1 / 4

第1話

   東村幹雄、三十歳。  酔った勢いというか。酔いはもう完全に吹き飛んでる気がしないでもないが。今、幹雄はその人生で初めて、他人のちんこを口に咥えようとしていた。あ、いや。自分のちんこを咥えた事もないのだけれども。 「……どうした? 見るだけで終わりか?」  浜岸理人が幹雄に言った。呆れたような、馬鹿にしたような口調だと幹雄には感じられた。幹雄にとっての浜岸理人は単なる会社の同期で、同い年だが友達というわけでもなく。かといって反目し合っているというわけでもなく。たまの同期会で顔を合わせれば当たり障りのない会話に終始する程度の仲だった。 「喧嘩する程、仲が良い」の逆だ。幹雄と理人は軽い口論もした事が無い程度の関係だった。  それがどうして、 「う、うるせえ。ちょっと待ってろ。今から本気出すんだよ」 「……楽しみだな」 「くそッ。ひいひい言わせてやるからなッ。覚悟しやがれッ!」  こうなった――?  ビールを一気に飲み干すと幹雄は、 「クソぉ~。サイアクだぁ~ッ」  空になったジョッキをテーブルにドンッと強く置いた。 「……割るなよ?」  浜岸理人が静かに注意する。 「浜岸ぃ~。もぉ~。聞いてくれよぉ~」 「聞いた聞いた。何度も聞いた」  理人は幹雄の出鼻を挫く。実際これで四度目の「聞いてくれよぉ~」だった。ビールは中ジョッキで七杯も空にしていた。東村幹雄は完全に酔っ払ってしまっていた。 「五年も付き合ってた女に振られたんだろ。自分の浮気が原因で。自業自得だ」 「そうだよ。自業自得だよ。俺が悪いよ。三十にもなって何やってんだって話だよ」 「分かってるなら騒ぐな。愚痴るな。これからは真面目に生きろ」 「冷てえなぁ~。愚痴らせてくれよ。慰めてくれよぉ~」 「……テキトウに入った店で偶然、見つけただけの会社の同期に何を期待してんだ」 「なんだその説明くさいセリフはぁ~?」 「都合良く関係性を忘れてそうなお前に説明してやってるんだ。事実、俺とお前は友達じゃあないだろう。慰めてほしかったら『お友達』にでも頼め。そういう女が沢山いるとか前に自慢してただろ」 「おともだちなぁ~……」  幹雄はがさごそと雑な動きでスマホを取り出すと、 「ひとみちゃん~……。菜々ちゃん~……。陽菜ちゃん~……。咲ちゃん~……」  連絡先でも開いているのだろう、次々と女の名前を読み上げ始めた。 「それだけいれば一人くらい急に今からでも会えるんじゃないのか」  呆れでもない冷めた声色で理人は言ったが、 「……消去。……削除。……デリート。……クリアー。さよならさよならさよなら」  幹雄には聞こえていなかったのか、ぶつぶつと一人で何やら呟いていた。 「何してるんだ?」  訝しんだ理人に酔っ払いが答える。 「おともだちの連絡先を全部、消してるんだよぉ~だ」 「……それで彼女に許しを乞うのか。復縁出来ると良いな」  肩をすくめて理人は言った。 「あぁ~? 良いんだよ別にもう。あの女もこの女もその女もどうでも」 「分かり易い自暴自棄だな。自業自得で自暴自棄とか。自作自演か」 「……早口言葉か?」 「自分の浮気が原因で女と別れた奴に落ち込む権利なんか無いって言ってるんだ」 「別に……女と別れたから落ち込んでるわけじゃねえし。てか。あのクソ女……」 「……最悪な奴だな」 「そうなんだよ。聞いてくれって。あの女」 「お前の事だよ。最悪なのは。悪いのは全部お前でその彼女――元彼女か。その女は何も悪くないだろう」 「あぁ~? 悪くなくないだろう」 「浮気される側に問題があるとか言うつもりか? そこまで堕ちるのか?」 