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第40話

 美しい季節の花々で彩られた室内庭園だ。ステンドグラス調のガラスが光を通して、どこか神聖な雰囲気を漂わせている。 「待っていたわ、アデル、カイン。――それに、誇り高きデズモンドの子供たち」  細身の体を純白のドレスで覆い、パールのアクセサリーを身に着けたプラチナブロンドの美しい女性。彼女が、イヴ・ミラー夫人だ。  俺の母・マリアを悪辣な毒花と例えるなら、彼女は天から降ってくる光の花のようだった。華奢で、柔らかな美貌を笑みで彩り、相手の毒気を抜いてしまう雰囲気をしている。 「招待していただき、光栄です。俺はノエル・デズモンドです」 「ノア・デズモンドです!」  胸元に手を当て、足を後ろに引く。ぶれない体幹に、自分を美しく見せる所作はマリアに叩き込まれた。ノアも見よう見まねでお辞儀をする。 「まぁ」  口元を手のひらで隠し、驚きをあらわにする夫人は、きっと俺らがお辞儀をするとは思っていなかったのだろう。  デズモンドとは例外なく悪逆非道で暴虐武人、慇懃無礼な輩というのが共通認識だ。格下を見下し、かといって格上にも自分たちからは頭を下げない。傲慢と高慢の塊である。いい例はイザベラだ。 「こちらこそ、来てくださって嬉しいわ。知っているだろうけど、わたしはイヴ・ミラー。ノエルさんとは夜会などで何度か顔を合わせているわね。こうして、言葉を交わすのは初めてだけれど」 「その際はご挨拶もできず、大変失礼いたしました。俺は、デズモンド閣下の『装飾品』だったので、」  アクセサリーと言うと、ミラー夫人は眉を下げた。  本当のことなのだから、悲しむ必要なんてないのに。  デズモンド閣下はすでに死んでいるのだから、『閣下の装飾品』とは言っても過去のことだ。 「立ち話もなんですから、席へつきましょう」 「あら、そうだわ。わたしったら」  頬を赤らめて照れる夫人は、少女がそのまま女性となったような印象を受けた。老いを感じさせず、とても四人の子供がいるとは思えない若々しさがある。  マリアにも言えたことだけど、美人は不老だったりするんだろうか。  ごく自然に、俺をエスコートするアデルに夫人は一瞬だけ瞬いたが、それ以上何かを言うことはなかった。  洗練された佇まいに、厳格な面立ちのチャールズ・ミラー閣下。右隣に、次期聖騎士と名高い長男のセドリック。左隣で所在なさげに立っているセレフィーナ。  白を基調とした衣装を身に着け、川のせせらぎのような澄みきった空気をまとっている。まさに聖なる一族と呼ばれるに相応しい。  凛とした彼らに気圧されてしまいそうだ。唾を飲み込んで足裏に力を入れて、いつものように俺は笑みを浮かべた。  人には過ぎた美貌は、にこりと笑うだけで威嚇になるのだから。 「お招きいただき、感謝申し上げます。閣下」 「感謝いたします、閣下!」  厳めしい表情を崩さなかったミラー閣下も、ノアの元気な挨拶に口元を綻ばせた。うちのノアはどんなに硬い氷でも溶かしてしまう愛らしさだ。  よくできましたと、頭をさらりと撫でてやれば、さらに笑顔が輝いた。俺の弟がこんなに可愛い! 「積もる話もあるが、まずは座りたまえ。一息ついてから、ゆっくり話そうじゃないか」 「ノエルこっちに」 「ノア君もおいで」  閣下が何か言うよりも早く、双子に呼ばれる。アデルとカインの間に座らせられた。 「……アデル、カイン」 「何か問題でも?」 「ふたりは僕たちのお客様なのだから」 「はぁ。いい、許可する。……すまないな、あのふたりは、少々我が強いんだ」  少々……?  とても我が強いの間違いじゃなかろうか。  真っ白なテーブルクロスのかけられた円卓。  ミラー夫妻の正面に座り、両脇をアデルとカインに固められる。ミラー閣下の隣に長男、夫人の隣に末妹が腰かけた。  メイドが給仕をしてくれる中で、俺とノアだけが甲斐甲斐しく双子にお世話をされていた。それを信じられない目で見るミラー一家に居たたまれなくなる。 