体勢で天井から伸びた手枷につなぎ、背中が真っ赤に腫れ、肉が裂けるまで力の限り鞭を振るう。
もはや痛みすらも麻痺しつつあり、意識が朦朧とする。
「それじゃあ、サーシャちゃんを泣かせたこととか」
まだ、続くのか。
粘着質で終わりの見えない『躾け』に目を閉じて、次の衝撃に耐えようと体を強張らせた。
「――そこまでだ、姉上」
足音も、気配も悟らせずに現れたアレクシアに、イザベラはわざとらしく驚きをあらわにする。
「……あら、アレクシアじゃない。今日は外に出ているんじゃなかったの?」
「討伐する予定だった魔物がすでに殺されていたんだ。それで、イザベラ姉上は、ノエルに何をしていたんだ?」
「無駄足だったのね。オツカレサマ。あたしはノエルちゃんのことを躾けていたのよ。姉兄 は道を間違えた妹弟を正しい道へと導いてあげないと。そうでしょう?」
「確かに、姉上の言う通りだ」
賛同を得られたイザベラはさらに上機嫌になって声を上ずらせる。
「うふふ、アレクシアならわかってくれると思って、」
「だが、これはやりすぎだろう。躾けにも、限度がある」
ミシリ、と掴んだ手首から軋む音が鳴る。
大剣を片手で震えるアレクシアにしてみれば、イザベラの細腕など小枝と同然だった。
「ヒッ、い、ぁ、あ゛……!! い、いたいっ、いたいわっアレクシア! 折れてしまうから!! 離してちょうだい!!」
バチンッ、と手首を返して振るった鞭によって手が離される。
アレクシアの思想は『家族主義』
父や母は敬うべき存在であり、姉兄は妹弟の手本となり、きょうだいを守らなくてはいけない。
アレクシアは姉・イザベラの言うことには基本的に従うが、イザベラの行き過ぎた躾けは彼の琴線に引っかかる事項であったようだ。
「お前も!! いつか躾けてやるわよ!」
フン、と鼻を鳴らして捨て台詞を吐いたイザベラが出ていくと、とたんに懲罰房の中が静まり返る。
いたるところが裂け、腫れている俺の頭を労わるように優しく撫でた。妹弟を守るために俺はいるんだ、と豪語するこの男が、ためらわずに人を殺せる狂人だと知っている。
罪悪感も抱かず、ただデズモンドの邪魔になる存在だったから殺しただけだ、と言う男だ。
いくら俺が弟で、アレクシアの庇護下にあるとしても、俺はデズモンドを裏切っている。――血の裏切り者には死を。
チャキ、と携えた剣の擦れる音がして、目隠しをされて、鎖につながれた俺は、剣を振りかぶられたら避ける術はない。
「痛いか?」
「……痛いに、決まってるだろ」
ぷっ、と口内に溜まった血を吐き出した。
「俺が躾け役になるはずだったんだが、姉上に押し切られてしまったんだ。ノエル、何があったのか教えてくれ。そうすれば、反省したと父上に伝えてあげよう。いつまでもこんなところ、嫌だろう?」
「何を、教えろと。俺は何も知らないし、何も見ていないのだから、お前らに言うことなんてないな」
鼻で笑い、口を噤んだ。何を言われようと、何をされようと、何一つ教えることなんてない。
ノアの居場所も、アデルとカインのことも、決して口にすることはない。
「……そうか。人形みたいにおとなしくてかわいかった俺の弟 にも、反抗期がきたんだな」
「ハ?」
ゴツゴツした手が頭を撫でて、視界を閉ざしていた目隠しを取る。
急に視界が明るくなり、白く明滅を繰り返して頭がクラクラした。ガシャン、と手首を吊るす枷が大きな音を立てて無理やり意識を覚醒させられる。
グ、と眉間にシワを寄せ、目の前に立つアレクシアを見上げた。
ニコニコと、何が楽しいのかわからない笑顔を浮かべている。
彩度の低い金茶髪を後ろへと撫でつけてオールバックにし、血よりも濃い深紅の瞳は笑っているのに笑っていない。整った顔立ちだ。そこらへんの貴族に比べたら、ずっと見目秀麗だ。――ただし、中身が最悪。
外着のままのアレクシアは帰宅してまっすぐに懲罰房へと来たのだろう。
異能を封じる目隠しが取られた今なら視ることができる。目の前の男の未来を視ようとして――男の指が右の眼球に触れた。
「ぁあ゛ッ!?」
粘膜を擦られる感触に激痛と気色悪さが走り、『先見』をするどころじゃない。
ぐり、ぐり、ぐり、と反射で閉じようとする瞼を押さえつけられて、指の腹が眼球を撫でまわす。気色悪い、気持ち悪い、キモチワルイ!
生理的に涙がポロポロと零れ落ちて、このまま抉られてしまうんじゃないかと、心臓が大きく音を立てて全身に脂汗をかいた。
「や、め……!」
「ハハッ、じょーだんだよ。お前の目が、あまりにもおいしそうな色をしているから」
「ッ……頭おかしいだろ……!」
「違うな。お前がお利巧すぎるだけなんだよ」
涙の滲む視界で、アレクシアは口の端を釣り上げて嗤った。
イザベラに続いてアレクシアの相手もしなければいけないだなんて、厄日に違いない。
未だ痛む眼球を休ませるために、目を瞑った俺は瞼の裏に蒼薔薇の夢を見た。
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