「はいはいはいはい。浮気したのは俺が悪いよ。だから振られたよ。それはそれだ。それはそれとして。俺が最悪だって言ってんのはあの女が――女達が俺を騙してたって事だ」 「騙してた?」  四度目の「聞いてくれよぉ~」にして初めて耳にする情報が出てきた。 「美人局とかハニートラップみたいな話か?」 「あの女――女達は皆して……」  ギリギリと奥歯を噛み締めながら悔しそうに幹雄が言った。 「俺とのセックスで感じてたフリしてやがったんだ」 「何だって?」  驚きの声ではない。「何を言っているのだ?」という意味だ。  だが相槌も質問も何も受け付けず、 「俺はセックスが下手クソだったんだ」  幹雄は一人勝手に喋り続ける。 「…………」と理人は口を閉じた。 「あんなセックスで満足してたのって笑われたとか言ってよ。あの女だってヤッてる最中はあんあん言ってたくせによ。馬鹿にしやがってよお。あいつだってそうだ」  バタンとテーブルに突っ伏した幹雄がもごもごと言う。 「イッたイッた言ってたくせにゼンゼン、イッてなかったとか言って。なんで女は演技とかするわけ? サイアクだ。あの嘘付きどもがぁ~」 「…………」  澄ました顔で完全に聞き流しているふうの理人だったが、 「要するに。彼女の友達に手を出した。その友達が彼女に『あんたの彼氏、セックスが下手だね』と言った。彼女も彼女でお前とのセックスで演技をしてた。それを知らずにテクニシャン気取りで女をナンパしまくってたお前は今、大恥を掻いていると」  しっかりと理解していた。 「下手な自覚は無かったのか? それだけ落ち込むって事は」  理人が妙な事を聞く。 「俺は下手じゃねえ。……あいつらとの相性が良くなかっただけだ」 「その可能性もゼロではないけどな。それよりは彼女やその友達が言った『下手』とか『演技してた』って言葉の方が嘘だったってパターンの方がありえそうだ」 「え……?」 「友達の方は彼女にマウントを取りたくて。彼女の方は最後にお前を傷付けたくて」 「は、浜岸ぃ~……」  友達ですらないただの同期を慰めてくれるのか。何だかんだ言いながらも。良い奴なんだなあ浜岸は――などと感極まりかけていた幹雄の耳に、 「仕方ない。俺が判断してやるか」  変な言葉が聞こえた。 「え……?」 「東村。お前ちょっと俺を犯してみろ」 「え……?」  ――シティホテル。ロビー。エレベーター。 「え……?」  ――部屋の中。ベッドの前。風呂場に消えた浜岸理人。 「え……?」  ――ベッドの上。全裸の浜岸理人。パンツ一丁で正座している東村幹雄。 「え……?」    目まぐるしく移り変わっていった現実に全く付いて行けず、東村幹雄は呆然自失となってしまっていた。 「東村。全裸の相手をいつまで放っておく気だ? いまのところゼロ点だぞ。そんな調子を見ると女達の言ってた事は本当だったみたいだな」 「……かっちーん。バカ言うな。放ってんじゃねーんだよ。じ、焦らしてんだよッ」  酔っ払いのノリなのかそれともただの強がりか幹雄は怒りの擬音を口に出してから吠える。 「ふッ」と理人が笑った。 「焦らされてたのか。確かに落ち着かないな。放置……いや、視姦プレイか」  理人に言われて幹雄は気が付く。自分がじっと理人の裸体を見詰めていた事に。 「そ、そうだ。はは……ははは。どうだ。興奮するだろう」  指摘された途端に慌てて目を逸らすのも負けたみたいでイヤだったから。反射的に「そうだ」なんて口走ってしまったが。そんな事を言ってしまったからには余計に目を逸らせなくなってしまった。幹雄は理人の裸体を意地になって見詰めまくった。  ……いや、なんか。妙に良いカラダしてんだよな。こいつも俺と同じ三十歳になるはずなのに。腹も出てないし。元からなのか焼いてるのか肌も生白くはないし。かと思えばスネ毛なんかは適度に生えていて。無駄毛は全て処理済みのツルツルお肌で、最近流行りの美容男子を気取っているというわけでもなさそうだった。脇毛も陰毛もちゃんとあった。軽い手入れくらいはしているのかもしれないが。  なんて言えば良いんだろう。理想的……というか男のカラダの見本みたいだった。 「……そんなふうにじっと見られ続けると」  ぼそりと理人が呟いた。 「興奮してくるな」 「ん?」と幹雄は理人の顔を見る。理人は理人らしからぬ――幹雄が知る浜岸理人は決してしないような顔をしていた。微笑み気味に頬を緩めて、熱そうに「はあ」とか「ふう」と息を吐き出していた。……こんな顔もするんだな……。……エロい。  幹雄が理人の顔に見入ってしまっているとまた、 「ふふ」  と理人が笑った。 「な、なんだよ?」 「いや。このプレイはちょっと上級者向き過ぎてその辺の女には分からないかもな」 「そ、そうか。はは……。あまりにもハイレベルで初心者には難しいか。はは……」  この話の流れならと幹雄は「このくらいにしておくか」などと言って理人のカラダから目を逸らそうとしたのだが――んんッ? と幹雄は首を高速で振って分かり易い二度見をしてしまった。  ――理人の股間が勃起していた。  まだ触ってもいないのに。見ていただけで。強く上を向いていた。  ……こんな事を提案してくるくらいだから、そりゃあ他人様にお見せ出来るようなモノをお持ちなんだろうとは思っていたが。……また随分と立派じゃねえか。  蛇に睨まれた蛙の心境で幹雄は理人の勃起した股間を見詰めながらゴクリと生唾を飲み込んだ。  敵は強大だ。でも……逆に言えば、こいつを手玉に取れたなら俺はセックスが下手じゃねえって事になるんじゃないのか。  こんなに立派なモノを持ってやがるんだ。さぞかし遊び慣れてるんだろうな。……くそ。男として幹雄は嫉妬してしまう。自分のちんこを小さいと思った事は無かったが明らかにデカいちんこを目の当たりにしてしまうと負けた気にしかならない。  いや。セックスの良し悪しはちんこのデカさで決まるわけじゃねえ。  テクニックだ、テクニック。世界に誇る日本の御家芸、柔道の精神――柔よく剛を制す――で立ち向かおう。……柔道なんか高校の体育でしかやった事ないけど。  とりあえず。どうする? 手で扱くか? いや。そんなのはいつも自分でやってるだろ。そんなんじゃ駄目だ。……ここはあれだな。俺がいつも女にされてたやつだ。  ――フェラチオだ。  幹雄は当然、他人のペニスを口に咥えるだなんて経験は過去に一度も無かったが、うん。まあ、さんざんされてきた事だし。やれば出来るに決まってる。  フェラチオもクンニも同じようなもんだろう。舐めて吸って舐めて舐めて、最後に甘噛みでもすれば簡単にイクだろう。  理人の股間とにらめっこしたままいつまでも動かない幹雄に、 「……どうした? 見るだけで終わりか?」  理人は声を掛ける。浜岸理人の真意は分からないが幹雄には挑発されたように感じられてしまった。 「う、うるせえ。ちょっと待ってろ」  幹雄的には売られた喧嘩だ。男ならば買わないといけない。 「今から本気出すんだよ」  と心を決めた。 「……楽しみだな」  理人が言った。……余裕ぶりやがって。コノヤロウ。 「くそッ。ひいひい言わせてやるからなッ。覚悟しやがれッ!」    

ともだちにシェアしよう!