「クリームティーですか」 「あら、わかるのね! アフタヌーンティーには少し早いでしょう? ジャムもたくさんあるから、好きなのを食べてちょうだい」  クリームティーとはアフタヌーンティーの一種で、紅茶とスコーンのセットにクロテッドクリームやジャムが添えられている。  クロテッドクリームとは普通の乳製品よりも濃厚なクリームで、クリームティーには必要不可欠な食材だ。  地域ごとに食べ方の違いがあり、デズモンド領ではスコーンの上にクリームを塗って、その上にジャムを塗って食べるのが伝統的だが、ミラー領では対照的にジャムを最初に塗ってからクリームを塗る。  こんなところまで対照的にしなくてもいいのに、パーティーなどでかち合うと、食べ方ひとつでいがみ合う閣下たちに溜め息を飲み込むしかなかった。  数種類のジャムとクリームを平皿に取り分けてくれる双子に感謝を述べる、それにすらも驚嘆する彼らに苦笑いだ。 「俺は、デズモンドは良しとしていませんよ」 「それは、どういう意味かね?」 「あんな家、潰れて正解だと言っているんです」  俺は、いまここでミラー閣下に俺の意思を伝えなければいけない。  今さら、『ノエル・デズモンド』としての印象だとか、そんなのどうでもいいんだ。  俺の言動ひとつで、双子の意思と関係なく、閣下は俺たちを引き離すだろう。そんなの、たまったもんじゃなかった。  やっと安息の地を見つけたのだから、二度と手放したくなかった。それに、もうから、どうすればよいかはわかっている。  初めに、ストレートの紅茶を口にする。ミルクはその後だ。 「……デズモンドでは、ミルクを入れてから紅茶を飲むのでは?」 「えぇ。そうですね。ストレートを飲んでから、ミルクを入れるのはミラー式ですね」  常なら和やかなはずのお茶会の場は、しん、と静まり返っている。茶器が音を立て、俺と閣下の声がよく聞こえた。  テーブルマナーやパーティーマナーなど、なにもかもが正反対のデズモンドとミラー。だからこそ、覚えやすかった。  毎日を共にする双子のしぐさを観察していればすぐに覚えられたし、ノアは俺を見てから行動するから、俺が実践すれば自然とノアもミラー式の礼儀作法を覚えていった。  完璧な所作で、ミラー式マナーを披露する。  彼らの中のデズモンドなら、こんなこと絶対にしなかった。イザベラなら「ワンちゃんの真似事をするくらいなら舌を噛んでやるわ」と言うだろうし、アレクシアなら「なぜ畜生の真似事を誇り高き俺たちがしなければいけない?」と至極まじめな顔で言っただろう。  ミラー家とデズモンド家とは、それほど深い確執が刻まれているのだ。  本来の三大貴族とは、それぞれが手を取り合って、協力する関係だった。これは、原作の番外編で描かれていた話である。  国の光を担うミラー家と、裏側の闇を担うデズモンド家、そして両家の橋渡し役である中立のエインズワース家。  光に照らされる場所があるなら、影となり、闇となる場所もある。  最も戦争が苛烈だった頃、川は汚染されて飲み水の供給が滞り、焼けた大地では育つ作物も育たず、人々は飢え苦しんだ。満足のいく食事もできず、その日凌ぐことすらできなくなると、人々は口減らしに幼い子供や、働けない老人を売りに出した。  売られた子供は愛玩用であったり、奴隷であったり、はたまた鬱憤晴らしであったり、用途は様々だが、見目の良い子供ほど高値で売れ、貧困に喘ぐ市井とは裏腹に、奴隷市場は大いに盛り上がった。  国勢も傾きつつある中で、「俺が」「私が」と手を挙げたのが当時のミラー閣下とデズモンド閣下である。国王の妹をそれぞれ妻に娶っていた両閣下は、国王が宰相よりも信頼していた人物だった。  剣聖として軍を率いて勝利を導いたミラー閣下。  植えに苦しむ民人に施しを与えたデズモンド閣下。  永遠に交わることのない分かれ道を閣下たちは自ら歩み始めたのだ。

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