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第5話(終)

 昼休み、例の女子美術部員二人組から「もう読まれましたか?」と聞かれて、稲葉史彰は、安藤草太が新作の漫画を描き上げた事を知った。  日々の言動から、また漫画を描き始めたらしい事は察していたが、完成したのなら言ってくれれば良かったのに。美術部員には見せられても史彰に見せられない理由はやっぱり、フィクションが描けずにノンフィクションしか描けないという事で、稲葉史彰とのアレコレを描いているからだろうか。 「恥ずかしがらなくても良いのに」  すぐにでも安藤草太に襲撃を掛けて新作漫画を奪取したいところだったが、そこはぐっと堪えて放課後を迎えると、先に教室を出た安藤草太を追い越す勢いで、史彰は美術部に向かった。 「漫画、描けたらしいね。読ませてもらっても?」  と疑問符を付けておきながら返事も聞かずに安藤草太から漫画を奪い取った史彰は途中、途中で「あ」とか「む」とか表情を変えながらも、それを一息に読み切った。  面白かった。切なかった。男性同士の濃厚な恋愛漫画だった。でも、 「これ、誰?」  どう見ても、どう解釈しようとも登場人物のモデルは稲葉史彰ではなかった。 「俺、こんな事してないよね? こんな台詞も言ってない」  ノンフィクションが描けないと言っていた安藤草太が描いた漫画だ。つまり、 「誰とヤッたの?」  この漫画に描かれている事は実際に起きた出来事だという事になる。 「いつ、ヤッたの? 何回、ヤッたの?」  まるで恋人の浮気でも責めているみたいだったが、稲葉史彰は安藤草太の恋人ではない。史彰は、自分に怒るような権利など無い事は自覚していた。これでも、史彰は自分の中のぐらぐらとする感情を必死で抑え込もうとしていた。 「どうして、ヤッたの」  最後の一言には疑問符が付けられていなかった。それは史彰の深い溜め息のようなものだった。  稲葉史彰が口を閉じるのを待っていたみたいに、 「前にも言ったと思うけど」  今度は安藤草太が口を開いた。 「俺がフィクションを描けないのは、自分の妄想を公開するみたいで恥ずかしいからなんだけど」  ゆったりと落ち着いた口調だった。いや、 「稲葉君との事も描こうとはして、実際に途中までは描いてみたりもしたんだけど、何か、恥ずかしいというか、描いて誰かに見られるのが、何て言えばいいんだろう、もったいないような気になっちゃって。誰にも見せたくなくなっちゃって」  その台詞の乱れ具合を冷静に見て取れば、安藤草太は落ち着いているのではなく、落ち着こうとしているのだという事が分かるはずだが、今の稲葉史彰には「冷静に」など見ていられるわけがなかった。 「それに比べたら自分の妄想くらい幾らでも見せられるみたいな気になっちゃって」  史彰にはまだ、彼が何を言っているのか、言いたいのか、言おうとしているのか、分かってはいなかった。もしかしたら、無意識的に理解する事を拒否していたのかもしれない。わざと、安藤草太の言葉を解ろうとしていなかったのかもしれない。 「だから、その物語はフィクションです」  安藤草太は微笑んだ。片側の頬がひきつっていた。無理矢理にこしらえたみたいな下手クソな笑顔だった。赤らんでいて、汗ばんでいて、一生懸命な微笑みだった。  昔の安藤草太らしくなく、今の安藤草太らしい顔だった。史彰は戸惑ってしまう。 それから、 「俺は稲葉君としかヤッてないし。ヤラないし。ヤリたくないし。ヤルわけないし」  ぼそぼそと早口に安藤草太は言い立てた。 「今の安藤草太」を史彰は「擬態」だと思っていた。「昔の安藤草太」こそが本来の「安藤草太」なのだと思っていた。でも。今、目の前に居る安藤草太からは「嘘」を感じられない。 「どうして?」と稲葉史彰は疑問符を付けて呟いた。 「だって」と安藤草太は先程にも増して真っ赤になった顔で答えてくれた。

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